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📒記録は色褪せない。

先日、WBCのドキュメンタリー映画『憧れを超えた侍たち』を見てきた。
※ネタバレはないので安心してください。


不思議な気持ちだった。

試合展開も結果も知っているのに、優勝するってわかっているのに、初めて見たような感覚に陥った。当然のように感動した。


今回のWBC自体が、素晴らしい内容だったことに違いない。でも、それ以上に記録として残っていることのありがたみを感じた。

人間の記憶とはあやふやなものだ。思い出は色褪せないという言葉はあるものの、時が経てばその中身は曖昧になる。記憶は美化されるといわれるように、時に人は都合よく思い出を改ざんする。


その点、記録はうそをつかない。生々しくそのときの記録を蘇らせる。その瞬間の温度差も、全てを。

もし、この映像が残っていなかったら。


私はそんなことを考えた。日本代表が優勝した瞬間の様子は、間違いなく記憶の片隅に残っている。時間が経ったとき、果たしてそのときと同じ熱量で向き合うことができるだろうか。

過ぎた記憶は日常と化し、思い出話にはなる。ただし、同じ情熱をもって語り継ぐことは困難に近いだろう。自分自身の幼少期を振り返っても、当時と同じ熱意で思い出を語ることはできない。むしろ覚えてすらいない。


記録は色褪せない。



ドキュメンタリー映画として公開されたからこそ、見る者が二度も三度も涙する。記録とは素晴らしいものであると再認識した。


―――


WBCのドキュメンタリー映画を見て、自分の写真について考えました。データや現物が残っている限り、は色褪せることなく後世に継ぐことができます。

それを強く感じたのが、2016年の明治神宮大会。首都大学野球連盟を代表して、桜美林大学が初出場を果たしました。とんとん拍子に決勝まで駒を進め、明治大学と戦いました。私にとって一生の忘れられない思い出です(その最終戦を見届けられなかったというオチがついていますが)。

私はDVDで明治神宮大会での戦いを繰り返しみています。結果なんてわかっていますし、どんな試合展開かも理解しています。でも不思議なことに、心の高鳴りや緊張感は『初めてみたような気持ち』そのものです。最後は明治大学に負けることだってわかっている。それでもです。記録の偉大さを強く感じます。

ふと、考えることがあります。
私の写真は、人の役に立っているのだろうかということです。誰かの人生の一コマになれていたらいいな。誰かの心の熱を蘇らせる役割を果たせていたらいいな。そんなふうに思うのです。



いただいたサポートは野球の遠征費、カメラの維持費などに活用をさせていただきます。何を残せるか、私に何ができるかまだまだ模索中ですが、よろしくお願いします。