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ざっくり解説!なぜペリーは日本に来たの?

雪国育ちのOL、春と申します。

前回の投稿では幕末の流れについてざっくりとご説明しました。

その流れに沿って、なぜペリーは日本にやって来たのか?を今回は解説していきたいと思います。

「ペリー来航」と聞くと、「日本に開国を迫って来た黒い外国船」というイメージや、「アメリカ人がなんか来たのは分かるけど、詳しくは知らない」と思っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。

一体なぜペリーは鎖国をしている日本に来たのでしょうか?

一般的には日本を捕鯨船の拠点として活用することが理由として挙げられていますが、これは見せかけだと私は思っています。

世界史がお好きな方であれば、この時代の欧米列強(アメリカ、イギリス、フランス、スペインなど)の動きと照らし合わせてみてください。

この時代は世界的に見ると、植民地争奪戦の真っ只中です。少しでも多くの領土を獲得しようと各地で争いが起こっていました。アメリカ大陸や中央アジア、アフリカなどは次々と植民地化されている時代です。

そんな中、ヨーロッパから比較的遠い日本は欧米列強からブルーオーシャン的に植民地候補として注目され、当時、植民地戦争を繰り広げながらも偶然1番国のリソースに余裕があったアメリカが最初に植民地化を目的とした開国を迫ってきた、というのが大きな理由だと私は思っています。

今後の話にも繋がるのですが、開国した日本はその後、清(中国)がイギリスにアヘン漬けにされたように、欧米列強がもたらした「武器」という名のアヘンにどんどん溺れていくことになるのです。

幸い植民地にはならなかったものの、開国後は諸藩の優秀な人材が海外留学をして西洋の知識を日本へ還元することで、日本はこのままだとダメなのではないか?と幕府に対する不満や不安が更に煽られていきます。不安を煽り、反幕府側へ武力提供していたのは誰か…?そして、武力を提供することで得られるのはお金ですよね…?そのお金は一体どこに流れていたのでしょうか…?

もう想像ができるかもしれませんが、それは全て欧米列強の懐へ流れていきます。戦力の乏しい国へ武力提供することで武器をどんどん売っていく。武器を売るため、意図的に争いを起こさせるのです。

ペリー来航の理由は捕鯨船の拠点という理由だけではなく、最終的に植民地化をしてお金を得るためだということも大きな理由の一つと考えてみると、幕末の見方が変わってきませんか?

今後もこのように日本を取り巻く各国の動きとも照らし合わせながら幕末について解説していきます。

以上、今回はペリーが日本にやってきた理由を私なりに解説してみました!

読んでいただき、ありがとうございました。また遊びにきてくださいね!

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