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鹿を殺せ2

アメリカのイリノイ州にあるMという小さな街の小さな大学の大学院に留学していたときに鳥類学(Ornithology)のクラスを取った。

僕はそこで鳥の研究をしていた。研究対象は脚の関節だった。研究のフォーカスは鳥の形態、クラスのフォーカスは鳥の生態だった。テーマが『鳥類』ということ以外に、実際のところ、僕の研究とクラスとの間につながりはなかった。このことには初日まで気がつかなかった。

僕の指導教授は竜脚類を専門にする古生物学者だった。口を囲うヒゲがトレードマークの若い先生だった。顔を含めて身体全体がカクカクゴツゴツしていた。そんな厳つい見た目に反して先生はかなり穏やかな人で、あまり自己主張をしない僕に、小言も嫌味も言うことなく、三年も付き合ってくれた。

僕は恐竜の研究がしたかった。だから、先生から鳥の研究をふられたときは嬉しかった。なぜなら、鳥は恐竜だからだ。僕は鳥というフィルターを通して恐竜を研究していた。表向き、僕の手元には鳥の脚しかなかったけれど。

結果的にとはいえ鳥の研究をすることになった以上、鳥類への造詣が深いにこしたことはない。幅広く鳥類の知識を得るためと単位を埋めるために、先生のアドバイスもあって、僕は鳥類学を取ることにした。どっちみち修士課程の学生は単位も取らないといけない。僕は三年のうちに他にも動物学(Zoology)系のクラスをいくつか履修した。認めるのはしゃくだけど、鳥類学が一番楽しかった。

後で聞いたきいたところによると、僕の先生と鳥類学を担当する教授は仲があんまり良くなかったらしい。それでも、鳥の専門家は学部に彼しかいなかったので、鳥の授業となれば彼以外に適任がいない。たとえどんなにアレな先生だったとしても、彼のクラスを取る以外に道はなかった。

たしか鳥類学をとった次の学期、必修科目のひとつがその先生の担当だったときに僕の先生は「やめといた方がいい」と言って受講の先延ばしを勧めた。僕は素直にそれに従った。

鳥類学の先生はDr. Pといった。年齢は僕の先生と同じくらいだった。頭部を除けば若々しい人だった。

Dr. Pは言葉にあまり抑揚をつけずに話す人で、表情も真顔なことが多く、やや不気味ではあった。ただ、そんな先生でも感情の起伏はあったようで、授業中に自分の若ハゲをネタにジョークを言うことがたまにあった。そんなときには、静かだった教室の空気がより重たくなった。

Dr. Pは人が嫌いだったのかもしれない。ついでに鳥のことも特に好きというわけではなかったらしい。自分は社会生態学者で鳥類学者じゃない、というのが彼の本気なのかジョークなのかわからない口癖だった。初日の自己紹介で彼はこんなことを言った。

「たしかに鳥を専門に研究してはいるが、指導教授にやれと言われたからやっていただけで、最初から鳥が好きだったわけじゃないし、いまでも特別好きじゃない」

これはたぶん本当だろうなと思った。学生に決定権がない場合も多い。好きこそものの上手なれで成長するのが望ましいとはいえ、それが叶わないことは珍しくない。あたえられた役割をこなしていくうちに、好き嫌いは別として、人は成長してしまうものだ。結局のところ、できる人は何をやらせてもできてしまったりする。

『やらされた』という点でDr. Pと僕の境遇は似ていた(僕の場合は『任された』と解釈しているが)。違ったのは、鳥が好きか嫌いかということだ。僕は鳥が好きだった。だって鳥は恐竜だから。Dr. Pは何をやらせてもうまくやれちゃった方の人だったんだろう。なんといっても、なんだかんだ大学教授にまでなった人だから。

とはいえ、Dr. Pの鳥嫌いは伝わりづらい彼流のジョークか、でなければ、照れ隠しのようなものだったのかもしれない。実物の鳥を見てはしゃぐ彼は純粋な子どものようだったからだ。

