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5000字『アラビアンナイト珈琲店千と十一夜:X版』①(死者たちの復活の祈り)草稿

■アラビアンナイト珈琲店 第一集<X版>

才芸に抜きんでた人でした。クリームシチューさんは「日本一」と評していました。もう繰り返されることがありませんように!表現の人が生きやすくなりご活躍されますように!

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■《アラビアンナイト珈琲店》

ここはアラビアンライト珈琲店。西の空が茜色に染める頃から、濃紺が空一面に広がり始める時のしじま、街角に忽然と姿を現す珈琲店。
 とっぷりと日も暮れた。夜空には白に黄、赤の星々が踊り、珈琲店は月光を浴びている。
🌾カンテラはオレンジ色に灯っている。
カラランコカラン。月光に照らされた扉を開ける音が響いた。お客の訪れである。
「・・・。」
お客は決まって無口で扉を開く。それは当珈琲店に限ったことではない。一人客なら大抵誰でも店内の人気を想像したりしながら静かに店の敷居を通る。ましてや新客なら当然のこと。
 店の外観は由緒ある洋館といった趣で、扉はパリの街角にあるようなアンティーク調の木製である。濃茶の落ち着いた色調とオーソドックスではあるが、その形は異様なほど細長い。まるで茶室に入るあの小さなにじりぐちを縦にひきのばしたようである。必然大抵の大人は身を細めてやってくる。上背のあるすらりとした新客は少し前かがみのまま、肩をぶつけることもなくすっと敷居を超えた。髪はつやのある桎梏の黒。整った眉。きめの細かい肌は青白く、美しい顔には澄んだ目がのっているが思いつめたように沈んで見える。何か腑に落ちないものを抱えているのだろうか、いや、誰でも一つや二つ釈然としない塊を持て余しているものだ。
 青年は素早く店内を見回した。
「いらっしゃいませ。ようこそお越しくださいました。ご案内致しますわ。」
芽依はしっとりと出迎えた。アラビアンナイト珈琲店のメイドである。口角が緩やかに上がったアルカイックな微笑は安定して幸福感の高い人がそうであるように出会う人を祝福で包みこむような喜びを称えている。歳は20代の半ばを過ぎた頃に見えるが実際はもっと年齢を重ねているのかもしれない。黒と白を基調としたレースと膨らみの多いメイド服で、膝が隠れる丈のスカートは清楚である。腰もとで巻かれたエプロンの白い紐は、華奢だが女性らしい芽衣の身体の凹凸を際立たせていた。(※何より人間離れした穏やかさが身体中から放たれていた。)
 新客は心ここにあらずの様子ですっと長い足を前方にのばし、敷居を跨いだ。青年の手から離れた扉が滑らかに動いた。カラランコカラン。新客はハッとした。ドアベルの響きのためか店の珈琲の香りのためなのかは分からない。
               ※
 新客は珈琲店内を一覧した。
「あちらでよろしいかしら。」と芽依が声をかけた。
青年はすっと会釈をした。一礼はごく軽いものだったが礼儀正しさが伝わるには十分だった。翔子は来店した男性に目をやった。
「あら、イケメン。美男、好青年。あっ」と、驚き息を飲んだ。
翔子、彼女はこの珈琲店の常連である。やってくる客を時を忘れて観察しては歯に物を着せずものを言う主婦だが奇妙なほど毒がない。小さな女の子を子育て中という話だ。顔立ちは一見してクールな印象を与えるが、髪型はふわりと空気感をもたせてあり毛先は緩い内巻である。白いブラウスに主張しすぎないアッシュピンクの揺れ感のあるプリーツシフォンスカートをはいている。彼女も口元に微笑が見られるが芽衣とは異なる印象を与えた。「疲労困憊の果てに行きついたユートピアにいるのよ。」とは彼女が言ったせりふである。
 彼女は40代に入ったところであるそうだが、最近の子育てママがそうであるように彼女も十分に若々しく、かつ熟成した魅力が宿りつつある女性だ。
「・・・。」
蒼白といえる(程顔色の白い)新客は、イケメン、美男、好青年、との翔子の3拍子に対応するべくごくごく自然で歯にかんだ笑顔を見せた。好印象そのものであるが、目の奥の生気は今にも消えそうな蝋燭のともしびのようであったのをマスターは見逃さなかった。
「いらっしゃい。寒かったでしょう。おっと、7月に言うセリフではありませんかな。さぁ、温かい珈琲をお入れします。ゆっくり一息ついていってください。生きていると色々ありますからな。」

