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復職。病気のこと詳しく書こう②

①はこちら

そういえば休んでいることに対して、後ろめたさや焦りを感じたことはない。一度もない。
上司(とても信頼している)からたまにLINEで病状確認の連絡が来て、最後に必ず「とにかく焦らず!じっくり治して!」と伝えてくれたことも影響していると思う。

療養中はとにかく好きなことだけやって過ごしていた。

「病気なのにライブ行ってるの?」「ふらふら遊びに行けるとか元気じゃん?」と非難する人もいなかったし、自分でも、そんなことしていいのか?とは思わなかった。
万が一そんな意地悪を言う人がいたら、「本当に調子が悪いときは何にもできないし、隙を見て出かけてる感じだ!分かってくれ!てか助けてくれ!」と言いたい。
前もって予定が決まっているときは、その日に向けてコンディションを整える。
でも調子をうまくコントロールできたらそもそも病気になっていないわけで・・大きめの予定を入れることは一種の博打だ。ハーすげえ面倒くさいよ。

あと大事なことで、自立支援医療制度のお世話になっている。
これを受けることで医療費の自己負担額が1割で済むのだ。かかりつけの病院と薬局だけに限られる(どの病院・薬局かは申請時にこちらから指定)。
もちろん何もしないと3割負担だから、通院の積み重ねでこの金額差はとても大きい。

なのに!
担当医も薬剤師もこの制度の存在を知らせてくれることはほぼない。

申請してから遡って過去の医療費は還元されないし、こういうところでリサーチ能力の差が出るのは非常に良くないと思う。病院はこの制度を患者に知らせていくべきだ。

僕は通院2回目で担当医に自立支援を受けるための診断書を書いてもらい、市役所で手続きすると即日有効の仮受給者証が発行された。3回目の診療から晴れて1割負担となった。

では続きを書いていく。

◎6月頃~

10時前には起床できるようになってきた。
入眠もいい感じで、睡眠薬は半分に割って飲んだりし始めていた。もちろん担当医の許可をもらって。いや、その前からこっそり・・
体調は万全じゃない日もあったけど、徐々に電車に乗っての外出を心掛けるようになる。

電車乗るだけでエネルギーを使うから、出かけることには明確な理由が必要だ。

幸運にもカレーにハマり始めたのは同じ時期。
色々な店のカレーを食べに行くという、絶対的な用事があったことはラッキーだった。

6月後半には復職未遂。しかし生活リズムが全然整っていなかったので産業医に退けられる。
「会社的としては勤務しながらの回復は考えていないから、ほぼ完全体になってから復帰してくれ」という旨の内容を告げられた。
正直言ってまだ心の準備ができていなかったから内心ホッとした。
そこからはもう、休職し始めてから○ケ月・・というのは気にするだけ損だと思い直すことに。
だって、身体が言うこと聞かなかったら何も意味ないし。

というわけで特に時期の目標は立てなかったけど、復帰に向けて「模擬出勤」なるものを開始。
担当医も産業医も「決まった時間に決まった場所に行って作業するのがいい」と口を揃えて言う。明確な目的がないと続けることはなかなか難しい。カレー食べるだけでは足りない。

結構考えて、ハードルを低めに設定。週の半分は午前中の電車に乗って、漫画喫茶に出勤すると決めた。
漫画喫茶でネットサーフィンだと「家でもできるし・・」となってしまうので、MAJORという野球の長編漫画を読みふけった。あとクーラー効きすぎるので羽織るものは必需品だったなあ。

そして8月頃、夏の盛り。

帰り道の途中で「よし、いっちょ走ってみるか!」といきなり600mほど家までランニングした。筋トレだけでは体力の低下を防止しきれないから。
今考えるとおそろしく飛ばした。家に着くころにはバテバテで視界がぐるぐるしかけていた。
でもこの無茶なきっかけで、なぜだろう。走ることの面白さに気づいた。趣味としてのジョギングが今も続いている。今では1時間くらい、10kmほど走れるようになった。

ここで一つお金の話を挟もう。
この間の収入はどうなっていたか。

結論から言うと、会社からの賃金を全額受け取れていた。
5月に有休を使いきったタイミングで、傷病手当(給料の3分の2もらえる)に切り替えないとと思い会社に連絡を入れた。
すると、なんと10月分までは給料が出るとのことではないか。意外といい会社だなとそのとき思った。
欲を言えばそれをもっと早く伝えてほしかったけど、こちとら休んでいる身分なので「なんだか申し訳ないですが、了解しました」と淡々と返事した。

僕は傷病手当を受ける前に復職できたけど、手当をもらうのにも担当医の診断書が必要だ。
その診断書を会社が確認し、OKを出すと健康保険の組合から手当が支給される仕組みである。最長で1年半もらえる。
診断書は自立支援の適用外で、発行には3240円かかる。休職、自立支援申請、傷病手当と3回とも完全に従量課金制だ。結構財布に厳しい。

そうこうしているうちに朝にも起きられるようになり、生活リズムが整ってきた。アラームは相変わらずかけなかったけど・・

また復職に向けての面談が決まった。

普通に出勤するためには朝6時過ぎには起きないといけない。この生活では早くて8時くらい。
ここは不安でもなんとかするしかないし、産業医にハッタリかませるくらいのマインドがなければ営業職は務まらないと思った。また、それを遂行できるくらいに回復していた。
面接で「今は7時半くらいに起きてますが、それは早起きする意味がないからで、早起きは全然いけます!」と元気にアピール。
そうしてやっと、復職OKの判断が出たのだった。10月中旬のことだった・・

◎直近の目標

仕事は無理しない。誰がやってもいいようなグレーゾーンの業務を引き受けすぎない。

ちょっと調子悪いと思ったら会社休む。数か月の休職より1日、2日不在のほうが迷惑かけずにすむ。

会社関係のあらゆる忘年会に出ない。

◎おわりに

病気のことを知っている知り合いに会ったとき、「聞いていいのか?」という雰囲気を感じることがあったことも、今回の執筆に踏み切った理由の一つだ。
そう思うことは当然だろうし、聞くか聞かないかでいったら後者のほうが正解だろう。たぶん僕だってそうする。
僕としては聞かれる分には全然かまわない。でも逆に自分から積極的に話すようなことでもないと思っている。
noteに書くというのは、距離感としてちょうどよかった。

今回は「ほぼ寛解」と診断されているものの、また再発するかもしれないし、しないかもしれない。
ただ、可能性はあるという動かしようのない事実をしっかりと肝に銘じて、なんでもない日々を健やかに生きていきたい。

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