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インテグレーションコースを振り返る

インテグレーションコースの同期と有志でマガジンをやろう!という話になり、私は8月26日の担当として本日綴ります。声をあげてくれたみどりん、ありがとう!

みどりんの気持ちがこもった企画説明noteはこちら⇩

企画マガジンはこちら⇩
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修了直後にもササっと振り返りnoteは書いたけど、時間をかけなかったからかなんとなく仕上がりにしっくり来てなかった。このマガジンは、私のインテジャーニーと再度向き合う丁度いい機会。



インテ期間で得たもの

ぱっと思いつくものを並べてみる。

ぶっちゃけ時系列の記憶が曖昧なので、正確には応用B以降~に得たものも含まれているかもしれない。ただ、インテ中も私の中で大切だったものたちなので一旦含んじゃう。笑

  • 仲間

  • ちゃんとしない私を見せる勇気

  • 「わからない」を超え、カオスをホールドする力

  • 直感に従った行動

  • 一歩踏み込んでみる勇気

この中から2つピックアップしてもう少し触れてみる。


仲間

「仲間」というものは、正直私には無縁だと思って生きてきた。
(※ここでは「仲間」を個人ではなく集団として定義します)

私は昔から親しい相手とは心の深い部分の話をしたいと思ってきた。
だけど現実としてそういう内面世界の会話を好む人は私の周囲にはほとんどおらず、そういう話をすると引かれることもあった。

ノリだけじゃ長く関係維持することができない私は、深い心の繋がりを持ててはじめて心から「友人」だと思える。だから「集団で仲良く=仲間」が私には難しくて、ずっと一対一の関係が心地よかった。

でもインテコース中は、同期同士でガチな己の内面を晒し合う。
ガチのテーマを持ってガチのコーチングをし合う。

自分の弱いところも強がってしまうところも柔らかいところも硬いところも綺麗なところも汚いところも、さらけ出してきた。みんなもきっとそう。勇気を出してさらけ出してくれてたと思う。

その過程を経て、修了するころには私たちは「仲間」になっていた。

純粋に嬉しかった。だって本当は私も「仲間」に憧れがあったから。
集団に馴染めない自分には一生縁のないものだと思ってたし、相手に好感を抱いていることを口にするのも正直「拒否されたらどうしよう」という怖さがあった。だから笑顔で受け入れてくれたことは本当に嬉しかった。


「わからない」を超え、カオスをホールドする力

人間の脳はわからないものを嫌う性質がある。

私は特に「わからない」状態が苦手で、今までの人生、必死に「わかろう」としてきた。論理的に説明できないものが苦手、未確定なものが苦手、矛盾が苦手…。

白黒はっきりしないものがとにかく嫌いだった。
自分ひとりで抱えていることもできず、すぐに発散させようとしてきた。

そんな私は、コーチングの学びでめちゃくちゃに混乱させられた。
矛盾とも言える教えに疑問を抱え、疑問を解消するべく何度も質問を重ねて。とにかくスッキリしたかったんだと思う。

だけど、あるとき「わからない」の限界を超えた。

「あ、これは考えてもわからないことなんだ」
「『考えるな、感じろ』という教えはそういうことだったのか」

そのときから、社会人人生で発達させてきた左脳による思考だけに頼るのをやめて、本来優位だったはずの右脳も使い始めた。そうだ、私はもともと「なんとなく」で生きるタイプだったはずなのに…。社会から「わかる説明」や「正しさ」を求められるうちに本来の私を抑圧してしまっていた。

そこで起きた変容によって、日常生活にも変化が起こる。

仕事では不確定要素が多い案件と並行して向き合うことが多く、私は頻繁に頭がキャパオーバーを起こして小爆発してきた。だけど「わからない」への耐性がついたことで、不確定要素の多い案件でもどっしり構えて仕事ができるようになった。(まだまだ改善の余地あるけど。。笑)

