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無駄について

「無駄」自分なりに一番苦手で、一番理解したい言葉だ。

性格的にせっかちで、合理的かつ迅速な物事を激しく好む傾向にある。
なんでも省力的で、手っ取り早く済めばそれで良いと思っているし、もしかしたら正解の一つ、なのかもしれないと思っている。

事実、今現在の社会は少子高齢化、経済成長の鈍化、景気の低迷、人材不足、等など、とても無駄を容認したり、楽しんだりする余裕はとてもとても、無いように思える。

しかし、以前高校からの友人が「無駄な事を、無駄に楽しんでいるのが大人だ」(こんなにかっこいい言葉では無かったけど)みたいな事を言っていて、自分を強制的に連れ回してくれた。
トマソンの素晴らしさとか、理解し辛いモノを売っているお店とか、そのまま「無駄なモノ」という名前の展示展、イベントとか。(チケット代も無駄に高かった

最初は良く分からなかったし、今でも全ては分からない。
でも、その時の思い出は今でも思い出し笑いをしてしまうし、失敗した事も後悔した事もその時見たり体験した事に比べれば、無駄じゃないなと思いながら過ごしている。(イベントと展示をしている人は間違いなく本気だったし、素晴らしかった。)

こういう無駄な事を、本気で楽しんで教えてくれた友人には今でも本当に感謝している。

その友人は本当に凄い人間で、タイに行って修行し、帰って来た瞬間若くしてお店を構え(出店時の資金は自分が貸した)、それをあっという間に潰してしまい、北海道の缶詰工場から九州まで歩きと自転車で下りながら働き(その間は音信不通、本当に心配した)、ウチまで辿りついた時には貸したお金以上の金額を持っていた
自分としては返済は諦めるというか、返ってこないつもりで貸していたので、本当に生きていた安心感とビックリで一晩呑み明かした。(妻にはそのままの姿でウチに来たせいで、ホームレスの人と勘違いされていた)


友人曰く、本当に怖かったのは大金を持ったまま公園や、外で寝ている時だったと語っていた。
ホテルに泊まれば良かったと思うけど、本人はお金を減らさないのに必死だったらしい。
良かったのは、なんでも塩味で食べれるようになった事だと言っていた。(以前は全てにマヨネーズをかけていた)

尊敬出来る人間は、案外近くにいるのかもしれない。

最近、本気で無駄な事をしないのが良い、という風潮になって来ているかな、と感じています。
友人のおかげで、仕事中は出来るだけ無駄を省き、最大限仕事をしますが、その余裕を無駄に心身のゆとりを生み出す為に使っています。
プライベートでは積極的に無駄を楽しむように心がけているせいで、家族で遠出しても、寄り道のし過ぎで目的地につかないこともあります。(用事がある場合は別です)

寄り道して見つけた発見、目的地につかなかった事で始まる夫婦間のバトル、それすらも帰り道では完全に爆笑のタネになっています。
行って帰って来た以上の思い出を生み出す「無駄」たまには良いと思いませんか?

引き続きよろしくお願いします。

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