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『桜桃忌:太宰治の心理』(心恵のブログより)3800字コラム

太宰の魂「もう、死にたがらん、死にたがらん。
死を見るのではなく生を見るのだ。
生の中に死を死の中に生を同時に見るのだ。

そして、己を見る。己をみる。己だ。内側のグロテスクなもの嫌悪すべきものもこのましいものも清いものもつぶさにみる。

始まりは、己の内側からいずる。周囲を見回すことはよくやっている、だから内側を見るのだ。
果てはないが、己の内側に耳を傾けることで、過去と未来から今に至り、
いずれ全体に帰る。

この気に入らぬ顔も
やたらと弱い胃腸も
己の『綿で傷つく』精神の構造もつぶさに調べ、
その形色匂いを精査するのですよ。

わたしは、
もう死にたがらん。」

A「あら、死にたがってるみたいですよ。ほら、この本。『文豪ストレイドッグス』」
太宰、本をめくる。
「くくっ、くくっ、くくくっ。これは愉快。光栄ですよ。」
太宰は本を閉じて続けた。
「この世は悲哀の世界だったのですよ。わたしにとっては。悲哀色がわたしを覆いつくし、何をとってみたってわたしにとっては罪と蔭と移り、自然の美しさも恋心の高揚も、それから時の流れそのものも
世の批評も
どれもやがて悲しみの色に染まってしまった。
真紅を眺めていてもやがてそれは悲哀の色を帯び、赤銅色から果ては、焦香(こげ茶色の日本伝統色)に移ろいだ。
そうあらゆるこの世の事象は、喜びも楽しみも刹那のおちょこいっぱいの酒も香ばしいときもやがて虚しさをともうなう無へとわたしを誘う材料となったのです。

今風に言えば、生きづらかった、とでもいいましょう。
だからわたしはいつだって、この身から離れたかったのですよ。己の内の才を知りつつ、居心地のほどはいたってわるく、どこか、安逸の場所があるに違いないと。」
A「いつだって掬い取る何か、ありていにいえば判断のないやさしさのようなものが漂っていて僕はそこが好きですけれど」
「それはありがたい」

A「あの、それで、そこは安逸ですか?わたしたちは安寧を祈っていますよ。」
「くははは。」
A「太宰、さん?」
「おっと失敬。今の世は漫画が愉快至極。文の芸術はいささか活気が足らないように思いますね。文字は人を作り生きざまを作りあげるでしょうに。」

A「はぁ。確かに。電子出版などは、よく出ているみたいですよ。これからの分野みたいです。それで、そこは安寧ですか?」

「何、それだよ、君、わたしは課題をそのまま残してきた。つまりはなんだ。心の問題ですよ。何かが僕に悲しみを見せていた。それは何か。幸い精神科学の領域も心理学の領域も随分と人間の本質に近づいたと見える。もっぱら哲学やらそれから文学の世界で人間は語られてきたが、今や心理学を筆頭、進化学やら精神医学でさかんに取りざたされている。面白い。
 それで、私の心は何であったか。」
A「何だったのですか?」
「何だったのでしょうな。岡田尊司(精神科医・作家)はわたしを分析し、三島もわたしも同じだと言った。
 何が同じって、われわれは双方が自己愛にかけるところがあると。つまりは己を十分に愛せぬところや過剰に愛するところが人にはあり、何をもって平均だなどと言えるようなものではないにせよ、三島もわたしも深層心理の世界で自己愛にかけたるものがあった」
A「三島さん?金閣寺の?三島さん、太宰さん嫌ってましたね。」
「軟弱だと。今風に言えばディスりのターゲットでしたな。うん。たしかに。
 私の中には常に悲しみの音がする濁った泉があった。三島にもあったが、三島はそんなものには埋め立てて鉄よりも硬いもので蓋をしてしまおうとした。わたしはなんとかしてきれいにせにゃならんと腕を組みながら、悲しみの泉の底に沈んでいたですよ。
 誰かを打ち負かすなどの思想は入り込まないし、生き抜いてやろう、そのような生への情熱にかけたところがあった。
情熱?情熱はあったさ。書く事に飽くほど情熱はあった。満足に金になるかもわからぬところを一歩でも文学に何か残せるものはありはしなかと熱したものだ。
 その情熱もかけたるものを埋めることはなかったのだろう、むしろわたしはなきがゆえに情熱を生み出していたのかもしれない」
A「なかったのは、自己愛、と?」
「今なら認めますよ。そのとおり、なかったのは、良いころ加減の自己愛。
結果三島もわたしも自〇に行った。」

