担任の三代先生がインフルエンザにかかった"おかげ"で僕は芸人になった。
『渡部くん、9点。
私が今まで受け持った生徒の中で1番低い点数だよ。』
そう言って、三代先生は僕の眼を見ながら苦笑いをしていた。
高校三年生の4月。
春休み明けの課題テスト。
規模で言うと、プレ版定期テストと言ったところか。
その課題テストの生物の教科で僕は、100点満点中9点という素晴らしき点を叩き出してしまった。
そもそも、2年生で理系に進んだ僕は、物理と生物どちらかの教科を選択しなければならず、
当時の僕は、野球部の諸先輩方が、
『物理まじムジーーー!』
と相当大変な思いをしているのを見て、生物を選んだのだ。
そんな邪心で選んだ生物で赤点。しかも余裕も余裕。
情けない。
そんなこんなで、この春から僕の担任かつ生物の先生である三代先生に史上最低の烙印を押されたのである。
三代先生は、メガネに白衣姿の才色兼備タイプの綺麗な先生で、あだち充マンガに出てくるメガネの先生みたいな感じなのだが、
身体中から迸る「私生物が大好きなの!」というのが伝わるザ生物大好き先生である。
そんな先生から出た
『渡部くん、9点。
私が今まで受け持った生徒の中で1番低い点数だよ。』
という少し毒を含んだ言葉が、僕に「なにくそ!」という気持ちを与えた。
そんな反骨芯のような、いや、むしろ認められたいという気持ちから始まった生物の勉強のおかげで僕は生物がみるみる好きになり、そして点数も順調に伸びた。
受験期には、9割くらいは取れるようになっていた。
『生物楽しい!』
と思えたのは確実にこの三代先生のおかげに違いない。
そんな受験勉強であったが、
野球部引退時の8月のセンター模試270点(900満点中)が、受験に受かるはずも無く、センター試験で540点。
前期、静岡大学を受けて見事に落ちた。
しかも、渡部家独自の
"国公立のみしか受験出来ない"
というルールの元、滑り止め受験も出来ずにしっかり滑り、見事に浪人することになった。
浪人が決まり、バチョフ少年は、島根県特有の浪人制度「補習科」に入る事にした。
補習科とは、進学校にある高校にある、4年生制度みたいな物で、
実際に受験にうまく行かなかった生徒が4年生として一年間高校に通う制度である。
普通の予備校の浪人と違う点がいくつかあり、
まず、1つめが、高校生と同じく、朝の1限目から7限まで授業がある。
授業を休んではいけないし(授業が選択制ではない)、掃除の時間もある。
また、講師はその学校の先生が実際に教えてくれる。
しかも、進学校に編入する形なので、先生がめちゃ親切かつわかりやすい。
次に、授業料が年間35万円である。(2011年当時)
予備校が100万くらいするのでかなり安い。
そして、制服を着る。
これが1番違うかもしれない。学ランを着てコスプレ状態。現役生からは変な目で見られる。
とまぁ、こんな形で安くレベルの高い授業を受けられるのだ。
しかし、バチョフの高校には補習科が無かったので、補習科に入りたければ、同じ出雲市内で県内トップの進学校の出雲高校に編入?することなる。
そして、補習科に入るには一応試験がある。
面接、テストがあり、その結果で合否が決まるのだが、
補習科に入るのに大事なのは、実は、"試験の点数"ではないのだ。
というのも、補習科が重んじているのは、生活態度や、1年間しっかり授業を受ける姿勢があるのかを見られる。
そして、点数はそんなに高くなくても、高校の在学時の出席日数にめちゃくちゃ重きを置いてるらしい。
これは、バチョフの1つ上の兄がこの高校にいて、そして、兄も補習科に入っていたので、知っていた。
バチョフは、確実に勝った!と思った。
なぜなら、バチョフは高校3年間、無遅刻無欠席の皆勤賞であったからだ。
兄にも大丈夫だろうと言われた。
よし、ここでバチョフの浪人ライフが始まると、ほっと胸を撫で下ろしている時に事件は起きた。
まさかの編入試験を受ける前に、校内審査をするというのだ。
言ってみれば、補習科でやっていけるかを、まず、自分の高校の先生が成績を見て判断するのだという。
なんだと!?