その変化は上司にも伝わっていたほどなので、きっと勘違いではない。コーチングによって得た学びは沢山あるけど、その中でも大きなもののひとつだと思う。


ハイライト:2か月続いたスランプ

「人の心」という明確な定義の難しいものと向き合うコーチングは、先述したように「わかろう」とすると「わからなく」なる。一見すると矛盾とも思える教えに揺れ、必死で理解しようとして、理解できなくなった先にはスランプが待っていた。


メンターの率直なフィードバック

私の1on1メンターはこっちゃん。
こっちゃんは、真っすぐなフィードバックをそのまま渡してくれる素敵なコーチ。

初回のフィードバックを受けたときの私は、セッションに自分のスタイルを確立しはじめてうっすらコーチングへの自信を抱いていたし、理論をなんとなく理解できているつもりになっていた。今思えば恥ずかしい話だけど、そんな状態だった。

でも、こっちゃんからのフィードバックで見事にそれはぶち壊された
(もちろんいい意味で)

フィードバックでわかったのは、当時の私は全然コーチングを理解できていなかったことや、傾聴スキルも自分が思うほどできていなかったという事実。クライアントさんの表面上の話を聴くばかりで、本質に全く迫れないコーチングをしてしまっていた。

その真実はあまりにも衝撃的で、受け容れ難く、でも正しいからこそ痛かった。めちゃくちゃに効いて、悔しさと恥ずかしさで私は涙を流した。

でもその様子を見ていたこっちゃんは素早く反応し、こんな言葉をかけてくれた。

「フィードバックをオブラートに包んで伝えることもできる。だけど、高いお金を払って学んでいるのにそんなことしたら勿体ない。私はばるちゃんにお金と時間を無駄にしてほしくない。だからガチのフィードバックをする」
(正確な言葉は覚えてないけど、内容はそんな感じだった)

その言葉は愛に溢れていた。
一瞬で私のネガティブな感情たちは感謝と勇気に変化し、いただいたフィードバックと前向きに向き合いたい気持ちが湧いてきた。

そこからアドバイスに従い、私は今までのスタイルを手放す。
慣れないスタイルとしばらく向き合ってみることを選択した。


向き合う、そして迷う

私はもともと白黒思考に陥りやすい。
コーチングの学びでは「正解」がないことを知っていたはずなのに、知らぬ間に「正解」を求める思考に囚われていた。

複数のコーチ(リードや他メンター)に質問をすればするほどわからなくなっていく。なぜなら私の質問に対する答えは人それぞれで、どれも正しいからだ。真逆のコメントもあるが、それも正しかった。要はバランスなのだとどこかで気づくまで、私は混乱し続けた。

全員統一の100点満点な「正解」なんてない。
私は自分の中に自分なりの答えを見つける必要があった。


リード・同期との対話

スランプから抜け出すまでに2か月くらいかかった。その間はびっくりするくらいセッションが下手になり、今までできていたこともできなくなった。それは私にとってかなりショックで、苦しくて。

「私にはコーチングをするセンスがないのかもしれない」
「私がやりたい対人支援は本当にコーチングなのか?」

逃げ出したい気持ちからそんな言葉も浮かんでくるようになって、スランプ中の私はどんどんコーチングを楽しめなくなっていった。

でも、その一方でどこかコーチングと自分を信じたい気持ちも捨てられずにいた。そんな折れそうになってる私の心を救ったのは、たくさんの対話。

授業後の質問タイムで私の質問に真剣に向き合ってくれたリードのお二人。
お二人の経験による気づきのお話や問いはとても参考になった。
また、さすがコーチ!と言いたくなる暖かい言葉のギフトもたくさんいただいた。

ガチコーチング後の雑談や、個別で話そうと声を掛けてくれた同期の仲間。
同期みんながどんなことを感じていて、どこへ向かおうとしているのか。
どの対話も私に色々な癒しや刺激を与えてくれるものだった。

私の中に生まれていたネガティブな感情を自分自身が受け止められず、コーチングを好きでいたかったからこそ苦しかった。そんな感情を、私の代わりにみんなが肯定してくれることで、この感情はあってもいいものと受け止めることができた。

