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ババもん 〜下町ミシュラン〜

 文章を書くのは久々で。何から書き始めようかと思案していたら、note募集中のページに、なんとなく書けそうなものがあったので、リハビリがてら文字にしてみようかと思う。

「ご当地グルメ」なんていう言葉は、僕が子供の時にはなかったと思う。だから、これから紹介する食べ物は、グルメなんていう横文字が似合うような洗練されたものではない。

僕は、東京の下町で生まれた。一応は浅草が最寄駅で、実際には駅から自宅まで徒歩20分ぐらいの辺鄙なところなのだけど、人から出身地を聞かれた時は、面倒なので浅草だと答えている。

当時、僕が生まれ育ったその界隈は、今や"絶滅危惧種"である駄菓子屋が、小・中学生の社交場として、まだかろうじて機能していた、古き良きノスタルジーな時代だった。

今思えば、リタイヤした老夫婦が、自宅の1階部分を改装して、暇つぶしに小銭を稼いでいるような店が多かったと記憶している。

ふとした時に、特別な理由もなく、子供たちだけで気軽に立ち寄れる店。大人が喫茶店に行くような感覚で、僕たちは駄菓子屋を利用していた。

そんないくつかある駄菓子屋の一つに「ババもん」と呼ばれる店があって。そこには、他の駄菓子屋にはない、特別なシステムがあった。

年季の入った木造民家風の狭い間口から店内に入ると、お世辞にも広いとは言えないスペースを惜しむかのように、所狭しと駄菓子が並べらている。

ここまでは他の駄菓子屋と同じだ。しかし、店の奥に歩を進めると、お好み焼き屋のような、鉄板と一体になったテーブルが鎮座している。4人も座ればギュウギュウの、古びた狭いテーブルだ。

そう、この店は、当時でもすでに珍しかった「もんじゃ焼き」を食べさせる駄菓子屋だったのだ。多くの駄菓子屋が、老夫婦によって営まれていたのとは違い、この店は老婆が一人で切り盛りしていた。

ババアがもんじゃを作ってくれる店。略して「ババもん」として、界隈の通な小・中学生からカルト的な人気を誇っていた。

もんじゃ焼きと言っても、浅草の一等地や月島なんかで食べる豪奢なものではない。ここは下町浅草の外れ、しかも駄菓子屋だ。

値段は100円からの量り売りスタイルで、デフォルトの具材は、ババアが刻んでくれたキャベツと、少量の揚げ玉だけだったと記憶している。

加えて、10円の魚肉ソーセージを買うと、それも刻んでもんじゃに入れてくれる。仲間と鉄板を囲み、うっすら醤油で色付けされたもんじゃを焼いて、小さいヘラで熱々をチビチビ食べる。すると、なんだか少し大人になった気分がしたものだ。

当時僕は、30円のビッグカツが大好きだったので、ある日、それを買ってもんじゃに入れてくれとババアに直談判したところ、「できない。入れたければ自分で入れろ。」と言って刻んでくれなかった。

曲がりなりにもこの地で数十年、もんじゃを作り続けてきたであろうババアの、拘りとプライドを垣間見た瞬間だった。

最後に「ババもん」へ行ったのは、確か中学3年生の時だったと思う。高校は地元から少し離れた学校で、部活も忙しくなってしまい、すっかり足が遠のいてしまった。

それから数年後、「ババもん」が閉店したと人伝に聞いた。いつも、しかめっ面でキャベツを刻んでくれた、無愛想なババアのもんじゃを食べることは、だから、もう叶わない。

大人になってから、具沢山で値段も大きいもんじゃを食べる度に、確かにそれは美味しいのだけれど、「何か違うな」という違和感を拭えないでいる。

いつも、シワだらけの手でキャベツを刻んで、薄い醤油の匂いがするもんじゃを食べさせてくれたババア、どうもありがとう。


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