と一瞬思ったが、なにせバチョフは皆勤賞。
ついでに言えば、中学からの皆勤賞。
6年間も皆勤賞。
うろたえるではない。
大丈夫なのだ。生活態度で落ちる事は無い。
と安心したのもつかの間、
校内審査で落ちた。
何がなんだかわからなかった。
内容はこうだ。
バチョフの点数では、補習科でついていけないから、補習科の試験を受けさす事が出来ないと…。
進路指導の先生が集まって決めたらしい…。
おいおいおい!と。
まさかの僕たちの高校は、補習科の合格基準を知らずに、点数などの成績で判断していたのだ。
だから、校内審査で落ちた。
確かに、バチョフの成績、高校の中で下から10番位に入ってたけど!
でも、それは部活引退前の夏前の話で、受験前はそんなに悪くなかったでしょ!
てか、寧ろ皆勤賞なんですけど!
1番大事なのはそこ!!!
なんて思いながら頭がぐるぐるした。
同じ高校で何人か補習科に行くことが決まっていた友達は全員校内審査を通過!
ていうか、寧ろバチョフ以外全員通過!
絶望だ。
そして、何が絶望だって、
それを知らされたのが補習科編入試験の締め切り前日。
他の皆は、一週間前くらい前に知らされたのに、
バチョフだけ前日。
3月最終週くらい。
これには両親も参ってしまって、
ていうのも、伝わるのが遅すぎて、他の学校の補習科や、予備校の締切にはもう今更間に合わない。
終わりだ。
と頭を抱えた。
しかし、こんなにバチョフに校内審査を落ちたことが伝わるのに時間がかかったのには、1つ理由があったのだ。
というのも担任の三代先生がこの時期に丁度インフルエンザにかかっていたのだ。
なので、校内審査の会議にも出れなく、そして、一週間くらい休んでいた為、結果が伝わるのが前日になってしまったのだ。
そこで、流石に、『前日に言われるのは、困ります…。』とお願いしたら、
三代先生が進路指導の先生にお願いしてくれたらしくて、
今回は特別にと言う事で、編入試験を受けれることになった。
まさに、バチョフ九死に一生を得るである。
そして、難なく、補習科の編入試験は合格した。
勿論合格理由は、皆勤賞であった。
これには、三代先生も喜んでくれたし、進路指導の先生は審査基準を知らないからびっくりしていた。
そんなこんなで、バチョフは1年間補習科で浪人して(勿論皆勤賞)、
無事広島大学に合格したのだ。
生物学科に。
三代先生に合格の電話をした時、三代先生は
『まさか、あの最低点の渡部くんが、広島大学に受かるとは、、、しかも生物学科って、、、笑』
と喜んでくれてこれにはバチョフも嬉しかった。
インフルエンザの件があり、何かと気にしてくれてたらしい。
そして、高校に挨拶しに行った時は、進路指導の先生も目がテンになるくらい驚いていた。
だって、当時センター模試270点しか無かったからね。
こうして、バチョフは、広島大学に入り、エラユウザブロウに出会い、漫才サークルに入り、それがきっかけで芸人になった。
あの時、三代先生がインフルエンザにかかってなかったら、校内審査で落ちてバチョフは、
補習科にも行けなかったし、
広島大学にも行けなかったし、
漫才サークルにも入ってなかっただろう。
人生って不思議だなぁ。
だから、今度は売れて、三代先生に会いに行って、こう言おう。
『三代先生がインフルエンザにかかったおかげで僕は芸人になれました。』
って。
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