見出し画像

【エッセイ】メガネ店と坊主の関係

ふと思った。

メガネ店のスタッフにはスキンヘッドが多くないか。しかも丸刈りよりツルツル。剃髪している。

ひょっとしたら私がたまたま、何らかの事情で坊主にしている/なっているメガネ店のスタッフにばかり遭遇してきた可能性もあるが、個人的な経験上、特に国内老舗ブランドのメガネ店ではかなりの確率で、坊主の男性スタッフを常駐させている。

その理由はきっと、彼らが自社商品のディスプレイを兼ねているからだろう。髪など余計な遮蔽物に邪魔されない坊主頭のほうが、客はメガネのフィット感などを視認しやすい。

ところでメガネは視力という、人間の一機能を補足する役割を担っているせいか、物体でありながら、使っているうちに肉体と融合し、体の一部と化してゆく特性がある。

私なんかもメガネ歴が相当長く、朝はメガネを掛けることから始まるといっても過言ではない。だってそうしないとコーヒーを淹れたらキッチンが水浸しになるし、トイレへ行けば辺りを汚して家人に激怒されるはすだ。

そう考えると私は、メガネを掛けることによって初めて人間らしさを取り戻し、胸を張って新たな一日を生きていけるのである。

メガネがない私は完全ではない。

メガネ店のスタッフにも、おそらく似たようなことが起きたのではないか。メガネを売ることを生業としている彼らは必定、メガネと縁深い生活を送る。そしてメガネを仕事の一環として日々掛けているうちに、メガネと肉体の一体化が始まった。

気がつくとメガネがすべての中心にあり、メガネに従属するようになっていた。

だからこそ、彼らはメガネの視点から物事を考える。髪を剃ったのは、自身が掛けているメガネにもっと世界を、店内を見てもらいたいという心遣いであり、そこからはメガネに対する狂おしいまでの敬意が伝わってくる。

仏教なんかでもそうだが、剃髪とは帰依の象徴だ。スタッフはありのままの自分をメガネに見せることで、メガネへの忠誠心を示しているのだろう。

そんなことを漠然と考えていたら、店内をうろつくスキンヘッドのメガネ青年が急に神々しく思えてきた。

ふと奥のディスプレイを覗くと、その中では80万円の純金フレームが神々しく光っていた。

神はいた。確かに。たけえけど。

私はその金色のフレームに心の中で祈りを捧げたのち、営業を吹っかけられる前にそそくさと店を後にした。

****

“コトバと戯れる読みものウェブ”ことBadCats Weekly、本日のピックアップ記事は碧月はるさんのこちら!

寄稿ライターさんの他メディアでのお仕事などもどうぞ。

最後に編集長の翻訳ジョブを。おばあちゃんを亡くした少女の不思議な一日を描く、郷愁を誘う美しいアドベンチャー。5月27日よりSwitchとSteamで配信予定!


これもう猫めっちゃ喜びます!