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【元適応障害】僕が本当にやりたい仕事について

自己紹介

こんにちは。バナボ千尋です。
僕は社会人2年目に適応障害で休職し、3カ月で復職したサラリーマンです。
現在も適応障害やその他精神疾患に悩む方に向けて、克服のヒントとなるブログを書いています。

僕自身のリアルな体験談は以下記事に書いていますので、気になる方は読んでみてください。

あなたの本当にやりたい仕事は?

価値提供が仕事だとするならば、どんな価値提供がしたいでしょうか。
僕は「人々のストレスを軽減する」です。
僕はストレスに悩む父をずっと見てきました。
アルコール依存となり、酔っては母を殴る。家の壁に穴を開ける。ドアを蹴り破る。ものを投げる。大声で死ねと叫び、警察が家に来たこともあります。
そういう時の父はとても同じ人間とは思えませんでした。

給料のとても良い金融系の大手企業に勤めているのに、仕事に行く前も仕事に行った後も常に愚痴だらけでした。

その後、父と母は別居をしました。
母は介護施設で働き始め、日勤と夜勤を繰り返していました。

ある日、母が離婚の相談を兄と姉と僕にしました。
兄と姉は離婚に賛成でしたが、僕は反対したそうです。
「お父さんのいない子供になりたくない」と。
微かに覚えています。

そして、父は5年間の別居を経て帰ってきました。

帰ってからの父はたまに怒ることもありますが、別居前ほど暴れてはいません。
別居解消から10年以上経ち、今ではだいぶ落ち着きました。

姉は思春期に父と暮らすことをかなり拒絶していましたから、高校は寮生活、大学は一人暮らしでした。今は姉も落ち着いて、父との時間も少しずつ増えています。

兄は学生時代は実家に暮らしていましたが、1番父と衝突することが多かったです。社会人になってから父と大喧嘩をし、そのまま家出をしました。
たまに帰省しているようですが、父と顔を合わせないそうです。

家族が一度だけ一つになった景色を鮮明に覚えています。
妹が生まれた時です。
僕が中学3年生の時、妹が生まれました。ほぼ崩壊していた我が家に舞い降りてきた天使です。

生まれたての妹を父、母、兄、姉、僕の5人が囲って、みんなで笑っていたんです。間違いなく人生で最も心が幸せに満たされた瞬間でした。
その時気がついたんです。
僕にとって家族みんなの心が1つに揃っていることがこんなにも大切なことなんだなと。

そして、暴走していた頃の父のストレスマネジメント能力が高かったら、どんなに我が家は幸せだったんだろうかと。
そんなことを今でも思っているんです。
別に過去を否定するつもりは全くありません。
でも、そんな気持ちがずっとずっと消えることなくあるんです。

だからきっと、僕は人のストレスケアに携わる仕事がしたいんだと思います。

実現できるといいな。

あなたのサポートで僕の活動を応援してください! 適応障害は年々増加傾向にあります。しかし、その病気についてはまだまだ知られていません。症状が改善しても悩んでいる人はたくさんいます。僕は実体験からこの病気について発信し、適応障害に悩む人々の安心できる社会を実現したいです。