伝わる文章とは?その3「漢字とかなのバランス」
きちんとした定義とか基準とかはないのだけれど、文章には“読みやすい文章”と“読みにくい文章”がある。“伝わりやすい文章”と“伝わりにくい文章”と言い換えてもいい。一例を挙げてみよう。
(1)「つたわるぶんしょうをかくためには、それをどんなひとがよむのか、よんだひとがおなじものをおもいうかべてくれるのかまでかんがえるひつようがある」
(2)「伝わる文章を書くためには、それをどんな人が読むのか、読んだ人が同じものを思い浮かべてくれるのかまで考える必要がある」
見てすぐ分かるように(1)はすべてひらがな、(2)は適度に漢字が交じっている。(2)のほうが読みやすいのは言うまでもないだろう。
経験的に言わせてもらうと、人は文章を1文字ずつ追いながら読むのではなく、ある程度の塊で読んでいるのだと思う。だから、ひらがなだけの文章とか、よく“意識高い系”の人が書いてるカタカナだらけの文章なんかは読みにくいのだ。
「われわれのコアコンピテンスであるファクトベースでナレッジ化されたイノベーティブかつクリエイティブなストラテジーでマーケットのイニシアチブを取りに行く」なんて文章を読まされても全く頭に入ってこない。むしろ「おまえはルー大柴かっ」「もう全部、英語で書いちゃいなよ、You!」って突っ込みたくなる。
当然、漢字ばかりの文章もやはり読みにくいのでひらがな(カタカナ)、漢字が連続しないようにするのは“読みやすい文章”の基本と言っていい。
ちなみに漢字が多めの文章は堅い印象、ひらがなが多めの文章は柔らかい印象を受ける。「特定層を標的に行事を開催する」「特定の人たちに向けてイベントを催す」はどちらも同じ意味だが、受ける印象は随分違うのではないだろうか。
文章の読み安さを決める要素にはもう1つ、“リズム”がある。そちらについては「その4」で。
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