マスターはまるで千年来の父のように迎えた。
(千年来の友のように迎えた。渋みを絞りだすようなサックスを思わせる低音の声は、温かみのある落ち着きを伴った。)
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<ナレーション>
さて、ここでこの小説を始める前にこの物語を書くに至った背景について少しお話しさせていただければと思います。
 この小説はコロナ禍中の去る2020年7月、自死により地上を去り天界へと移動された有名な俳優さんがアラビアンナイト珈琲シリーズX版の新客X氏のモデルとなっております。
 しかし当作品は当俳優さんが死を選んだ理由を追及しようとするものでも、また世の中に飛び交うネガティブな憶測を広げたり新たに作り出す目的で書かれたものではありません。あくまでも、有り余る才能でわたしたちを楽しませてくれた(ファンの方のご意見参照。”時に勇気や元気をくれたり、ドキドキさせてくれたり”と)この俳優さんへの冥福の祈りであり、そして彼の残してくれた勇気や希望など力を与えてくれる言葉の共有の場です。また、ご本人のみぞ知る自死の理由からは切り放した状態で、広く現代における心の病、それから自死の特徴、そして中でも特に芸能人やアーティストの心の特性について考察したフィクションです。
 著名人の自死は少なからぬ影響を社会に及ぼします。わたしたちのより深い理解によりそのような悲しみが減りますように、また広く心が病みやすい人たちが生きやすくなりますように、芸の人やクリエイティブな方々が生き生きと創作活動ができますように、人生の底に迷い込んだとしても希望の光が見出せますように、そんな願いと安寧の祈りの物語です。
 ご理解いただける心ある方の目にとまりましたら幸いです。ナレーションにお付き合いいただきありがとうございました。それでは本編をお楽しみください。<ナレーション終>
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「いらっしゃい。摩訶不思議アラビアンナイト珈琲店へようこそ。あぁ、これはコンタクトレンズではありませんよ。これは先天的なものです。珍しいと思うかもしれませんが世界の中では結構いるんですよ。」
マスターは気落ちして見えるが、精悍さと貫禄漂う客と目を合わせると常々用意されたような挨拶をした。マスターは5万人に一人程の出現率と言われている虹彩異色症であり両目の色が異なる。新客の青年は、なるほど、了解しました、と真摯な眼差しをさっと向けて口元に微笑みを浮かべた。
「ほら、うちの猫と同じですよ。今日はあいにくどこかに遊びに行って店にはおりませんがな。」
青年は席につくや腕を額の前で組み顔を覆い俯いた。
「きっとじきに戻ってきますわ。気紛れといったら、猫様の特権ですもの。あの子はそれでいつもちゃんと、戻ってきてくれるのですわ。猫様ですから。」
ごくごく自然のていの芽衣に対し、翔子は唖然としていた。
「あ、あ、あのやっぱり・・X君、よね。」

■《ジャスミンの薫り》


翔子はピンク色の薔薇模様の珈琲カップを宙に浮かせたまま、驚いた猫のように少し吊り上がった目を見開かせていた。新客は知名度の高い俳優X。ミーハーではない翔子だが一種の高揚を覚えていた。知性的で洗練されながら真っ直ぐで誠実な人間性が溢れる魅力を備えたXを目の前にしているのだから無理もない。
「いらっしゃいませ。こちらのメニューです。本日のコーヒーは、パナマ産ゲイシャと言って、ジャスミンの香りのする爽やかな逸品ですわ。」
Xは俯き顔を手で覆った。
「それでお願いします。」とXは手のひらに沈めた顔を少しあげて言った。
「あら、即決ですわね。」と芽衣は微笑んだ。店内に珈琲の香りと静けさが広がり、マスターが禅の修行僧のように珈琲を入れる音が響いた。
           ※
 余白の後、芽衣がマスターのいれた珈琲を運んだ。上品なメイド服は老舗珈琲店さながらで、芽衣が一瞬で相手の隅々まで温かく包み込むような笑みを伴っていたのはいうまでもない。テーブルに丁寧に置かれたスズラン模様の珈琲カップからは爽やかな香がした。(華奢な作りで、スズランの花形のカップは鮮やかな空色の細線で縁どられていた。)
 「ありがとうございます。」
青年は息を大きく吸った。香りはXの脳の奥にひろがり目からこぼれるような恍惚を呼びおこした。生気を失っていた青年の目の奥に幾分か生命の火花が走った。
「どうですかな、目が覚めますかな。なんとも沈鬱な日があるものです。」
青年は真顔のままほほ笑むと花の香りの珈琲を口に運んだ。随分と精気が戻ったXだが、腑に落ちぬなにか不可解な塊がみぞおちのあたりに詰まっているような表情に変わりはなかった。
「どうぞひと息おつきになって下さいな。Xさん。きっと気が楽になりますわ。」芽衣は包むような柔らかい口調であった。
「そ、そうよ、そんな若いのに暗い顔していたらもったいないわよ。若い時は二度とこないんだから。」翔子は珈琲カップを未だ宙に浮かばせたままうわわずった。いつもは大人の落ち着いた翔子の声が、キーが外れたリコーダーのように甲高い。

