見出し画像

ざっくり解説!ペリー来航でこれからどうなる?

雪国育ちのOL、春です。

前回の投稿では何故ペリーが日本に来たのかをざっくりと解説しました。

このペリー来航が、今後に与える影響がかなり大きいのでもう少し詳しく書いていこうと思います。(ペリー来航が開国のきっかけになったというのは、みなさんご存知だと思うので、別の影響をここでは取り上げます。)

当時、日本にとってこのような外国船の存在自体はあまり珍しいものではなく、海岸線の遠くに外国船が見えているというような感じでした。

いつか外国船が日本にやって来るだろうという噂はペリー来航前から、実は存在していました。

特に、今で言う学習塾で一生懸命勉強しているような子たちにとっては、外国船を近くで見たくてたまらない!と好奇心を掻き立てられるものだったのです。

この「外国船を近くで見たくてたまらない!」という気持ちが人一倍強かった人物が吉田松陰です。吉田松陰は松下村塾という私塾を経営しており、彼の塾にはのちの尊王攘夷派(反幕府側)の中心になる人物が複数名います。

吉田松陰については改めて詳しく書きますが、黒船に乗って外国へ渡航しようとした罪で松陰は幕府に処刑されてしまいます。黒船に乗ろうとさえしなければ、そもそも捕まらなったという可能性はありますが、松下村塾の塾生からすると、ペリー来航が1つのきっかけで松陰が処刑されてしまったので幕府が憎くなってくるのです…

既述の通り、松下村塾には尊王攘夷派(反幕府側)の中心になる人物が複数名います。彼らが松陰の無念を果たすため、そして日本を変えるためにこれからどんどん行動を起こし、激動の時代へ突入していくのです。

ペリー来航が及ぼした影響は他にもたくさんありますが、尊王攘夷派にどう影響があったのかを知っておくと、これからこのnoteで解説していく出来事と繋げて考えやすいと思ったので今回はこれを取り上げました。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

また是非遊びに来てください!

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?