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[ベトナム考察]なぜベトナム人はクオリティの低い嘘をつくのか

 ベトナムに住んで約3年。今回は、ベトナム人についての考察ということで。もし、ベトナムの方が読んで、気分を悪くされたらごめんなさい。

僕が住んでいるのは北部のハノイなので、中部や南部では、もしかすると違うかもしれないけれど、

「嘘」

これが非常に多い。それも、誰が聞いても100%嘘だと分るようなクオリティの低さだ。

例えば、あるスタッフが仕事に遅れてきた。「髪を洗ってもらいに美容院へ行ったら、美容院の時計が壊れていたので遅れた」というようなことを平然と言ってくる。まずエクスキューズが先で、謝るのは二の次。もしくは謝ることを極端に避ける。

まあ、日本ではないので、「ごめんなさいテヘペロ♪」みたいな感じで言ってくれれば(以前、語学留学したフィリピンはそういうチャーミングな人が多かった気がする)まだ可愛げがあるものの、まるで可愛げなく、ふてぶてしいのが特徴だ。自分に非がないことを真剣に、全力でアピールしてくるものだから、こちらも怒るというよりも感心してしまう。

しかし、この小さな「嘘」が、ベトナム社会では日常的に繰り返され、社会生活を円滑にするために一役かっているというものまた事実。

こんなこともあった。ベトナムでは、会社を退職する際に「バックレる」ことが多い。給料日の翌日に飛んだとか、旧正月で田舎に帰ってそのまま戻らないとか、そんな話が多い。そして、会社に事後連絡がくる。「病気になった」「田舎で結婚した」「家族が病気だから看病しなければならない」大体、こんな感じのテンプレートが並ぶ。

ある時、管理職をしている知り合いのベトナム人に、これらのことを、それとなく聞いてみた。彼は、歯切れ悪くこう言った。

「もちろん嘘なのは分かっているよ。でも、相手がそう言うのだから、どうすることもできない」

つまり、面子を重んじるこの国では、嘘も方便。どんな時も相手を立てなければならないのだ。

しかし、それでうまく回っているのがベトナム社会の不思議。よほど大きい嘘でなければ、相手にも詮索されないだろうし、最後まで自分の面子とプライドを守ることができる。日本と比べて、嘘に対する許容範囲が広いというよりも、認識そのものが違うのだろう。

いまだに賄賂などが幅を利かせているこの国では、物事にはっきりと白黒をつけるのが苦手な人が多いようで、日本のように、嘘を100%悪だとは認識していないのだろう。

それが良い悪いではなく、ただ、そこに違いがあるということ。そう自分を信じこませ日常をやり過ごす術を、この3年間で身に付けた。

ただ、そうはいっても、多額の借金を踏み倒したりだとか、人命に関わるような嘘、相手をひどく傷付たりするような場合は許されるはずはなく、そのあたりの線引きがベトナム人の中ではあるのだろうけど、いまだそのラインを把握できずにいる。

ちょうど旧正月も明けたことだし、今年の目標としては、そのラインを把握すべく、勇気を出して小さな嘘を積み重ねてみようと思う。もちろん、極力相手に被害がないように。果たして、ベトナム人に「嘘ついてんじゃねえ!この日本人が!」とブチ切れられる日は来るのだろうか。そうなれば大したものだ。




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