■永遠の38


 俳優としてのXを誰もが口をそろえて一流の人と言うだろう。普段ドラマは勿論、テレビでさえも大して興味のない翔子が認知したぐらいだ。数年前はその若々しい美しさで多くのファンをうならせ、「神々しいまでの美しさ」と、ファンを魅了した。そして今大人の魅力も加わったXがここにいる。(近年はミュージカルなどで歌唱力やリズム感を披露し、俳優としての実力の幅を広げていた。)
 「若さってそれだけで華なのじゃないかしら。まぁ、若さってものは失われて初めてその美しさに気が付くってものね。ねぇ、マスター。」
「わたしにふるのですか?わたしは若いですよ。はちきれんばかりです。老いはまだやって来ないですな。いつまでも気持ちは38歳です。38ですよ。ははは。」マスターは鷹揚に笑った。
「なんで38歳なの。18歳でも28歳でも33歳でもない。何かあるの?」
「いやね、分岐点がありましてね。男はそのあたりを境に保守保守保守、出る杭を打ち、新しきは異質と排除し進歩と退化、伝統尊重と躍進の区別もつかなくなる老害コースか、古きはもちろん若きにも習い新しきを取り入れ次世代のために土地を耕し華をさかせ、よき種を残そうとする尊っとい成熟に至ろうと志すか分かれ道なのですよ。生か死か、右か左か、そんな風にはっきり2分割なんてできはしませんが、わたしは実に成熟の道を進んでますよ、ははは。」
「うん、確かにそうね。」と、すんなり同意を示した翔子は、ここでやっと宙で停止していたカップに気が付き思い出したようにテーブルに置いた。
「あれ、つっこみはないのですかな」
「それわたしがいいたいわ。珈琲カップといっしょに宙ぶらりん、浮ついてるんだから」
芽依がくすくすと笑った。場は和んだが、Xはまだ幾分朦朧としたまま静かに珈琲を味わっている。
「確かにマスターって気持ち若いもの。たまに無理してる感がないでもないけれどね」
「なな。確かに昨日トレーニング過多で本日筋肉痛ですな、とほほ」
なんのことはない、マスターの鍛えあげられた肉体は見事なもので、胸板のふくらみはベスト越しによく見える。
「まぁね、そういうところも素敵だし、年齢にふさわしい知見ものぞかせてる。男の顔は履歴書っていうでしょう。そこはいい感じよね」
「ははは。」とマスターは鷹揚に笑ったが翔子は真面目な顔をした。
「さしずめ女の顔は創作。今時は男も女もあってないようなものかしらね。選択の時代だから。ねぇ、お化粧、だなんて失礼だと思わない?化けるが入っているのよ。」翔子はすねたように芽衣をみた。
「うふふ。考えた事ありますわ。わたしは敢えて受け入れるようになりました。お化粧で千の顔を作り出せる、そう考えるのですわ。」
「なる。わたしときたら化粧をすればするほどなんだか偽りを重ねるような気もちのなるの。そろそろしっかりとメイクしていい歳だわ。おっと、歳のせいは禁物ね。」
芽衣はほほ笑んでいる。
「メークでご老人が元気になることもある。ルックスが人の心に与える影響はとても大きいってことよね。お化粧って結局は身だしなみのひとつになるわけだし、きれいなものはきれい。無垢の衣装を着た花嫁に深紅のルージュ。ヌーディーな口元に健康的な艶肌、とってもいい印象よね。芽依さん、モデルさんもできそうね」翔子は芽衣の唇をなぞるように言った。
「恐縮です。ありがとうございます。」芽衣は華やかなリップを施した形のいい唇にほほ笑みが浮かんでいる。
「翔子さんは薄化粧ですね、素敵です」
「そう?ありがとう、お世辞でも嬉しい。眉毛かかないとマロよ。マロ。あ、わたしはお世辞言いませんから。芽衣さん本当にモデルでおできになるわ」
「うふふ、ありがとうございます」
「男性陣が聞いたらたるいとか何とかうざがられる会話かしらね?」
「何か言いました?」とカウンター越しのマスターは食器洗いの手を止めた。
「なんでもなーい。わたしは永遠のゼロ歳肌がいいわ」
Xは黙々と珈琲を飲んでいる。


 

※続く


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