漠(ばく)
こころのモヤモヤに形を与え、その声に耳を澄ます日々をつづったもの。
オッサンとの日常をセキララに語る日記。
カミングアウトを含む、自己紹介系の記事はこちら。
美しいものも醜いものも。目に映る世界は自分を映す鏡。
ときどき詩のようなものを書きます。絵や写真とともに、こころに形を与える作業の記録です。よかったらご覧ください。
パートナーのおっさんが、一時的に子どもを預かる「養育里親」になりたがっている。先日一緒に説明会に行って、実際の里親さんの話を聞いてきた。 そして、今日は養育里親…
いつもメッセージだけの友達が電話をかけてきたものだから、電話をとる前に、あぁ、亡くなったんだと思った。 あの人は、僕を育ててくれた人。 しばらく具合が悪いのは知…
何度か目を覚ましたけれど 実はずっと眠っていた 生きてきたつもりだったけれど 実はフィクションだったり 半分息をしていない 自分に息を吹き込む 愕然とするけれど そ…
どうせ人は死ぬのだからとか どうせ別れるからとか 時々耳にしたり 時々思い出したりするけれど みんな毎日ものを食べて たいてい毎日ウンチをします でも、朝食べたご…
切っても血の出ないからだ だったけど 今は、ようやく 血の流れるからだ 詩と写真:漠(ばく)
いつか なにかを 誰かに ではなく、 いま これを 私に。 未来のために 誰かのために そういう生き方を手放して こころをイメージや言葉にしていく それが私のしたいこ…
他者の期待に応えようとする生き方をやめることにしました。 自分の中にある「理想的な自分」を疑うことにしました。 他者の欲求を自分の欲求にすり替えないこと。私とあ…
落合恵子が1990年に発表した小説「偶然の家族」の主人公の名前は夏彦という。 夏が好きな自分は、この夏彦という名前をうらやましく思う。 Amazonの書評はあまり良くない…
人から勧められて「結局、自分のことしか考えない人たち: 自己愛人間への対応術 (草思社文庫)」を読んだ。 心理支援のバイブルに違いない名著だと思います。 頑張り…
おひさしぶりでやんす。 カメ吉でやんす。くもり続きで甲羅干しもままならない毎日で。みなさん、いかがお過ごしですか? 実は漠さん。最近、調子よくないんすよ。先週末…
沖縄にいるような 気分にさせてくれる 君はヤモリ 僕の家の守り神 ちょっと怖いけど 何も悪いことはしない 君はヤモリ 僕の家に住んでいる 今日もこの家のどこかで エモ…
ひさしぶりの休みに研修を入れてしまっていて。今日。 でも、久しぶりの休みなので、思い切って研修を休むことにした。 研修を休んだら、今日も明日もあさっても何もない…
折れたパキラの葉を一枚 捨てずに水に挿してたら 白い根っこが生えてきた そのうち枯れると思ってたのに いつまでたっても枯れなくて とうとう根っこが生えてきた 葉…
仕事をサッサと終わらせてやりたい事を… なんて思っていたら 次々に仕事をたのまれて それでもサッサ、サッサとこなし続けてたら 家のこともできず オッサンに負担をか…
何かひらめいたけど 閃いたということだけ憶えてて 何をひらめいたのか忘れてしまった でも、それを良しとする 今日は良き日 詩と写真: 漠(ばく)
なんて綺麗な青なんだろう 見たことのない花 カメラに収めようとする僕を オッサンとワンコが置いていく あわてて撮った写真はブレブレで 僕の心を映し出しているよう …
パートナーのおっさんが、一時的に子どもを預かる「養育里親」になりたがっている。先日一緒に説明会に行って、実際の里親さんの話を聞いてきた。 そして、今日は養育里親の登録をしに行くという。やる気満々のおっさんに比べて、僕は気が進まない。 虐待をして児童相談所に子どもを一時保護された親のカウンセリングをすることもある僕は、親を通して現実に触れている。仕事だから境界を引いて、枠の中で向き合うことができる。 それが、僕の日常にまで入ってくることは、たとえ短期間でもきついと思う。仕
いつもメッセージだけの友達が電話をかけてきたものだから、電話をとる前に、あぁ、亡くなったんだと思った。 あの人は、僕を育ててくれた人。 しばらく具合が悪いのは知ってたし、退院したのも知ってたけれど。どう会えばいいか分からなかったから、しばらく会わずにいて、ただ時々思い出していた。 今日亡くなったよと、電話の向こうの友達。僕は何か聞き忘れているような気がして、なかなか電話を切れなくて。自分が受けている衝撃を、「衝撃」としか表現できないでいた。友達と感情を分かち合うことは怖
何度か目を覚ましたけれど 実はずっと眠っていた 生きてきたつもりだったけれど 実はフィクションだったり 半分息をしていない 自分に息を吹き込む 愕然とするけれど それもすべて僕なのだ 詩と写真:漠(ばく)
