2023/8/24 解放、自家製ナイトプール

今日は11時に起きた。少し遅めだ。
バイクがないからである。バイクがないからウーバーができないのだ。バイクはどこかで直せないものかと思いながらまずはカレーを食べながら日記を書く。

広陵VS佐賀北戦の思い出をつらつらと書いた。書きながら、私は私がイラついていることに気付いた。あの事件はやはり私の中で相当、重大な問題なのだろう。
私という人間はちゃんとしておくべき役割の人がちゃんとしていないことについてすごくイラつく人間なのだと思った。

野球の審判は公正中立であることが仕事だ。もし、野球の審判がグラウンド以外のところで調子に乗ってしまったということがあってもどうとも思わない。野球でストライクかボールか、アウトかセーフか、これをその時に正しいと思ったジャッジをすることが仕事である。プライベートで何をしていようと、残念だなあと思うだけで審判の仕事をおやめなさいとまではいわない。
メディアや球場のお客さんがこっちの高校を応援しているからと、ひいきをする判断はよくない。

これはほかの仕事においてはどうだろう。たとえば学校の先生だとどうだろう。先生も人間であるから、生徒の中には関わりたくない生徒もいたりするだろう。学校というグラウンドにおいては、生徒に対する好みで対応を変えてはいけない。
しかし、学校を出てからは、嫌いな生徒に気付かれない範囲で嫌いであることを明らかにするのは仕方がないだろう。

お笑い芸人だとどうだろう。私があんまり好きではないのは、舞台に出ている他の芸人さんについて舞台上で「おもしろくない」と言ってしまうことだ。
「すべっていた」という事実があったとして、その事実をいじることはまだ許せると思う。その時、舞台に立っている芸人皆でお客様をもてなすのがお笑いライブだ。であれば、舞台上にいる人は全員がおもしろいという前提があって、「すべっていた」事実を指摘することで笑いにするのは、お客様へのおもてなしだが「おもしろくない」人がいると言ってしまうことは、お客様からすれば、そんなのを出さないでくれ、あなたもそれを出した側の一人だろうと指摘されるのではないか。
舞台にいる間は、全員面白いだろうという入口が必要と考える。
舞台を降りてから、「あれはつまらなかった」「お笑いではない」と言うことは良いと思う。それは舞台を降りれば、お笑い芸人ではなくて一人の人間としての意見を発することが許されると考えるからだ。

では、この日記はどうなんだろうか。普段お笑い芸人を標榜している(なるべくはお笑い、漫才師、漫才と言うようにしている)にも関わらず、暗いことばかり、何かを批判してばかりだ。これは本当に答えを決めあぐねている。決めるようなことではないのかもしれない。
ここはお笑いの舞台ではなく、noteというただの文章を人に見せるインターネットサイトだ。お笑いにこだわる必要もない。また、この毎日書いている日記は、自分は何者なのかをとらえなおして、漫才に活かすことを目的にしている。考えていることが本当にお笑いではないのなら、お笑いの無い日記も一つの正解だ。
一方で、お笑いタレントは24時間365日いつでもお笑いであるべきだという考えもある。テレビなどでも有名なのは明石家さんまさんは新幹線の中でファンに話しかけられてもテレビのままのトーンで対応すると言われている。お笑いの神様のような人が、そうやっているならば、その神に近づくためにもそうでなければいけないという意見も存在する。

とりあえず、私の現在の線引きはtwitter(新・X)の投稿ではなるべく暗いこと、不快にすることは言わないようにしている。やはりSNSは人の往来が激しくて、あまりにも公共の場に近づいている。
もしかすると私に興味のない人が何かの拍子で読んでしまうかもしれない。
noteでは思ったことをなるべく包み隠さず書くことにしている。noteは公共性が低いだろう。もし、誰かの目に運悪く(良く?)とまったとき、記事を開くという段階を一つ踏むわけだから、嫌なもの見る見ないは主体性をもって判断されることなのだ。つまりnoteは公共性が一段階低く、閉じた空間である。なんでも書くことにしている。
なんでもと言ったが一応、読んだ人が嫌な気分になる言葉遣い、単語は出さないようにしている。頭の中には放送禁止用語がうようよと空中浮遊しているが、こいつらは取り出さないようにしている。

