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サリンジャー「フラニーとゾーイー」の興味深い箇所 その②

 フラニーがキリスト教を捨てると言ったことがあって、理由はイエスキリストが問題児であったというのがあります。
 イエスが問題児であったというのは普通に考えると、前振りになってしまう。イエスがのちに迫害される、という。
 太宰治の「如是我聞」の中でイエスキリストを殺した子孫の話が出てくる。その人は、自分の先祖の墓の前で、もし自分が先祖と同じ時代に生きていたら絶対にイエスを殺させたりはしなかった、と言った。
 真実だとか、嘘だとか。そういう事は、その時本当に起こった事は後にならないと分からない。そして、それがその時の世の中にとってどうだったのかという評価を下すのは更に後の事。
 のちの世代にとってみれば、いわゆる「イエスキリスト」という功績が大事なのであって、キリストの人格やらマグダラのマリアが売春婦であったという事は大して問題にならない。
 で、そういう問題児イエスが何故選ばれたのか。フラニーの好きな人好きのする聖フランシスではなく、他にも優秀な人がいたのに。それはイエスが最も優秀で、神の言葉を最も理解して、最もセンチメンタルじゃない、人の真似をしない達人だったから。
 「神はいつも我々と共にいるのに我々が愚かでそれを見ようとしないから分からない。」

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