そして、それが次のアクションへの活力に繋がり、走り続けることができたんだと思う。

「アドバイスに従ってやり抜いてみるまではまだわからない」
「このままやり続ければきっと何か掴める」

その気持ちだけを頼りに、「わからない」をそばに置いて、愚直に教わった通り訓練を続ける。少し続けてみた頃、練習相手から嬉しいフィードバックを貰えるようになった。

「いままで受けたセッションの中でもかなりいい体験だったよ!」
「ばるちゃんがいつもより寄り添ってくれてる感じがした!」

セッションをしている私からは「うまくやれた」感覚なんてないのに、相手がすごく喜んでくれる。私はただ教えに従ってやってみてるだけ。なんなら、これでいいのか?と不安を感じながらやっていたから、すごく不思議だった。

そこでようやく気付いた。
セッションを「うまくやろう」としちゃいけないんだ、と。

大切なのは純粋な好奇心を相手に向け続けることと、私自身が評価判断をしないで居続けること。そして私が私のままでいること。ひたすらその純度を上げていくこと。つまり「在り方」。それがコーチングで大切なことなんだと気づいた。

(これらは基礎コースからずっと教わってきたことだったのに、その重要性に心から気づくまでが長かった)


さいごに

コーチングはスキルを高めることが大切だと思ってきた。
でも違う。コーチングは在り方が大切だ。


大きく変わったもの

一番は「私自身のコーチングへの向き合い方」だと思う。

はじめは相手の思考を整理するスキルだと認識していた。
だからテクニックを駆使して相手の頭をスッキリさせることに注力してきたし、行動に繋げるためのプッシュも大切にしてきた。

でも、背中を押したり、ただ障害物を取り除くだけでは、人は前に進めないことがあると気づいた。

そんなときは痛みとしっかり向き合い、受容し、癒しを得ることも大切

「癒し」というとカウンセリング領域に近いのでコーチングとしてはギリギリのラインかもしれないけど、心で寄り添うタイプのコーチングには癒しの力もある。(と、私は考えてる)

私は特に寄り添うコーチングが好きで、引っ張るタイプのコーチングよりも得意な気がしてる。でも人の痛みに寄り添うには、私がまずどんな話を聴いても動じないでいることが重要。

そのために、どっしり構えていられるよう自分の器をもっと広げていきたい。「私がどんな人間で、どう生きるのか」という在り方をさらに追求していくために、今自分自身もたくさんのチャレンジと向き合っている。


今後どう在りたいか

コーチとしては「酸素のようなコーチング」を提供していきたい。

クライアントが自分の内省に集中できるよう、私は私の存在感を強く出しすぎることなく、でも確かにそこに存在していて、相手を包み込むような安心感を与えられる。そんなコーチングを提供できるように、より自分の在り方を磨いていきたい。と、考えている。

(「酸素のような」と表現したけど、正直言語化が難しくて、まだうまくキャッチコピーがつけられないでいる)

同期というサードプレイスも得て、そこを足場により他の期の方との交流も増えてきた。人との関わりの中で私は育っていく。対話から得る気づきや刺激が私の栄養になる。すごく循環している感覚もある。

相変わらず私は誰とでも仲良くなれるわけではないけど、コーチング界隈には好きなタイプの方がたくさんいて、わりとみんなを好きな気がしてる。笑

コーチングの世界の外でも、少しづつ信頼できる仲間を増やせて行けるといいな。きっと探せば身近なところにもいるはず。これは今の私にとって、チャレンジのひとつかもしれない。

そうやって、少しづつ仲間の輪を広げながら自己の器を育てて生きたい。
これが、これから私が目指したい在り方。


…と、こんなところでおしまいにします。
5000字超えちゃった。笑

読んでくださった方、ありがとうございます!


出会ってくれたみんなも、ありがとう。
これからもぜひ仲良くしてね!

それでは、明日のマガジン更新もお楽しみに~🫶


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