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國分功一郎「暇と退屈の倫理学」
いよいよ2022年8月も今日で終わり、本日は読み終わった本の紹介です。
読んだ本の紹介
![](https://assets.st-note.com/img/1661913210683-RYss6YNWog.jpg)
出版社:新潮社
発売日:2021年12月23日
文庫本:512ページ
内容:2011年朝日出版社刊『暇と退屈の倫理学』、2015年太田出版刊『暇と退屈の倫理学 増補新版』と現代の消費社会において、気晴らしと退屈が抱える問題点を鋭く指摘したベストセラー、あとがきを加え、待望の文庫化。
この本を読んだ理由
最近Netflixや映画館での映画鑑賞に加え、ドラマの鑑賞が増えたせいか、本を読む時間がグッと減ってきてしまいました。そして今月は選ぶ作品もエッセイやミステリーなど読みやすいものを選んでしまう傾向がありました。それを払拭しようとこの作品を選びました。
あらすじ
暇とは何か。人間はいつから退屈しているのだろうか。
答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろう。
感想
人はパンがなければ生きていけない。しかし、 パンだけで生きるべきでもない。私たちはパンだけでなく、バラももとめよう。生きることはバラで飾られなければならない。
序章でこう表現された暇と退屈。この2語について、哲学者の著作から多くを紐解き、倫理学的解決へと導く本書は、私のような無学のシニアにも言葉の上では理解できる作品です。
生きているという感覚の欠如、生きていることの意味の不在、何をしてもいいが何もすることがないという欠落感、そうしたなかに生きているとき、人は「打ち込む」こと、「没頭する」ことを 渇望 する。大義のために死ぬとは、この 羨望 の先にある極限の形態である。〈暇と退屈の倫理学〉は、この羨望にも答えなければならない。
暇と退屈が実は歴史的な観点から徐々に生まれてきた点と、それを良しと考えるのか悪と考えるのか、それはその時を生きている人に委ねられていることは間違いないです。
真意をわかろうとする苦しみを経て読み進めていくと
結論は本書を通読するという過程を経てはじめて意味をもつ。論述を追っていく、つまり本を読むとは、その論述との付き合い方を それぞれの読者が発見していく過程である。
そして著者がこう語る言葉に力をもらいました。
本書を読むこと、ここまで読んできたことこそ、〈暇と退屈の倫理学〉の実践の一つに他ならない。もうその実践のただなかにいる。
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