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なぜ職場の飲み会にいかないのか?

私は、職場の飲み会には参加しません。
コロナ禍を経て、自分には飲み会が必要ないこと、むしろ害であることに気づきました。

冠婚葬祭や餞別等で、職員同士で金品のやりとりもしないと決めています。

職場の同僚会にも入会していません。

どうしてか?
障がい児支援の仕事をしている私。
障がい児やその家族の方とじっくり向き合ってサポートしたいから。

「???」
「飲み会とは関係ないですよね?」

おっしゃる通り。
ごもっとも。

なんですけど、
情けない話ですが「違う方向」をみて仕事をしてしまうんです。
職場の同僚であったり、上司であったりですね。

私がHSS型HSPだからか、職場の風土なのか理由は分かりませんが、
同僚から言われること、同僚がやっていることが気になって仕方がないんです。
上司の言われたとおりにやって、同僚の動きをみて行動すれば、波風立たないし、スマートのは分かっています。

ですが、そこに意識が向きすぎておかしくなっているのに気づきました。

私が一番向き合うべきは、
言葉で伝えるという手段をもっていない子ども
自分の感情や思いをうまく言葉にできない子ども
私に課せられたミッションでもあります。

なので、子どもの表面上の言動ではなく、
言動の意味、かかえている感情を知りたいと、子どもを観察し、よりよいかかわりを模索しています。

同僚に忖度しすぎると、その本質的なところができなくなってしまうんです。

私がやっている支援を、消極的な対応ととる同僚も少なからずいます。

子どもの口から出た言葉だけをとらえて、
「それはわがままだ」と子どもにつよい口調で叱責する職員

「ちゃんと指導しないといけないでしょ?子どもがつけあがりますよ」と私に忠告?する職員
私の対応が消極的な対応に見えるんでしょうか。
それとも自分とは違うやり方を受け入れられないんでしょうか。

私が子どもの言動の意味を知りたいと、観察しているのをぶち壊していく職員もいます(泣)

私の仕事上の強みは、
子どものわずかな変化を感知するセンサーをもっていることと、
子どものホントのトコロまでたどり着く深い思考だと、
自身をとらえています。

それを活かすためには、同僚との距離感も大事だと思っています。
同僚との関係に重視しすぎると、子ども支援の対応がぶれてしまうんです。
もちろん同僚との良好な関係が大切なのは分かっているんですよ。

ただ、繊細で傷ついている子どもの心に、ずけずけと土足で入っていくような、浅はかな対応をする同僚には、忖度したくない。

そこを忖度しちゃうと、子どもを守れないんです。

同僚の感情を敏感に感じ取りすぎて、忖度し、失敗したこと、数知れません。
チームで仕事をするのは、難しいですね。
自分とは相いれないと感じるお考えの人との付き合い、とてもしんどいです。
自分を貫く強い心や、鈍感力も必要なんでしょうね。

私は器用な人間ではないと自覚しています。
障がいのある子どもとの関係
職場の同僚との関係
両立はあきらめています(汗)

であれば、本来のミッションである子どもの支援に私の限りある労力を使いたい。

同僚会への入会
職員の飲み会の参加
職員同士の金品のやりとり
していません。
それは、私なりのバランスの調整なんです。

(ちなみに、上記のことをやめて2年目ですが、特に困ったことは発生していませんし、村八分にされているとも感じません。むしろメリットを感じることもあります。)

同僚への気配り、忖度を減らして、
その分、脳のリソースを子どもへの支援に回したい。

私の中で、同僚の存在は大きくて、時に怖い存在でもあります。
気になって仕方のないことも、ストレスの原因になることも多いんです。

なので、同僚に忖度して、子どもを蔑ろにするリスクは人一倍高いし、
実際に失敗もしてきました。

もちろんそんな同僚ばかりではないですよ。
私の手本となるような素晴らしい支援をされている方も大勢いらっしゃいますし、プライベートでも仲良くしている方はいます。
そこは強調させてください。

飲み会に参加しない理由
それは、自分なりのバランス調整。
いい仕事をする上で、同僚との距離感は大切だと思っています。
同僚とは是々非々でものを言える関係が理想ですね。難易度は高いので、今後もトライ&エラー、前言撤回を繰り返しながら調整していくつもりです。

いつもより記事が長くなりました。
同僚との関係には悩まされてきたので、ついつい力が入ってしまったのかな。

最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

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