鳥類学のクラスは週三回一時間ずつの教室での座学と週一回二時間のフィールドワークで構成されていた。フィールドワークというのは実際に外に出て動いている鳥を観察すること。つまりはバードウォッチングだった。十五人くらい乗れるフルサイズバンに乗ってキャンパスから少し離れた丘とか湖とか野原とかに行ってとにかく鳥を見た。

バンを運転するのはDr. Pだった。彼はときたま目的地でない路肩に車を寄せて望遠鏡で鳥を眺めた。早く降りたかったけど止まってくれたならまだ良かった。彼の視線は、車が少ないのをいいことに、運転中も道路と空を行ったり来たりしていた。脇見運転で揺れるすし詰め状態のバンの乗り心地は最悪だった。Dr. Pは、車内で唯一快適な運転席に座って、大好きな鳥を探していたからわからなかったかもしれないが。

わざわざ車で遠出するまでもなく、鳥はそこらじゅうにいた。春はとりわけにぎやかだった。春学期(一月から五月)のクラスだったから、三月の下旬頃になると、渡り鳥たちが街に戻ってきた。覚えないといけない鳥のリストが増えた。春になるとキャンパスを歩いているだけでたくさんの鳥を見つけた。その頃には無意識に鳥を探す癖がついてしまっていた。

コマツグミ(American robin)やホシムクドリ(European starling)は芝生に群れていてそこらじゅうで地面を突いていた。アオカケス(Blue jay)やショウジョウコウカンチョウ(Northern cardinal)は年がら年中木の枝に止まっていた。オオクロムクドリモドキ(Common grackle)は芝生をぼんやり歩いていた。アメリカムシクイ(Warbler)たちは藪の中にいて見つけにくかった。ツバメ(Swallow)は水辺を低く飛んでいた。ハゴロモガラス(Red-winged blackbird)は茂みのどこかで不機嫌そうに鳴いていた。セジロコゲラ(Downy woodpecker)は木の幹に高速でくちばしを打ちつけていた。

空を飛んでいる鳥は意外と少なかった。でも、飛んでいる姿しか見たことのない鳥が二種類だけいる。アカオノスリ(Red-tailed hawk)とヒメコンドル(Turkey vultuer)だ。二種類の猛禽は、遮るもののなにもないアメリカの平野部にある広大な農場で、渦まく上昇気流に乗って優雅に旋回していた。

空を飛んでいるということは見つけやすいということで、フィールドに出ればほぼ毎回どちらかを観察することができた。遠くの空に浮かぶ影は、大抵、アカオノスリかヒメコンドルだった。やっかいだったのは、見つけやすい反面、見分けにくいということだった。ただでさえ遠くにいるうえに、地上からだと黒い点か望遠鏡を使ってようやくでっかい鳥のシルエットがわかる程度だった。

当然Dr. Pは鳥たちの見分け方を心得ていた。とてもシンプルな見分け方だった。

「アカオノスリは翼を水平にまっすぐ伸ばして飛ぶ。ヒメコンドルは翼をV字型に立てて飛ぶ。
 これさえ知っていれば、望遠鏡がなくても彼らの見分けがつく」

――というのは慣れた人の意見で、アカオノスリだろうがヒメコンドルだろうが、たぶんハクトウワシだって、遠くで飛ばれたらどれも一本の線にしか見えないだろう。僕にはそうだった。

フィールドワークの最終日には試験があった。いつも通りみんなでフィールドを歩き回りながら、先々でDr. Pが指さした鳥の名前とその鳥の分類学上の階級(目と科)を答えるテストだった。テスト中にも案の定奴らは現れた。僕には角度の大きいV字のシルエットに見えたからヒメコンドルと答えた。不正解だった。

バードウォッチングでは見るだけでなく聞くことも重要だった。Dr. Pは学期中に覚えなければいけない鳥の声のデータをクラスに配布して、毎週のフィールドワークの前に小テストを出した。最終試験にも鳴き声当てがあった。「いま鳴いた鳥はな〜んだ?」こんなことで成績が決まる。

