壊れたマリア像

あれはいつのことだったのだろうか。細かい記憶が曖昧になっている。

私がキリスト教関係の仕事に縁あって就いたのは17年ほど前のことだった。繁華街近くに位置した事務所だったので、昼休みはよくロフトに出かけた。ロフトの雑貨屋である女性と出会った。その女性Oさんとは以前教会で会ったことがあった。久々の再会でお互いに近況を簡単に伝えた。Oさんは私が今の職に就いているのを知りとても驚かれた。なぜなら、私の前任者とOさんは親しかったから。前任者が辞めたことがOさんにとってはショックだったようだ。わたしは、Oさんを勤務先の事務所に招いた。Oさんは、少しためらったが黙って私のあとをついてきた。                  

事務所の扉を開けて部屋に入ったとき、部屋のなかを一通り見まわしているOさん。窓辺に置いていたマリア像に一瞬目をとめた。そのマリア像は、少し前まで事務所のロッカー奥深くにしまわれていたものだった。一部割れていたのだが、丁寧に補修されていた。私はそのマリア像を窓辺に置くことにした。後日、前任者にそのことを伝えると、その像は行方不明になった女性のものだったこと、ある青年が誤って割ってしまったのを話してくれた。                            

Oさんはあまり自分のことは話さなかった。前任者がとても優秀な人であったこと。当時の上司と前任者がうまくいっていなかったこと等を話してくれた。そして、そろそろ帰ろうと席を立とうとしたOさんに私は静かに言った。

「このマリア像はあなたのものですね」Oさんは頷いた。自分の洗礼のときにいただいたマリア像であったこと、そして、この事務所で引き続き預かってほしいと。私は、この像はOさんのもとに帰りたがっていることを伝えた。するとOさんは思い直して、像を大切に抱えて事務所を出た。その姿がとても心に残る。                               

その後、Oさんについていろいろな噂が流れていたのを知った。家庭内暴力で遠方から逃げてきていること。大きな病気で手術をして、身元引受人がいなかったため、前任者が病院に付き添ったこと。教会のご聖体が何者かに盗まれたこと、その嫌疑がOさんにかかり、教会に来れなくなってしまったこと等。いろいろな話を総合してみると、Oさんというひとりの薄幸の女性が浮かび上がった。                          あれから私はOさんの姿を一度もこの街で見ることはなかった。教えてもらっていた携帯電話に連絡しても繋がらない。     

昨年、教会で小さな葬儀が行われた。身寄りのない女性が病院で亡くなり献体をされたとのこと。ご遺体ではなくすでに火葬された状態での葬儀だった。参列者もコロナ禍で少なったのだが、なぜかOさんの噂を話してくれた人々が葬儀にきていた。その方とOさんが重なる。穏やかな最期であったことを祈りたい。          




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