ざっくり解説!日米和親条約ってなに?
雪国育ちのOL、春です。
前回までは尊王攘夷や徳川幕府の弱体化などに触れました。今回は少し遡りますが、開国時に日本がどのような条約をアメリカと結んだのかという内容を2回に渡って、ざっくりとまとめていきたいと思います!
まずは開国までの流れをおさらいすると、ペリー来航→1年の猶予を日本に与えて帰米→ペリー再来航→開国という流れになります。そもそもなぜペリーが来航したのかは、こちらをご覧ください。
1回目のペリー来航でずっと鎖国を続けているのは無理だと判断した幕府は開国に踏み切ります。
まず日米間で結ばれたのは「日米和親条約」です。この条約の最大のポイントは、アメリカへ最恵国待遇を与えたことでした。
最恵国待遇というのは、他の国と条約を結ぶ際にアメリカより有利な内容が含まれていたら、その内容をアメリカにも適用することです。つまり、他の国と俺たちより良い条件で条約は結ばないでねということです。
なぜアメリカが最恵国待遇を求めたのかというと、世界で植民地を巡る覇権争いの最中だったため、アメリカが「日本は俺たちのものだぞ」ということを世界に示す必要があったからだと私は考えています。
この時代は各地で領土を巡る植民地戦争が勃発しています。アメリカとしては自分たちが1番最初に乗り込み、更に約1年待っているのに他の国に日本が取られてしまってはメンツも潰れ、労力も無駄になってしまうので困るわけです。
アメリカは自分たちが1番最初に日本に行き、その脅威を示して日本側をビビらせているので、再び日本に行く時にはアメリカは怖いというイメージを日本側が持っているので、アメリカ優位に条約締結が進むような基盤が整っている状態です。
そこで日本に最恵国待遇を求め、例え他の国が日本と条約を結ぼうともアメリカが不利にならないような内容を盛り込んだという事です。
その強気な内容を日本側は戦争に負けてもいないのに受け入れてしまったわけですね…
結局、日米和親条約はアメリカの手のひらの上で転がされた条約となってしまったのです。鎖国してたが故にアメリカ相手の交渉術が全然なかったということだと私は思います。
みなさんはこの日米和親条約についてどう考えますか?
今回は日米和親条約について、ざっくりと解説しました。次回は日米修好通商条約について投稿しようと思います。
読んでいただきありがとうございました!
またnoteでお待ちしてます!
春
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