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時間と責務

少し前にLinkedinで見た記事に凄く共感した。「職務」を「時間」時間で片づけるか「任務」と考えるか。これは内製か受託か雇用形態なんかとも関係なく普遍的な課題であり理想だとも思う。特に我々のような絵を作る仕事のようにクオリティーっていう雲を掴むような指針の仕事では大前提であって欲しい。

■記事の原文

「仕事をする方は機械じゃない」と綴るのは相川雄輔さん。例えば支援会社を業者扱いすれば、彼らは「職務」を「時間」でこなすようになる。しかし仲間として理解し接すれば職務は「任務」になり、「提供価値」で考えるようになる。一緒に仕事をする彼らは機械ではない、同じ人間なのだ。
人間は働く機械ではない

■責務を全うする

また煉獄さんのセリフを引用してしまうが

「俺は俺の責務を全うする!!」

って部分。
「責務」が何なのかは、この後のセリフに続く。でも今回はその話しではないので割愛。
大事なのは「責務」の部分じゃなくて「全うする!!」の方だ。

人命第一 > 自分の命
 └悪鬼滅殺
  └鬼殺隊の柱
   └ここにいる者は誰も死なせない
煉獄さんの責務

なんかうまい表現が…
一応、煉獄さんの責務の優先度を書いたつもり。

ここで言う「責務」は、この直後のセリフではなくてもっと↑の階層にあると思う。
例が例なので重い内容だから何だが
「ここにいる者は〜」の階層は目先の仕事。階層が高くなるほど行動規範になって行く。行動規範て部分はどうしても社員だけ身内だけって囲いたくなってくる。そういう部分を共有できるかが仲間とそうでない人との境目になる気がするのだ。

関わる全ての人と仲間として高い階層まで共有できるのが理想だ。だけど関わることができる期間や仕事の範囲も様々。なかなか上の記事のようにはできていないのが現実だ。

別にできていないことの言い訳ではないんだがそう見えるな…

上の記事の内容は、現在進行形で関わっている人。そのコミュニティー内の文化として根付いたら理想的だし、出来そうな気がする。

それと同時にプロジェクトや会社ってくくりのさらに外の業界全体まで。上位階層を共有する仲間として共通のミッションを持たないと難しい課題だとも思うのだ。

そんなことを考えさせられた記事でした。

〜おわり〜


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