クラスのホームページからダウンロードした鳴き声のデータには様々な鳥の鳴き声が収録されていた。きれいな声の鳥もいれば、不快な声の鳥もいた。驚くほど鳴き方のバリエーションが豊富な鳥もいた。だけど、基本的にチュンチュン鳴くスズメのような小鳥にも種によって鳴き声に固有のパターンがあって、聞き分けるのは案外簡単だった。僕が目で見分けるよりも耳で聞き分ける方が得意だっただけかもしれない。

水平かV字かの見分けはつかなかったけれど、フィールドワークの試験は良くできた。バカみたいだけど毎週のバードウォッチングは成績全体の三割を占めていた。期末テストが四割だったからなかなかの比重だった。十六週間真面目に鳥を見続けたおかげでクラスの最終的な成績はAだった。

実のところ、僕にAをくれたのはある一種類の鳥だった。あのときその鳥の名前を思い出さなかったら、というか、その鳥がタイミング良く鳴いてくれなかったら、成績は一段階下がってしまっていた可能性がある。僕はその鳥に大きな借りを作った。いまさら返すこともできないけれど。

その鳥はフタオビチドリという。

フタオビチドリの英語名は『Killdeer』という。

どうしてそんな名前が付いたのかというと、そういうふうに鳴くからだ。甲高く震えるような声で"キルディアァーーキルディアァーーキルディアァーー"と、やたらに鹿を殺せと命令してくる。

Killdeerは、普通なら、ビーチや沿岸湿地帯にいる。アメリカ中西部で海からも五大湖のような大きな湖からも離れたところにある大学のキャンパス周辺になんて本来いるはずのない鳥だった。そんな鳥が、よりにもよってテスト中になぜか飛んできて、問題を探してぞろぞろ歩く僕たちの頭の上を滑空していき、目の前の芝生に着陸した。

めったに見ない鳥に興奮したDr. Pは嬉々としてそいつを問題にした。解答用紙の上で僕のペンは止まった。

それまで教科書の写真でちょっと見たかもしれない程度の鳥の出現に僕は焦った。Dr. Pのわかりにくいジョークのひとつで、ボーナスポイント的に、覚えるリストに無かった鳥をぶっこんできたとすら思った。そもそも「あの鳥な〜んだ?」みたいなテストだ。子どもみたいにはしゃいだ先生の悪ノリもあり得る。望むと望まざるにかかわらず、こんなことで成績は決まってしまう。

何も出てこなかった。それっぽい名前も浮かばなかった。いよいよ諦めて、もうジョークってことにしちゃおうと思ったときに鳥が鳴いた。

"キルディアァーー キルディアァーー キルディアァーー"

こんなことで成績が決まる。

鳥類学を受講して以来、僕は鳥に敏感になった。外でキョロキョロするようになった。周囲の音に耳を澄ませるようになった。友達に鳥の話をするようになった。そして嫌がられた。

単位は取れた。しかし、自分の研究とは結局つながらなかった。Dr. Pのクラスは二度と取らなかった。Dr. Pはいまも大学にいる。ちょっと偉くなって。

鳥を見つけて子どもみたいにはしゃぐDr. Pの気持ちは少しだけ理解できた……かもしれない。鳥は鳴くものと決まってるし、Killdeerがあのタイミングで鳴いたのはまったくの偶然でしかない。けど、ついさっきたまたま巡り会った野生動物と協力し合って何かを成し遂げたことに感動を覚えた。

いやいや、だからって鳥が特別好きなわけじゃないし。僕の鳥好きは恐竜好きの延長なだけだし。

気がつけばあれから十年以上が経つ。僕はしつこくあの瞬間を覚えている。動物と心が通ったのは——まぁ、そんな気がしたのは——あれが最初で、もしかしたら最後かもしれない。

Killdeerは、僕を助けると、またどこかへ飛んで行った。去り際、あいつはまた言った。

"鹿を殺せ 鹿を殺せ 鹿を殺せ"

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