2016年のこと、たぶんこれが始まりの年。
お墓参りに行く場所、祖父母の家、親戚がいる街。
30年近くの間、私にとっての常陸太田や茨城とはそういう場所だった。父の仕事の都合で幼いうちに太田を離れ、水戸に暮らし、宇都宮へと転勤で移住。それからずっと、そういう街だった。
2016年のこと。世間的にはすっかり大人になって、転職も重ねつつ栃木に戻りランドセルを作る仕事に従事していた私は、いつものように仕事帰りに宇都宮駅ビルの中の本屋に寄り道。そこで見つけた本は茨城県北芸術祭のガイドブックだった。まさか、太田が芸術祭の舞台になるとは、、、!疲れを吹き飛ばす衝撃と興奮。興奮しつつ気づいたのは会期末は目の前に迫っているということだった。
なんとか都合をつけて行けたのは会期末、それも最終日だった。
行ってみてこのエリアのことをまったく知らないことに気づく。思えば、親戚の会話の中で聞こえてくる地名しか知らなかった。市町村レベルじゃなくてその街の超ローカルな地名である。栄町の、東町の、額田の、山下の、勝田の、台原の〇〇、、、。
勝手に知ってるつもりになっていた場所だったけれど、宇都宮から常陸太田へ向かう通い慣れた道以外まるで土地勘がなかった。太田の先がわからないのだった。太田から日立へ向かうのにナビで案内された道は細くてとても山で、なのに交通量はそこそこあってスリリング。1994年製のジムニーが唸る。山越え、きつすぎじゃないか、、。
日立に鉱山があったことも全く知らなかった。大谷石の採石場跡地を巡るツアーガイドをしていたり、産業遺産はとても好きなのに。今思えば恥ずかしいくらいの無知さ。無知さに恥入りつつもこんな場所があったのか!とワクワクした。
そして芸術祭。大好きな大みか饅頭に焼き印が押されているお土産やら(展示ではない!)、日立駅に御岩神社、日鉱記念館に高萩のきれいな海岸の展示。すごく楽しかった。想像以上に面白い展示ばかりだった。鯨ヶ丘はピンク色に染まっていて、じいちゃんちとばあちゃんちのある街はピンクか、、、となんとも言えない気分になったけれど。
終了時間ギリギリ、最後に滑り込んだ里山ホテル(これがあの”ときわ路”か!と初めて知る。)では、入り口に立つ地元の方が今日で終わりだから思う存分見ていきなー!と温かく迎え入れてくれた。
多くは見られなかったけれど、あの日の印象は今こうして書けるほど強く残っている。芸術祭があったおかげで、茨城に目が向いて面白い場所がたくさんあることを初めて知った。自らの意思でちゃんとこの地域に目を向けたのはこれが初めてのことだった。
この時はまだ、芸術祭の2回目を楽しみにしているだけだったけれど、今となればこれが全ての始まりだった。茨城県北と常陸太田という場所が私にとって帰省先以外の何かに変わったのはこの日だった。
その後もずっと情報だけは追い続けていたけれど、どうやら茨城県北芸術祭の2度目は無くなってしまったようだった。ウェブサイトがなくなり、残っているグッズを販売するという情報がSNS上で流れてくるのを寂しい気持ちで眺めていた。他の地域では継続しているのに、、と。アートと旅がくっつくのが楽しくてしょうがなかったから、各地で行われる芸術祭に毎年のように足を運んでいた。だから続いて欲しかった。茨城に行く理由がなくなってしまうのが寂しかった。
そんな失意の中で発見したのがメゾン・ケンポクという新たにできたであろう場所だった。