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⚾️選んだ道、新しい可能性の第一歩

※これは学生コーチの存在を否定するわけでも、お涙頂戴のドラマにしているわけではありません。事実について、私見を述べているだけです。ご容赦ください。

先日、とある選手からDMが入った。

こんばんは。お疲れ様です。
選手引退してしまったのですが、かなねーさんにB戦の写真を撮っていただいて、それが大学の試合での数少ない写真だったのでとても感謝しています。とてもいい写真なので思い出として形に残せて嬉しいです!

※一部個人情報があったため割愛

選手を引退し、学生コーチになったとの報告だった。連絡をしてきた選手は、何度かB戦で見かけた選手だ。しかし、話をしたことは一度もない。それでも律儀に私に報告をしてきたのだ。DMを読んで、この時期がやってきたのかと、何とも表現できない気持ちが渦巻いた。

学生コーチは、選手になり切れなかった人間が行き着く場所ではない。選手としてダメだったとレッテルをはられるわけでもない。それは重々承知の上だ。指導者になると夢を抱いて、学生コーチを志望する者もいる。しかし、それだけではないのが現実だ。

選手として活躍することを誓ってチームの門を叩いた者が、期中で学生コーチへと転向することは、大学野球界ではままある。怪我の影響であったり、戦力的な問題であったり、様々な要素がある。自ら希望する者、意思と反してそうならざるを得なかった者、多岐にわたるだろう。報告者がどの立場だったかはわからないが、内容を見る限り『本意』ではなかったかもしれない。

報告を受けた際、どれほど葛藤をしたのだろうと漠然と考えた。選手として活躍することを目標とし、日々練習を積み重ねてきた。B戦の中で、地を這って必死にもがく姿を何度も目にしてきた。それでも、選手を続けることができなかった(できなかったなんていうのは失礼だが)。悩んだ末、チームのためになるなら頑張ろうと覚悟を決めたのではないかと推測する。

覚悟の裏に、選手として活躍できなかったことを、後ろめたいと考えているのであれば、そうではないと私は伝えたい。確かに選手として活躍する目標は閉ざされたかもしれない。でも、自信をもってほしい。新しい可能性を切り開いたと。選手としてやってきた軌跡は消えない。むしろその経験を生かして、指導にあたることができる。同じチームに所属しながら、多くのことを実践できる。エゴでも綺麗ごとでもなく、これはとても素晴らしいことではないか。

選手を経験していたからこそ、できることがある。人の活躍を願い、支援することは並大抵のことではない。人のために生きること、人に寄り添うこと。言葉にすれば簡単だが、実行するにはとても難しい。誰にでもできることではないから。報告には自身の『決意』が含まれていたのではないかと思う。その決意に、私は精一杯エールを送りたい。絶対に素敵な学生コーチになれると確信している。決して学生コーチはレギュラー争い、選手としての競争から脱落した者ではない。そう思う人がいるのならば、私は一瞬にして蹴散らしたいとさえ思う。

“選手ではなくなる”のではないよ
“今日から学生コーチになる”
新しいスタート、新しい可能性との出会いだよ。

選んだ道、新しい可能性の第一歩。どの道を歩んだって壁にはぶつかる。正解も間違いも、可能性にしかつながらない。転んだらまたどこかで立ち上がればいい。道が閉ざされたとしても、自分で切り開く強さをもっているのだから。

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