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いつかまた出会う日まで

アルバイトで入っている大学院の資料室勤務。

いつもの時間に「お疲れさま」と言ってドアをあける。
古い本の臭いが一瞬する。
白く浮き上がるような室内に利用者の姿はなかった。

今日は学生のAさんがカウンターで16時から勤務していて
私は16時半からふたりで21時までの勤務となる。

少し眠そうなAさん。ホテルの宴会のバイトも兼務でしているので
今日もその帰りにこちらのバイトに入ったのかな?と思っていた。

わたしが席に着くと、Aさんが「猫ちゃん、今朝亡くなったんです」と
小さな蚊の泣くような声で告げた。
Aさんの猫ちゃんは、ペットショップでお迎えした直後から腎臓が悪く
3年ほどの短い命となった。この夏は越せないだろうと獣医さんに
言われていたというから、9月6日の今日で夏を越してくれていたことになる。

昨夜から具合が悪かったけど、今朝はホテルの朝食のバイトが入っていたのであまり構ってやれなかったとAさん。ホテルで朝8時ごろ、家から連絡が来て「亡くなった」知らせを受けたという。いつも家人が起きてくるのを
階段の上で待っていたそうだ。今朝も階段の上でそのまま亡くなっていたという。あまりにいじらしくてわたしももらい泣きした。ずっと具合が悪かったから、覚悟はしていたけれど、はじめて身近のペットが亡くなったAさんの静かな悲しみが伝わってくる。

わたしも久しぶりに初代の犬の動画を探して観た。
6年前に初代の犬、5年前に二代目を見送った。
別れに慣れることはないけれど、命には期限があり、仕方ないことと
諦めるしかない厳しさは学んだ。

だから、命の大切さをしっかり受け止めようと思い、
三代目を迎えた。二代目を見送った2週間後のことだった。
初代の子が虹の橋へ行って、二代目の衰弱が早かった。
もう一匹お迎えしたら、元気になるのでは?と
二代目が亡くなる数か月前から、新しい家族を探していた。
けれど、いざとなると、元気いっぱいの仔犬がきたら
弱った二代目はいじめられるのではないかと不安になり
なんどかお迎えを見送っていた。

いよいよ二代目が旅立ち、火葬した次の日の朝、
わたしは布団から起き上がることができなかった。
脚に力が入らなかったのだ。
布団のなかから、犬好きの知人に電話をして「ペットショップに
遊びに行きませんか」と誘った。
そこにはわたしがお迎えをあきらめた仔犬がまだいたのだ。
はじめてその仔を見つけてもう3か月が過ぎていた。

お迎えするつもりもないけれど、仔犬のぬくもりを求めて
知人とわたしはペットショップに車を飛ばした。
店内は、クリスマスが過ぎて、プレゼントにならなかった犬や猫たちが
静かな日常を送っていた。

二代目の訃報をショップの店員さんに話すと「抱かれますか?」と言われ
候補の2匹を腕に抱いた。ぺろぺろと二匹ともわたしの手を舐めてくれた。
涙がこぼれおちた。二代目のために喪に服さなくてはならないと思っていたのでお迎えする気もなくその日は帰った。

年末にもう一度そのショップにいく。2日にも。
そしてとうとう自分の誕生日の次の日、つまり5日に三代目をお迎えした。
二代目が亡くなってまだニ週間しかたっていなかった。

三代目をお迎えしても2年ぐらいは亡くなった仔のことばかり
考えていた。いつも三代目と初代の仔を比べてはため息をついていた。
ソウルメイトのような初代の仔の代わりには三代目は逆立ちしてもならなかった。お迎えするときから「初代と二代目の代わりではない」と思っていた。けれど毎朝、目の前にいる仔よりも亡くなった仔に挨拶し、三代目はそのあと。亡くなった仔を優先しないと悪いような気がしていた。

三年目に入るころ、三代目とわたしの距離がいつの間にか縮まっていたのに
気がついた。ひどい悪戯をしなくなった三代目。もしかしたら、わたしのこころが自分に向いていないと思い、やんちゃぶりが激しかったのだろうか?
三歳になり急に落ち着いた三代目をとても愛おしく感じた。

この仔もやがて年をとり、見送る日が確実にくる。初代と二代目の物語は終わったのだ。彼らの物語が増えることはない。けれど、目の前にいる三代目の物語はこれから増えていくのだ。そう思った。

今朝、愛猫を失ったAさんのおうちにはまだほかに2匹の猫がいる。
この仔たちはきっとAさんの癒しとなるだろう。いつかまたAさんと旅立った猫ちゃんが出会う日まで、笑顔のAさんでいてほしいと思う。



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