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⚾️選手も『人間』である。

投げた言葉は必ず自分のもとへかえってくる。そう思いながら、私は毎日を過ごしています。

SNSで簡単に自分の言葉を発信できる時代になりました。便利でありながらも、常に命と隣り合わせであると感じることがあります。

近頃、選手への誹謗中傷が後を絶ちません。プロスポーツのみならず、アマチュアスポーツでもよく見かけます。こんな世の中ですから、すぐに本人のもとに『言葉の刃』は届きます。

プレーそのものの失敗に言及するだけならまだしも、選手の『人間性』や『存在』を全否定する言葉も見られます。簡単に死ねと伝えることができるのです。熱く応援しているゆえの言葉でしょうか。

プロ野球選手は対価として『給料』をもらっている。職業としているのだから、批判されても仕方がない。著名人だから、ちょっとの誹謗中傷耐えろ。それが有名税だ。そういう意見を見かけるたびに、私は思うのです。


野球選手だって人間なんだ。


見ず知らずの人に『死ね』なんていわれる筋合いはない。それって一般社会で生きる私たちも同じでしょう。見知らぬ人にすれ違いざまに死ねといわれていることと何ら変わりはありません。


その一言で人が死ぬ。
そして、ファンも心を病む。


選手一人に、どれだけのファンがついているでしょう。ファンだけではありません。家族や友人も大切な人もいます。一人に突きつけたつもりの刃でも、その裏の多くの人を傷つけているのです。そんな当たり前のことを、人は忘れるのです。なぜなら身近な人間ではないから。その言葉が届くわけがないと思っているから。


あなたの投げかけた言葉は必ず届いている。


良い言葉も悪い言葉も、必ず本人(もしくは関係者)に届いています。そうでなければ、誹謗中傷で亡くなる人はいないでしょう。

死ねと何度言ってもしなない人もいる。そうかもしれません。しかし、その人は『生きているけれど、心が死んでいる』かもしれない。物理的に生きていても、心は限界を迎えているかもしれません。

強く伝えたいこと。

選手が失敗したからといって、
あなたの人生は終わりやしない。


さらに伝えたいこと。

あなたは人生で失敗はしないのか。


応援しているからこそ、敗北が許せない。大事な場面だったからこそ、壊されたことに憤りを感じる。色々あるでしょう。でも、それってあなたの人生に何か影響を及ぼすのでしょうか。甘い言葉だけでは選手は成長しないという意見もあるでしょう。技術やプレーだけならまだしも、その人自身を否定する権利は世界の誰にもあるはずがない。

相手の痛みに鈍感で、自分の痛みに敏感であってならない。私はそう考えています。選手だって人間なのだから、死ねといわれて傷つかないはずがない。それを何度も目にすれば、心が疲弊していくのは間違いありません。

なぜ人は、著名人相手であると気が大きくなるのだろう。
なぜ人は、自分の痛みを忘れてしまうのだろう。

これは何もプロ野球だけの世界に限りません。アマチュア野球でも散見されます。みんな好き勝手いいやがってと、私は思っています。勝手に査定し、勝手に否定し、無責任に去っていく。人のやることとは到底思えません。

優しい言葉で溢れる世界になんて、理想論を語りましません。ただ、言葉はそっくりそのまま自分に返ってくる。それを肝に銘じて、今後も発信をしていこうと思うのです。


―――

選手だけに限らず、その選手を応援している人にも気を配りたいと思う今日この頃です。最近、友人が応援している選手を全否定され、とてつもなく悲しんでいました。

選手本人ももちろんですが、こうして応援している誰かも傷つくことがあります。失敗をすればそれなりに叩かれるのは当然だという風潮もありますが、誰かを殺したわけではありません。ついカッとなって発した一言は、誰かを深く傷つけます。死に至らないだけで、心は疲弊しています。

最もたちが悪いのは、その選手を応援していると知っていながら、冷たい言葉を発することです。思いやりや配慮の世界になってしまうでしょう。とはいえ、誰かを傷つけて良い権利など、誰も持ち合わせてはいません。

発した言葉は全て自分に返ってくる。


平気な顔して生きているけれど、腹の中なんて誰もわかりやしない。自分だって人間だろう。そんなことを考える毎日です。じっくり頭で考えて、物を発する人間でありたいと私は思うのです。






いただいたサポートは野球の遠征費、カメラの維持費などに活用をさせていただきます。何を残せるか、私に何ができるかまだまだ模索中ですが、よろしくお願いします。