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クンとサンの関係を考える(汗)

日本語がペラペラな外国人の友人に
「通訳になったら」と勧めたら
「私には無理です、敬語が難し過ぎて」と言われた😅
私達日本人は敬語を
人間関係のタテ、ヨコ、ナナメで微妙に使い分けている
これが方言になると親しさの度合い、距離感によって
ニュアンスが更に細分化される
日本人でさえ尊敬語、謙譲語、丁寧語を使い分けるのは至難の技だから
外国人にとっては尚更だろう

臨床心理学の岸田秀氏によれば、
人は一人の他者との関係を一つに固定することで
自己を安定させているという
例えば父と子、夫と妻、友人、親戚、師と弟子、理容師と客などで
関係性が二つになると自己が不安定になるという
例えば、失業した男が再就職したら上司が後輩だったという事もある
そんな時の抵抗感や違和感、敬語はどうするのか
自己同一性が揺さぶれてしまう☹

元ヤンキーだった若者が、何年ぶりに昔なじみの理容店に顔を出したとする
「お久しぶりです」
「お〜Y君じゃないか、あれ昔は剃り込みを入れていたのに随分大人しい髪型になったね」
「はい、無事大学を卒業して就職したものですから」
「へえ、それは良かった、あの頃は言葉使いもタメグチだったのにね」
「それは言わないで下さい、恥ずかしいですから」
「それで何処に就職したの」
「中学教師になりました」
「何処の?」
「A中学の一年B組を担任することになりました」
「えっ、そ、それじゃ息子の担任じゃないですか、Yさん、お茶でもいかがですか」(汗)ということになってしまう😅

ジャケットの坊やはチャンで、この少年はクンでしょう😅

悪ガキの成長を喜ぶと共に、なんとも微妙な思いを味わうことになる
それは「理容師→ヤンキー」の関係が「息子の担任→生徒の親」へと
相互の規定が転換する時のキシミの感覚なのだろう 

こういう複雑な感情、外国人には分からないだろうな😅

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