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先祖が辿った戦争の足跡を調べながら思ったこと

※2023年08月31日(木)執筆


例により歴史フィールドワークで東京に来ています。

8/28~31で、主に国立国会図書館での調べものをしておりました。

国立国会図書館

以前何かの用事で利用者カードだけでも、と立ち寄って作って持ってはいたのですが、実は利用するのは今回が初めてでした。

中は迷路?要塞?とにかくそんなかんじで、初めての人は館内マップを片手に移動しないと確実に迷う、でもいろんな本があって楽しい!そんな場所でした。

今回は主に、先祖が辿った戦争の足跡を具体的に調べにきました。

ものによっては県立図書館でも読むことができる書物も意外と多いですし、デジタル化を頑張ってくださっていますので、自宅で閲覧してしかも遠隔で印刷を依頼することもできるようなのです。

それでも、ここに来ないと手に取ることができない書物もあるので、一度は来て調べてみないと!と思いたち、今回は国立国会図書館で調査を進めることにしました。

何をどこまで調べることができたのかなどはまたの機会に書こうと思いますが…あっという間に時間が過ぎていく中で思ったことがあります。

また、宿泊していたホテルで思ったこともあります。

すごいざっくりなことなのですが、「日本人とはどんな民族なのか?」です。

戦前や戦中を含め、これまでの歴史を見ると日本人は愛国心がとても強いんだと感じます。

その愛国心が、戦後あとかたもなく消えてしまったように思えること。

愛国心について、自分の国を愛している、自分の国に住んでいる家族を愛している、そんな自分の国を守りたい、と思う気持ちだと解釈しています。

今、「無気力」とされている人達が増えているなぁ、と思っていまして。

その大小はあれど、やりたいこと、なりたい物、憧れの人、自分は何になりたいのか、どんな人になりたいのか、そういった目標がない。

他人に聞かれても、え、別にわかんない。なきゃだめ?

みたいなかんじです。

自分の父のようになりたい、母のようになりたい、など、そんな身近な人にそういう思いを抱く人も多かった気がします。

今って、自分の家族をちゃんと見ることができない人が増えたのかも。

戦争の話に戻りますが、極端に言えば私たちは、戦争を生き抜いた、そして生き残った人達の子孫なわけです。

それ以前にも、厳しい時代を生き抜いた人達によって繋がれてきた命なわけです。

自分につなげてきてくれた人達を知れば、想えば、目指すものがなにもない、ということはちょっと考えにくいと思っているんですよね・・・。

コスパとかタイパ。今、よく使われている言葉ですが、効率的に、というポジティブな取り方もできますが、いかに得をするか、ラクをするかに重きを置くというネガティブな思考での取り方もできると思います。

実際、仕事で効率化を図ることの重要性は高いと思います。

でも、自分の生活に効率化をおとしこみまくると、そこに自分の世界観って…感じますか?

私はないと思っていまして。

もっとめんどくさいことに時間を使ってもいいと思うし、めんどくさいことに面白みを感じてもいいと思う。

めんどくさいことはやがて絶対に役にたつと思うし、災害があったときなんか特にそう感じます。

ボタンひとつでできていたことが災害で不可能になり、違う方法を取らなければならなかったり。

スマホが使えなくなって、スマホで調べものをしていた人が調べるということをできなくなり、なにも方法が思いつかなかったり。(スマホで調べた情報は知識として脳に蓄積されづらいと聞いたことがあります)

そこで、ここ数日間で私が思った心の声を、乱文ですがちょっと書き出してみます。

・・・

日本が日本でなくなる気がする。

人生、損得じゃないし、損得でものごとを決めてはいけないと思う。

地方にいると、日本の変化がわかりやすいな。

都心にでてくると、地方との違いがどれくらい差があるのかを第三者目線で感じることができる。

たとえば、最初の二泊、永田町に宿泊したけど、「永田町という土地柄のビジネスホテル」に7割くらい外国人宿泊客がいた。

いつのまに?いったいどういうことだと思った。

京都はすでに外国人観光客で飽和状態。東京は飽和寸前なのでは。

外国人は好きだし異文化交流も好きだけど、外国人の特性は日本人と違って、「次のひとのために」という精神が基本ではないので、外国人と何かを共有して利用するものはとても気が引けるのです。

※ちなみにわたしは過去に2年ほど、外国人と数人でシェアハウスに住んでいた経験を持っています。

共有スペースもそう。

自分が外国に観光などで訪問する際は、その国の文化に倣うようにするのがマナーだと思うけど、逆はどうだろうか。

私たちが日本で、少々息が詰まる思いをし始めて結構経つと思いますが、それの代表格は先にも出ましたが京都です。

先日、5月に訪問して体感しましたが、既に市民の足である市内バスは観光客でいつも満員、タクシーですらつかまりづらいという状況。

市民は大迷惑です。

私はなるべく徒歩と電車で行けるところはそれでいきました。バスを使ったら市民の方々に迷惑だ思って。

インバウンド、訪日需要、観光需要…とよく聞きますが、ホテル業界は日本人客いらないのかな?(これはちょっと極端ですけど)

経済的な理由もあり、たぶんそのうち日本人観光客は旅行しなくなるひとが増えていくんじゃないか。

宿泊という箱の数はたかが知れているし、こんなちっぽけな日本に世界中から観光客がくる、しかも増えている。

日本人が締め出しくらうような未来を想像してしまいます。
だってお金持ってないんだもん、日本人。

自分の故郷をしっかり認識しようよ。

「歴史=故郷」

それはご先祖様の物語です。

ご先祖様がずーーーーーーーーっと昔から今まで、その時代で大事にしたい何かを背負って生きてきて自分がいます。

私は何を背負って生きているのか。

ちゃんと言葉にできるようにしなければならない。

先にも書いたように、戦争の生き残りの子孫が、今生きている私たち。

戦後、生き残った人々はどんな努力をしてきたのか、どのようにして立ち直ってきたのか。

お年寄りたちを「老害」というひとことで片づけてはならない。

話を聞かなければならない。

歩み寄らなければならない。

ちゃんと歴史を知ろう。

暗記じゃなくて。

受験に合格するためじゃなくて、競争するためじゃなくて。

そんな目的なら歴史を学ぶ意味はないし、どうせすぐ忘れる。

思いをのせて歴史を辿るから知識になる。

歴史を学ぶ第一歩。

まずは自分の地元を知ろう。

そして、両親や祖父母に昔の話を聞いたりしてみよう。

祖父母にもお父さん、お母さんがいたはず。

その前にも、またその前にも。

もっと興味がわいたら、調べて家系図にしてみよう。

歴史の凄みを感じることができます。

私は、自分よりも若い世代に、今の自分があるのはたくさんの先祖たちのおかげであることを伝えていける人になりたいです。

・・・

さてさて。

今日、群馬へ帰ります。

その前に今日は、昭和館というところに立ち寄ります。

戦時中・戦後の苦労を知ることができる場所です。

いろいろ頭に詰め込みすぎて、二泊目は寝坊してチェックアウトを1時間遅らせました(笑)

膨大な量の知識を持ち帰りたいと思います。

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