A「はぁ、方や色恋、方や・・・」
「言うてくれるな。わたしの心の音に耳を傾けることのできる人でしたよ。幸せになってもらわないかん。幸せに。妻も彼女も。あぁ罪深い。」
A「だ、太宰さん?大丈夫ですか?死にたがっていませんか?」
「なんの、もう不毛と苦をしいる地獄はこりごりですよ。許しですよ、己へのゆるし、ゆるしからはじまるのです。慈愛です。」
A「よかった。川に流されに行くかと思いましたよ。」
「さて、その自己愛の欠如とやらは、どうにかすると
それがまだ記憶も育たぬ頃の記憶によるのだというわけですね。」
A「記憶も育たぬ頃の記憶?」
「つまり、赤子がまだ屈託なく笑う年頃か、そんなころでも記憶していないのではなく、記憶は五体臓腑とくるみの実よろしく頭蓋骨でくるまれた脳にあって、ただ思い出せないほど細胞の深部に愛の欠如が入り込んでいるということなのですよ。
わたしは悲しみの中に入り、
三島はそれを剛体で固めた。」
A「なるほど。」
「幼い頃に形成された孤の記憶。思えばわたしは生まれ落ちたときから人をおそれた。人たるものが近くにいれば、鬼にも奇怪な動物のようにも思えたのですよ。何を言い出すかもわからない、怪物です。」
A「僕も子供は怪物みたいです」
「ははは。子供は怪物であり天才でもありますな」

A「はぁ。確かに。」

「幼いころの愛着問題は、年を重ねれば重ねるほど募っていくらしいのですが本人は原因がそこにあるなどとはよもや考えもしない。山の頂上にいれば木々の緑やら黄色それから見晴らしのいい空の果て人は見るものです。わたしは変わりものではありますが、山の上で山の奥底の土のことは考えなかった。」
A「はぁ。」
「まだ若い時分は、若さのそのものがもたらす熱気と身の回りに興味を引く事象がたくさんあるのですよ。
それで心の陰りの核心のことはまぎれにまぎれてはいますが、
気が付かぬ間に、頭髪が白髪に染まるように、
知らぬ間に、翳が冬になればどこかに刈り取られるように、
少しずつ、微微と、
人間から生命力をとっていくのですよ。
やがて、行きつくところは”死”という安楽の地。」
A「安楽の地・・。」
「いや、そうではなかった。そうではありませんでしたよ。死は決して甘美な桃源郷ではないのです。
ただ生きれば生きるほど地獄の深みにはまっていく、そこから逃れられるかと思えば、
小さな灯でさえも悲しみをてらすようで眩しいと目をつむり、
確かに暗闇にはいったものの、
そこがどこか、
己は何か、
そんなものまでてんでわからぬ。
地獄から逃げたら、
底なしだったというわけですよ。
慈愛の光を己の中に見出すまで、わたしは落ちたのです。」
A「はぁ。」

「それで、ここから振り返ってみればそれはわたしだけの問題ではなく、うっすらとこの島国を覆っている。」
A「えっと、自己愛の欠如ですか?」
「完全なるものなどないのですよ。人の一生、心も愛も月の満ち欠けのように移ろうもの。ただうっすらと愛が雲の膜に覆われてはいはしまいか。

そしていくらかの人のそれは深刻。深い湖や谷の底で月光の一筋も通らない。」
A「太宰さん、今も自〇する人いますよ。」

「それはならん!ならんのですよ。ご自身をおゆるしなってください!!」

A「そんな勢いづいて。座ってください。」

「われわれに限っては、芸術という至上完璧を求める性質が共に死へと導いた。先人きって現代の問題を体現していたようですね。」

太宰は、漫画本をパラパラとめくった。
「幼い頃にいた女中の人がね、
わたしに恐ろしい地獄絵をよくよく見せたものです。

ならずものは、こうなる、
いかんものは、ここに落ちる、
千遍も万遍も聞かせたものです。

わたしはあれが怖くてね、
どうにかしたら、
いずれわたしはそこにいかなければならないように思っていたように思うのですよ。
何にしたって、ならずものである、人間失格である
とわたしはわたしを定義していたのですから。
実に、世の多数の人とはどこか違う不全をかかえていて、それを人の中にのみ見出すことでやり過ごす人もいれば、知性とやさしさをもって許し慈愛で内包する人もいる。

容易になじめぬ世の常識。
抗うには配慮が過ぎ、
それでも理想とやらを求める奇妙な生き物。」

A「では、安逸ではなく地獄があった、と?」

「それが、もうじきにそこからも抜けるのです。」
A「抜ける?」
「地獄から出ることになったのですよ。さぁ今から世にでるのです。」
A「世も地獄だったのでは?」
「浮世に地獄を見るか天国をみるか、それは自在。観自在。」
太宰は両手を広げた。
「まぁ、地獄も天国もおんなじところにあって重なって、それで地獄も天国も人が作って人が体験するものですから、みんな違うわけですがどこか似ている。だって、人間ですから。
愛の欠如の地獄。わたしはなんとかそこから抜け出したのです。なぜってわたしを呼ぶ声が聞こえたからですよ。
右手と左手のそれぞれに、地獄と天国こうしてのっけてみる。どっちがよかろう。もう地獄はこりごりだ。
今日は安寧を祈ってくれてありがとう。桃の香をかぎに行くとする。」


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