25センチメートルの憂鬱

 ここがあと少しだけ違っていたら、もっと楽に生きられたかもしれないのに、と思うことはいくつもある。その中でもよく考えるのが、「もう少しだけ足のサイズが小さかったら」だ。

 私は足のサイズが25センチある。作りの大きい靴なら24.5センチがギリギリ入らなくもないが、かなり無理をしてねじ込まないといけない。
 そして、女性の靴のLLサイズは、大体のブランドで24.5センチが基準になっている。つまり、25センチ以上からは履ける靴の選択肢が一気に狭くなるのだ。

 もちろん大きいサイズ向けの専門店もあるし、GUやユニクロや無印、H&MやZARAでも25センチ以上にサイズ展開していて、探せばそれなりに見つかりはする。だけれど、ふらっと入った靴売り場で気に入ったデザインの靴を見つけた時、自分に合うサイズがある可能性はあまり高くない。通販でも同じで、最近は25センチまでの展開が以前よりだいぶ増えた印象はあるけれど、安くて可愛い商品のサイズを見たらLLまでしかないということはまだまだよくある。

 足のサイズで一番苦労したのは、会社員として働いていた頃だ。当時は靴売り場以外で靴を買うと言う発想がなくて、いつも24.5センチの安いパンプスに無理やり足をねじ込んでいた。毎日、ただでさえ幅広のつま先は纏足のように不自然に締め付けられて、踵には食い込んだ跡がくっきり付いた。それでも我慢すれば何とか履くだけは履けたから、自分に合う靴を探し出すよりも、きつい靴を無理に履く癖が付いてしまっていた。

 いつも足が痛かった。足指にはタコや魚の目もできて、爪は巻き爪になってしまった。毎朝玄関先では、靴べらを使ってぎゅうぎゅうと踵を靴に詰め込まなければならず、時間も取られた。合わない靴を履き続けると言うのは、想像以上に生活の質を下げるものなのだ。
 私よりたった0.5センチ足が小さい人たちはこんな思いをしなくて済んでいるのに、何の因果でこんな苦労をしなければならないのだろうと、何度も思った。

 今思うと、24.5センチの靴は、まるで私の会社員生活そのものだ。
 明らかにフィットしていないのに、無理をすれば合わせられない訳でもなかったから、我慢して、自分を「普通の会社員」と言う形の中にねじ込んで、いつも窮屈な思いをしていた。靴の中でいびつに変形した足は痛みを訴えていたのに、私は「足が入るのだから履けているのだ」と自分に言い聞かせて、量産型の24.5センチの靴で足を締め付けるように、正社員として働くしかないのだと言う価値観で、自分自身を締め付けていたのだった。

 そうして病気になり、仕事を辞め、自分の生き方をゼロから考え直さなければならなくなった。

 最近の私は、GUで買ったXLサイズのキャンバススニーカーを愛用している。無職になって着る物にお金がかけられなくなって初めて、GUや無印でなら25センチよりも大きな靴が買えることを覚えたのだ。安物だけれど、履きつぶしたらまた次のを買えばいいと思っている。履き心地はとても楽で、私はその靴で歩いて会社へ行き、体力的に無理のない程度のパート労働をして、また家に帰ってくる。生活は不安定だけれど、まあどうにかなっている。

 25センチの自分のまま生きると言うことは、私が思っていたよりずっと大事なことだったのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?