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【エッセイ】キイチビールと下北沢

2021年、末。私は下北沢にいた。

キイチビール&ザ・ホーリーティッツ」というバンドの解散ライヴを、ひょんなことから観に来たのである。

それにしても下北沢。いい街だ。それなのに、そこはかとない罪悪感を覚えているのは、三軒茶屋からこの街へタクシーで乗り込んできたせいだろう。マイルールを破ってしまった。下北沢へは散歩がてら、茶沢通りをてくてく歩いて向かうか、バスに乗って北沢タウンホールで降り、ザ・スズナリを横目で見ながら目抜き通りへ入っていくのが常であったのに。

が、今回はタクシーを使った。情けない。金で買える効率を優先させたがるのは、おっさん体質が染み付いてきた証だ。最近ではこの街を訪れるたび、自分の中のおっさん性と向き合わされる。瑞々しい夢や情熱が舞っているこの街の空気は、年の瀬の寒風よりも肌身に沁みる。

ふと、ある若者向けイベントでの失態が頭をよぎる。私はその場へ遅刻して現れたあげく、隣の好青年のズボンにうっかりビールをこぼしてしまった。その時、私は悟った。おっさんだめだ。世の害悪だ。存在を自粛しなければ、と。

それでも今日は下北沢へやって来た。キイチビール&ザ・ホーリーティッツの生の音楽を、聴き逃したくないと思ったからだ。

このバンドの音楽は素晴らしい。最新アルバムの『すてきなジャーニー』を聴いた瞬間、私は音楽が大好きな一人の青年に戻っていた。どこか懐かしいそのサウンドは、サニーデイ・サービスやはっぴいえんど、そしてグランジロックが好きな私なんかの世代の耳にも響くだろう。気がつくと音楽を一番聴いていた頃の、心の奥底に眠っていたボタンを押されていた私は、彼らの解散ライヴを鑑賞するチャンスが舞い込むという偶然も相まって、自ら“おっさん自粛令”を解き、ライヴへと馳せ参じたのである。

会場はベースメントバー。いい。実にいい。このライヴハウスの香り。私はバーでビールを調達すると、満員のフロアの片隅に、具合よく寄りかかれそうな一角を見つけ、カブト虫みたいにそこへ潜り込んだ。巣が決まり、人心地つく。ステージは少々見えにくいが、ここならうっかりビールを若者にこぼしてしまうリスクは少ない。安心だ。

対バンの演奏が終わり(直前のバンドのベースがとても良かった)、いよいよキイチビール&ザ・ホーリーティッツの面々がステージに上がる。ほの暗い照明の下、楽器の準備にいそしむメンバーたち。ステージとの距離が近いライヴハウスならではの、期待感が募っていく時間帯だ。しばらく歓談に興じていた客たちも、それぞれドリンクを手にステージに目を向け、じっと様子を見守っている。

もうすぐ何かが始まりそうな、この感覚。しばらく忘れていたもの。

ただ、今日は何かが終わってしまう夜でもある。そのせいか、会場にはどこか寂しげな空気も漂っている気がした。

時が満ち、一曲目の演奏が始まった。アルバムよりもアグレッシブな演奏に、おっさんの体も自然に揺れてしまう。そこにあるのは本当に音楽を愛する者たちが奏でる、純粋な心から生まれたサウンド──魔法を宿した音、私が生で聴きたかった音だ。あとは降りそそぐその音に身を委ねながら、ススキのように揺蕩っていた。

どう考えても最後まで観ていきたかったが、諸般の事情があり、私は後ろ髪を引かれながら途中で会場をあとにした。仕方がない。自分の時間はもう、自分のものだけではないのだ。

そして帰りもやっぱりタクシーに飛び乗ると、年末で賑わう下北沢の街を窓越しに眺め、何かを遠くに感じながら、茶北通りを戻っていった。

帰ったら久しぶりにギターでも弾こうか。そんなことを思いつつ。

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“コトバと戯れる読みものウェブ”ことBadCats Weekly、本日のピックアップ記事はこちら! 『突然パパになった最強ドラゴンの子育て日記』などのラノベ作家、蛙田アメコ氏がテンション高めで綴る、『スパイダーマン』のレビュー! サブタイトルの考察には思わず膝を打ちました。

寄稿ライターさんたちの他メディアでのお仕事も。“ヤケド注意”のライターこと、チカゼさんによる、実体験を綴ったエッセイ。ハードな内容なので「心の余裕があるときに読んで頂ければ」とのことです。

最後に編集長の翻訳ジョブも。一杯のコーヒーから始まる大人気アドベンチャー『コーヒートーク』。現在エピソード2の制作が進行中です!


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