読んだ人が、そんな考え、感覚もあるのだなと、同調はしてもらわなくていいが、理解はしてもらえればという気持ちで書いている。

話が長いな!日記に戻ろう。

日記を書き終えて、14時頃だ。三ノ輪のほうにバイクショップがあるのを発見した。ネット上の評判もそこそこ良い。
しかし、現在あの大手中古自動車販売業者の悪行もあって、ネットの評価もあてにならない。こればかりはもう当たって砕けろ、経験しなければ真実はわからない。
別の店で買ったバイクでも修理は可能なのか、これから行っても大丈夫かを確認するために電話をかけた。電話の対応は普通に親切だった。
いまから持って行っても受け入れていただけるとのこと。

バイク屋と言ったら、元暴走族、珍走団、カミナリ族、愚連隊、レディース(男女の機会均等の時代だ)の人が多いイメージだ。電話で丁寧に対応していただけるだけで心が楽になるものだ。

三ノ輪までバイクを押して歩けば30分くらいだろうか、ひとまず支度をしてさっそく向かう。暑い中歩けば、汗はぽたぽたと垂れる。これもまた修行の一つ。粛々と歩く。
件のバイク屋に着いた、店の奥から作業着を着たザ・バイク屋といったおじきが出てきた。見るに腕はよさそうだ。何と言えばいいのだろうか、鳥山明作品に出てくるメカニックの感じだ。汚れた作業着にぼさぼさの髪、丸メガネ。なんともメカニックだ。アラレちゃんを作りそうだ。
くちゃくちゃの両切りのタバコを吸っていそうな見た目だが、ここは令和だ。タバコを吸っているようには見えなかった。

パンクしていることを伝え、おじきからの意見も聞いた。とりあえず預かって診断、部品の取り寄せ、修理という行程で最低でも2日はかかるということだった。
これこれの場合は7000~8000円かかるけど、これこれという故障なら9000円くらいかかるかもしれないねえとのことだった。何度も値段のことをおっしゃっていた。私としては、私が自分で直す技術がないからプロのあなたに頼んでいる。多少お金がかかることは承知の上だし、10000円もしないのはかなり低価格であると思っている。
どんな修羅場を潜り抜けてきたのだろう。今の状態でバイクを持っていても走ることはできない。それを10000円未満で直してくれるなら安いと思う。それなのにやたらと値段を伝えてくれた。
まあなんとも信頼のできるメカニックだ。尊敬である。

連絡先を伝えたうえで、バイクを預けた。いったん帰宅する。なんだか気持ちが楽になった。一時はもうバイクを直すことはできず、ウーバーもできず、このまま野垂れ死ぬかとも思っていた中で、修理も無事終わりそうだ。

では、修理のめどもたった状態で、時間もあるとなれば、私はこの軽い気持ちをしっかり活かして自由に過ごすことにした。
まず、浅草のバッティングセンターに行った。めちゃくちゃバッティングが下手になっていた。試しにバントをすると、これは良いバントができたので視力は問題がなさそうだ。私の見立てでは筋力が低下し、思っているところにバットが出ていないということだ。
筋力トレーニングを復活しなければいけない。しんどいけどもやらねば、明らかに体がダルついている。

そこから欲望のままに焼き肉を食べに行った。今日は奮発して、焼き肉きんぐだ。少し値段は張るが、ビビンバや石焼カレーなども食べられて最高なのだ。この世ではおよそ考えられない量を食べた。
皆さんが想像している2~3倍は食べている自信がある。もし、どれくらい食べるか見てみたい方はお誘いください。本当にたまげるくらい食べる。ごちそうさまです。

さあ、興が乗ってきた。もっともっと欲望のままに過ごそう。こんな凪の海は無い。暴れよう。
ゲームセンターに行ってUFOキャッチャーをやった。私はUFOキャッチャーは普段やらない。絶対に損することが確定しているからだ。しかし、2000円くらいかけて一つの人形を手に入れた。こんなことは普段の私ならやらない。でも今日は違うのだ。抑えてきたものを開放するのだ。
UFOキャッチャーのあとはレースゲームで首都高速を250km/hで駆け抜けた。なんとも解放だ。ははは!

そのあとはドン・キホーテに行った。何の気なしに店の中を歩くと、デッドストックのビニールプールが300円で売られていた。さらに電動空気ポンプも300円で売られていた。私はこれらを買うことにした。
帰宅してさっそくビニールプールを広げて水を入れた。ベランダに置こうと思ったのだが、ベランダが狭すぎたので、プールの半分くらいをベランダに出した状態でナイトプールをした。なんとも欲望のままだろう。今日くらいは自由に過ごさせていただく。いえい!

ひゃー今日は欲望の赴くままに過ごした。興奮状態なのか、現在午前3時。
まだ眠たくならない。

今日面白いと思ったことは「前半と後半でテンションが違いすぎる。」

こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。