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イタリアンレストランで感じたボーダレス社会

先日、同じアパートに住んでいる友人数人と、ハノイ市内で有名なイタリアンレストランに足を運んだ。

メンバーは、日本人2人、ベトナム人2人、そしてアメリカ人1人だ。このアメリカ人がなかなかの食通で、日本食についてもやたらと詳しい。「ダシは昆布や鰹節でとらなければならない」とか「日本酒は辛口に限る」とか、その知識を惜しげもなく披露してくれる。

今回のイタリアン訪問も、そんな彼たっての希望だった。イタリアンとはいってもピザがメインの店で、ハノイに住んでいる人だったら、この情報だけで店の名前が分かってしまうくらい現地では有名な店だ。

僕は、2年前ぐらい前に一度その店に行ったことがある。本格的なイタリア料理店のようにキチンとした釜があって、生地から丁寧に伸ばしたピザを、次から次へと焼いていた光景を覚えている。

味も確かに美味しかった。その時は多分マルゲリータを食べたのだけど、日本に住んでいた頃、友人のイタリア人が「日本のピザはまずいけど、ここのは美味しい」と連れて行ってくれた店と同じ味がした。

タクシーに30分程揺られ、店に着いた。さすがに人気店だけあって、平日なのに混雑している。予約していなければ、数十分は待たされただろう。オーダーは、今回の発起人であるアメリカ人に任せた。

このアメリカ人は自称科学者で、いつも毛深いヒゲ面に、くたびれたポロシャツとチノパンを合わせ、割と崩れた感じではある。でも、「さすがだな」と思ったのは、注文の時だ。

スープ、アペタイザー、サラダ、メイン、ワインはフルボディでなんたらかんたら、といった感じで、ちゃんとその場に相応しいオーダーをしてくれた。別に特別なことをしているような感じではなく、ごく自然に。

提供時間についても、スープが終わったらサラダ、サラダが終わったら次は、、、という風に、細かくウェイターに注文をつけていた。

この店は、ものすごく高級店というわけではないけれど、ローカルの店と比べると数倍はするし、何より欧米には、こういったキチンとしたレストランで、キチンとしたオーダーをする文化があるのだな、と感心した。

彼が選んだスープは、クラムチャウダーだった。アサリのダシがよく効いていて、ベーコンの塩気と濃厚なクリームが絡み合い、とても美味しかった。彼によると、クラムチャウダーは伝統的なアメリカ料理らしい。知らなかった。

続けて、こんなことを言った「今、私たちはベトナムのイタリアンレストランにいる。メンバーは、ベトナム人、アメリカ人、日本人だ。そして、みんなでアメリカのスープを飲んでいる」彼の言葉に深い意味はなかったと思う。でも僕は、彼の言葉にひどく感心してしまった。

今この瞬間、僕たちの間に、国籍という括りはないはずだった。僕にとってベトナムは「外国」だ。ここで「外国人」として受けられる恩恵と「外国人」だから被る障害の二つを味わってきた。

でも、今はそんなことは考えなくても良いのだな。久しぶりのワインにフワフワとする頭の中で、そんな風に考えていた。

スープのあとに食べたサラダも、ピザも美味しかった。「また月1ぐらいで食事に行こう」別れ際、誰かが言った。異国でのこの縁を大切にしたいと思う。


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