どうせ人は死ぬのだからとか どうせ別れるからとか 時々耳にしたり 時々思い出したりするけれど みんな毎日ものを食べて たいてい毎日ウンチをします でも、朝食べたご飯と 朝したウンチは一緒じゃない 食べものは生きる前のワタシで ウンチは生きた後のワタシ 食べものは出会う前のワタシで ウンチは出会った後のワタシ 食べものとウンチの間にワタシはいる 生と死の間にワタシがいて 出会いと別れの間にワタシがいる 必要なものと 必要なくなったものの間にワタシがいる マッチ
いつか なにかを 誰かに ではなく、 いま これを 私に。 未来のために 誰かのために そういう生き方を手放して こころをイメージや言葉にしていく それが私のしたいこと こころをちゃんと感じ、 表現することの難しさを知っている 偽りの自分をかき分けて なまなましい核を取り出す時の感覚を知っている スピードを落とす必要がある 呼吸のテンポを落として 感覚とつながる必要がある そうして初めて、 本当に人とつながれる 詩と写真:漠
他者の期待に応えようとする生き方をやめることにしました。 自分の中にある「理想的な自分」を疑うことにしました。 他者の欲求を自分の欲求にすり替えないこと。私とあなたをはっきりと分けること。 他人や社会から投げつけられた恥や罪悪感を、自分のものとしないこと。 心理士だから、それが健康に生きるために必要なことなのは百も承知でした。 でも、健康に良いから軽い運動をとか、十分な睡眠と食事をとか、もっと自分を大切になどと患者に言いながらそうしない(できない)医療関係者はたくさ
落合恵子が1990年に発表した小説「偶然の家族」の主人公の名前は夏彦という。 夏が好きな自分は、この夏彦という名前をうらやましく思う。 Amazonの書評はあまり良くないけれど、ゲイカップルが主人公で家族をテーマにした作品として、僕は読んで良かったと思っている。 小説の内容とはあまり関係なく、自分が夏彦という名前だったらと想像し、そうだったらいいなと思う。 年がら年中、夏彦と呼ばれたら、どんな感じだろうか。パートナーが夏彦という名前だったら…なんて思う。 僕は夏が本
人から勧められて「結局、自分のことしか考えない人たち: 自己愛人間への対応術 (草思社文庫)」を読んだ。 心理支援のバイブルに違いない名著だと思います。 頑張りすぎちゃうあなたにぜひ読んでもらいたい。
おひさしぶりでやんす。 カメ吉でやんす。くもり続きで甲羅干しもままならない毎日で。みなさん、いかがお過ごしですか? 実は漠さん。最近、調子よくないんすよ。先週末はぐったりしてて。 あっしはね。てっきり、またうまいものの食べ過ぎだとみてたんですけどね。このカメ太が、いやどうやら今回は様子が違うって言うんですよ。 どうやらね。なんですか、あの「ハタラキスギ」ってのを食べ過ぎたらしいんですよ。なんですかね、ハタラキスギって。うまいんですかね。 ま、みなさんも、ハタラキスギ
沖縄にいるような 気分にさせてくれる 君はヤモリ 僕の家の守り神 ちょっと怖いけど 何も悪いことはしない 君はヤモリ 僕の家に住んでいる 今日もこの家のどこかで エモノを探す 君はヤモリ 僕の家を守っておくれ
ひさしぶりの休みに研修を入れてしまっていて。今日。 でも、久しぶりの休みなので、思い切って研修を休むことにした。 研修を休んだら、今日も明日もあさっても何もない日になった。パートナーのオッサンと過ごしたり、家のことをする3日間になる。 真っ白なTシャツのような、真っ白な花のような、真っ白なノートのような3日間になる。 時々、自分にとって必要なことは、しないことを決めることだと思う。 しなければならない事をなくすと、ようやくというか、自然と開く白い花が僕の中にある。
折れたパキラの葉を一枚 捨てずに水に挿してたら 白い根っこが生えてきた そのうち枯れると思ってたのに いつまでたっても枯れなくて とうとう根っこが生えてきた 葉っぱから根っこ 葉っぱから根っこ 葉っぱから根っこが生えてきた 不思議なことってあるもんだ 詩と写真: 漠(ばく)
仕事をサッサと終わらせてやりたい事を… なんて思っていたら 次々に仕事をたのまれて それでもサッサ、サッサとこなし続けてたら 家のこともできず オッサンに負担をかけてしまっていた だから、 早上がりしたオッサンの 「飯食いに行こ!」という提案を大事にしたいと思った 子どもがいないからなのか 自分たちの生活を大事にしたいと 主張しづらい時がある 締切をゆうに過ぎた仕事を放っぽりだして、 ワンコを連れ、オッサンと車に飛び乗った 夕暮れの冷えはじめた空気を吸い込む。 マ
なんて綺麗な青なんだろう 見たことのない花 カメラに収めようとする僕を オッサンとワンコが置いていく あわてて撮った写真はブレブレで 僕の心を映し出しているよう 写真題: 青い花