見出し画像

自分の仕事の「自分」ってどこにある?

僕はサラリーマン。一応、役員という立場でもある。ここに至るまでに結構、転職も経験してきた。だからなんとなく達観してしまった面もあるかもしれない。
最近、各チームの管理者層を見ていて思うことがあったので書いてみる。

■「自分」をどこに置くか?

いわゆる管理職でもまだ「自分」が強い人がいる。
「自分」って言葉は厄介で「個を捨てろ」って言うのも違うし。もの作りの面では「自分の価値観」は持っておいて欲しいし。

個人の「自分」意識が強いと「これは自分の仕事?」って選別したくなってしまう。チーム単位でも同じで今度は「自分のチーム」って囲いの中を守りたくなってくる。そんなシンプルな構造の組織ってないと思う。

人間が集まって仕事してて囲いの中の仕事で済むわけがない。守備の間を突かれて「守備範囲じゃないんで」とか「お前の守備範囲だろ!」みたいないざこざを起こしたりアホな状態にもありかねない。

まだ一人のデザイナーだった頃、自分の仕事は文字通り「自分の成果」だった。
そこからチームリーダー、部長職、アートディレクター、役員と各ステージでだんだんとこの「自分」が変化していった。組織の中で管理職を経験した人なら何となく分かって貰えると思う。

上は以前書いた自分の記事。
この中で自分の力が保たれる「聖域」として

筆者がアートディレクターとして機能を保つ境界にあたるのが、今いる開発チームです。

アートディレクターは別にエラくないより

と書いた。

仕事が「自分の」から「チームの」→「タイトルの」→「会社の」→「業界の」→「日本の」とかどんどん大きくなって行くと考えて欲しい。「日本の」は大袈裟だけど、しだいに自分の仕事っていうシルエットが曖昧になって行くと思う。それは人を頼って仕事をするようになるから。

これは正確には曖昧になったってより環境や一緒に働く人に作用することで事が動くようになったってことだと思う。もうこの段階になると一人の力でどうこうできるものではない。持ちつ持たれつな関係にあるってことでもある。

そうなると自分から波紋のように波及して行った先に成果っぽいものが見えてくるようになる。もう自分自身の成果とは言えるか怪しい。だから波紋の先を眺めても自分の仕事ってどこ?って具体的には見えにくいのだ。なんだか寂しいような気もするが、そうなってかないと。いつまでも自分が最前線に居座ってたら後がつかえてしまうし。

ただしその波紋っていうのは、その時々の局面を見て的確に出す必要はある。そのあたりの判断力、波紋の大きさの力加減なんかは難しい。
やみくもにバシャバシャ暴れて大きい波を立てるんじゃ溺れてるみたいだし続かない。

自分自分言ってる内はバシャバシャしてるだけ。自分からどう波及して周囲に作用したか。そこが見えるようにならないと。なかなかリーダーは務まらない。

いつまでも「自分の仕事」が文字通り「自分」を指しているベテランほど扱いにくいし。リーダータイプ、職人タイプ問わず「自分の成果」の「自分」が今どこにあるか?自問自答して欲しい。
歳とともにそれがなるべく遠くにあるべきだと思うのだ。

〜おわり〜

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?