父の思い出

お昼休みに職場の近くのデパートでウィンドーショッピングに。
8階の催し会場の入り口に「春の北海道展初日」と看板がでていた。
覗いてみると、コロナ禍のせいか出店数も少なく、客もまばらだった。

ひとまわりして、十勝和牛サーロインステーキ弁当なるものに目が留まった。
牛肉がこれでもかというほどしっかりと詰められていた。
もちろん、驚くほど値段は高く、庶民のランチ弁当には高嶺の花だった。

20年ほどの前の2月の寒い日、父とはじめてデパートの北海道展にでかけた。父は、黒いカシミアのコートにグレーの帽子を被っていた。そのときの会場にきていたのが、白毛和牛弁当だった。私がこの弁当が美味しいのだと伝えたら、買ってかえろうかということになり、長蛇の列に父と並んだ。身体の弱い父の久しぶりの外出。こんなところに並ばせるのは申し訳ないような気がした。空気も悪そうだったので、風邪をひくのではないかと冷や冷やしながら、順番を待ったのを覚えている。お互いに文句も言わず、列に並び、弁当を2つ買い、その日の夕食にした。

ただそれだけの思い出だった。だが、私にはなぜかそれが宝物のように思えるのだ。

父は40代で病気のため、杖をつかなければ歩けない身体になった。外出はいつもタクシーだった。その父が、60代半ばで歩けるようになった。杖なしで。本人のどうしても歩きたいという思いから日々のトレーニングが実を結んだのだ。亡くなるまでの10年ほど、父は、自分の脚で杖なしで歩く喜びを味わった。だが、もともと身体が弱いため、通常の人のような外出はあまりできなかった。それでも、ときどき、タクシーやたまにバスでデパートへいき、いつ着るのかわからないカッターシャツをオーダーしたりしていた。亡くなったとき、箱に入ったままのブランドのカッターシャツがいくつも箪笥からでてきて、驚いた。

今日は、キリスト教では灰の水曜日。これから四旬節がはじまる。
父は、クリスマスの翌日に自宅で骨折し、バレンタインディの日にICUにはいり、ホワイトディの日が葬儀だった。この季節になると父のことがひとつひとつ思い出される。

目の前に並んでいる弁当は、父と食べた店のものではなかった。
あの日、ここに出店していた店は最近みかけない。
白毛和牛弁当の店がいつかこちらにくることがあったら、また食べてみたいと思う。


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