baku

日常のささやかなことについて綴っていきたいと思います。

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最近の記事

いつかまた出会う日まで

アルバイトで入っている大学院の資料室勤務。 いつもの時間に「お疲れさま」と言ってドアをあける。 古い本の臭いが一瞬する。 白く浮き上がるような室内に利用者の姿はなかった。 今日は学生のAさんがカウンターで16時から勤務していて 私は16時半からふたりで21時までの勤務となる。 少し眠そうなAさん。ホテルの宴会のバイトも兼務でしているので 今日もその帰りにこちらのバイトに入ったのかな?と思っていた。 わたしが席に着くと、Aさんが「猫ちゃん、今朝亡くなったんです」と 小さ

    • 愛犬三代目

      はじめて「自分の犬」をお迎えしたのは 2001年のことだった。「初めて自分の犬」というのは、12歳まで預けられていた祖父母の家では、スタンダードプードルを飼っていた。私が10歳ぐらいでやってきたその犬は、あまり私に懐かなかった。構いたくて構いたくてしかたなかったそのころ、鼻の頭をガブリと噛まれた。また、廊下に置いていたリュックサックの上におしっこをかけられたこともある。これはもう絶対「故意」と私は確信している。なので、自分の犬を飼う段階になり、選択肢のなかに「プードル」の文

      • 夢を見た。 私は明るい家のなかにいて、叔父が玄関の扉の外にいる。 そばにはだれか知らない人が一緒にいた。 外は真っ暗闇。 この叔父と父は犬猿の仲だったと聞いている。 父の葬儀にもいろいろと理由をつけて夫婦そろってこなかった。 だから私はこの叔父夫婦については、父亡きあとは「知らない人たち」に 入れてしまっていた。 なのに、なぜか叔父の夢を生まれてはじめて見たのだった。 夢は続く。 私は大切にサンドイッチのケースに残していた大好きな ベーコンエッグサンドを3つ、この突然の訪問

        • 償い

          もうじき、キリスト教では、「灰の水曜日」と呼ばれる日がくる。 この日は、額に灰で十字架を司祭に書いてもらう。ここから四旬節という 期間にはいる。 この時期、断食も欲望節制もできないわたしは、小さな償いをすることにしている。日ごろ疎遠にしている人に電話をかけること。いそいそと電話を掛けやすい人もいれば、かけにくい人もいる。でも、頑張って電話をして「ご無沙汰しています。お元気?」とか言って話をすることにしている。 レントには早いのだが、病気で教会にこれないAさんに電話をしてみ

        いつかまた出会う日まで

          人形の詩

          いつも私の傍らに人形がいて 支えてくれていた 切なさで胸を押さえつけられるような ジリジリと日の射す昼下がりも 凍りついて涙もでない 悲しさに包まれた月のでない夜も 寂しさに 押し潰されそうになる雨の降る 真夜中も カーテンの隙間から差し込む 光で目醒める朝も そこに私の人形がいた

          人形の詩

          壊れたマリア像

          あれはいつのことだったのだろうか。細かい記憶が曖昧になっている。 私がキリスト教関係の仕事に縁あって就いたのは17年ほど前のことだった。繁華街近くに位置した事務所だったので、昼休みはよくロフトに出かけた。ロフトの雑貨屋である女性と出会った。その女性Oさんとは以前教会で会ったことがあった。久々の再会でお互いに近況を簡単に伝えた。Oさんは私が今の職に就いているのを知りとても驚かれた。なぜなら、私の前任者とOさんは親しかったから。前任者が辞めたことがOさんにとってはショックだった

          壊れたマリア像

          父の思い出

          お昼休みに職場の近くのデパートでウィンドーショッピングに。 8階の催し会場の入り口に「春の北海道展初日」と看板がでていた。 覗いてみると、コロナ禍のせいか出店数も少なく、客もまばらだった。 ひとまわりして、十勝和牛サーロインステーキ弁当なるものに目が留まった。 牛肉がこれでもかというほどしっかりと詰められていた。 もちろん、驚くほど値段は高く、庶民のランチ弁当には高嶺の花だった。 20年ほどの前の2月の寒い日、父とはじめてデパートの北海道展にでかけた。父は、黒いカシミアの

          父の思い出

          60歳の原点

          最近よく「もう年だから……」という言葉を口にすることが多くなった。 私より10歳若い友と話をしていたら、毎回のようにこの言葉を私は言っているらしい。友からは、「年のことは言わないの!」と諭される。なにかで読んだのだが、「もう年だから」ということばは、できないことの言い訳にすぎないらしい。 昨年、定年を迎えた。その一年前から体力の衰えを感じだしていた。 定年が来る日を待ちわびていたのだが、その日が近くなると、更なる体力低下と認知症予防のため、もう少し働くことにした。もっとも、

          60歳の原点