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セクシュアリティのグラデーション

みなさんは
自分が「好きになる性別」を、はっきりと自覚していますか?

私はセクシュアル的に言うと
バイセクシュアル、つまり男性も女性も好きになったことがある。

読んでくださっている方の中にも
ストレートの方もいれば
LGBTやパンセクシュアル、ノンセクシュアル(ノンセクシュアルは「性的指向」には該当しないかもしれないけれど)など
性的少数派であることを自覚している方もいると思う。


では
自分が好きになる性別を
「男です!」「女です!」「どっちもです!」と
断言できる人は
果たしてどのくらいいるのだろうか。


私は昔から女性アイドルが好きだ。
男性アイドルや、俳優には、まったくと言っていいほど興味がなく
中学生くらいの頃からずっと
「かわいい女の子」に目が無い。

好きなアイドルやタレントのグラビアは必ず立ち読みするし
(ごめんなさい、ときどきはちゃんと買っています)、
好きなアイドルの写真集の中の、ランジェリーカットをみて
あれやこれやと妄想したり
実際に性的な気分の高まりを感じることもある。
(不快に思われた方がいたら申し訳ない)

私は芸能人に「ガチ恋」するタイプではないので
推しのアイドルに恋愛感情を抱いたことはないけれど
周りの女友だち達に比べると
純粋に「こうなれたら」といった”憧れ”の気持ちだけではない気持ちを
持つことがあるのはたしかだ。

「お前、目の付け所が男みたいだな笑」と言われることも、よくある。
(「男みたい」「女みたい」という言い方が正しいかどうかの問題は、ここではいったん置いておく)


ただ、現実世界で
実際に恋愛をして、付き合ったことがあるのは
今までずっと、男性だけだった。

女性とは、付き合ったこともなければ、告白したこともないし
「カップル」という関係になりたい、と思ったことすらなかった。

だから私もあるときまでは
自分をバイセクシュアルだとは思っていなかった。

女性に対してドキドキすることがあるだけで
付き合ってきたのは男性だけだし
自分は、ちょっと人より同性が好きな、ストレートだろうと思っていた。

ストレートだと思っていた、というよりは
それ以外の可能性を考えたことがなかった、という方が正しいかもしれない。


でもあるとき
同じ職場の女性の先輩を、すごく好きになった。
今まで周りの女性に抱いてきたような
人として好きだとか、憧れだとか、そういう感情だけじゃない
恋愛的な「好き」という気持ちを
そのときはじめて、女性に対して、はっきりと自覚した。

席替え(オフィス内で月1席替えがあった)では
隣か正面の席になれるとめちゃめちゃ嬉しかったし、
貸してもらったフリクションのペンは、
家宝として筆箱に入れておきたかったし(ちゃんと返しました)、
お昼休憩の時間がわざとかぶるように、チラチラ様子を伺ったし、
喜んだ顔がみたくて、何もない日にプレゼントをあげたりした。

そもそも
恋愛的な「好き」と、そうじゃない「好き」の感情のちがいを
自分の中ではっきり自覚できている人なんて
いるのだろうかと思ったりもするが
少なくともそのときの「好き」は
確実に恋愛的な感情だった。

そうして私は
自分のセクシュアリティを自覚したわけだけど

それでは果たして私は
「そのとき初めてバイセクシュアルになった」のだろうか。
それとも
「生まれた時からバイセクシュアルで、その時気づいただけ」なのだろうか。

同性のアイドルを応援している人は
みんな「純粋な憧れ」の気持ちで
カワイイ、カッコイイと思っているだけなのだろうか。
それとも
本当は異性に抱くのと同じような気持ちを感じているのに
自分でも気づいていないだけなのだろうか。

異性としか付き合ったことがない人は
本当に、異性しか恋愛対象ではないのだろうか。
それとも
自分を好きになってくれる人がおおかた異性の場合が多いから
結果的に異性としか付き合ったことがないだけなのだろうか。


世の中はよく
セクシュアリティをはっきり分けようとする。

「異性愛者ですか?それとも同性愛者ですか?」
「性自認は男性ですか?それとも女性ですか?」

「普通ですか?それとも、ちがいますか?」
って、聞くように。

でも
その境界線をはっきり認識している人なんて
本当はいないんじゃないかと思う。

はっきりしているのは生物学上の性別だけで
身体が女性だから、当たり前のように
自分は女性だと思っているけれど
自分の心のどこかに「男性的な自分」は確実にいるし、

自分は、「女性として」女性を好きになっているのか
女性を好きになるときは、「男性として」好きになっているのか

自分は今後もずっと、男性も女性も好きになるのか
それともどこかのタイミングで
完全な同性愛者、もしくは完全な異性愛者に変わるのか

そんなこと、自分でもはっきりわからない。

もちろん
物心ついた頃から
自分の身体の性と、心の性がちがうことをはっきりと自覚して
強い違和感を覚える方もいる。

「自分は同性しか(または異性しか)好きになりません!」
と自信を持って名言できる人もいると思う。

でも
みんながみんな、そうじゃない。

線グラフでたとえると
線の最極端にいる人もいれば
真ん中くらいにいる人もいる。

こっちか、こっち
ってきれいに分けられるわけじゃなくて

どのくらいこっち寄りなのか、そっち寄りなのか
みたいな

左に100%振り切っている人と、右に100%振り切っている人が
世の中的にみると「わかりやすい」だけで
左70%の人もいれば、右に30%の人もいるし
本当に真ん中の、0(ゼロ)の人もいるかもしれない。

しかもそこに
時間という軸だって関係する。

今は左寄り20%でも
明日は左50%かもしれないし
1年後は右寄りに傾いてるかもしれない。


そうやって考えると
セクシュアリティは、グラデーションのようなものだな
と思う。

赤か、青か、なんてはっきりとわけられないし
ひとつひとつの色と色の境界線に
無数の「間の色」が存在していて
自分の"色"が何色かなんて
本人にもわからない。

きっと
「LGBTなんて自分にはぜんぜん関係ない」と思って生きている
完全なストレートの人だって
本当は、このグラデーションのどこかの"色"に属するんだと思う。
ただ、自分の性に疑問を持つ機械がないだけに
それを自覚するきっかけがないだけで。


よく日常的な周囲の会話や、テレビ番組の会話の中で
喋り方が「オネエ」っぽい男性に対して
「ゲイなの?ストレートなの?」的な質問をしていたりする場面を
ときどき目にするが
(そして言われた本人たちは慣れっこで、「女の子が好きですよ〜」なんて笑って受け流していたりするけれど)

こっち側か、あっち側か
じゃなくて
グラデーションなんだ
いう感覚がもっと浸透すれば
傷つく人も減りそうなのにな、と思う。

そう言うあなただって、いつか「こっち側」であることに
疑問を抱く瞬間がくるかもしれないですよ?

って言いたい。

セクシュアリティのことを例に挙げてお話ししてきたが
たとえば、心の病気ひとつとっても

「ちょっと気落ちしているだけ」なのか
心の病気になってしまっているのか

心の病気になりやすい繊細なタイプの人か
そんなものとは無縁のメンタルが強いタイプの人か

そんなふうに、真っ二つには
分けられないと思う。

誰だって
いろんなグラデーションの中にいて
そのグラデーションの中を
日々動きながら生きている


そんな捉え方が広まれば
ちょっとだけ、生きやすい世の中になりそうなのにな
と思っている。


今日はこのへんで。

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24歳/新卒2年目の会社員/エッセイスト,コラムニスト/早稲田大学文化構想学部卒業/趣味は美少女鑑賞です