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亡き幸太16才。亡き花15才。お代、ここに置いておきますね。

今月7月20日は亡き幸太の16才の誕生日(保護した日)、7月24日は亡き花の15才の誕生日(保護した日)であった。

月命日にも毎月お菓子などを祀るが、亡き彼らのために今年は月命日を過ぎてもお菓子が並んだ。
生きている間には食べられなかったお菓子も並んだ。
本当は生きた体を持つうちに食べたかっただろうね。
食感を味わって、舌で味を楽しんで。
でも、生きている間にはあげられない理由があったんだ、ごめんね。

現実での仕事は忙しい時期だ。
祀ったお菓子の中にプリンがあり、今の時期は傷むのでお祀りしてすぐにプリンは下げた。
煎餅など、比較的持ちの良いものはそのまま置いていた。
仕事から帰り、食事を摂るのもクタクタな日は、冷蔵庫からプリンを取り出して食べる。
そんな夏を、過ごしている。

先日久々に映画を観た。
金曜ロードショーで放送していた『もののけ姫』である。
観ながら、

「なんて贅沢な時間なんだろう」

と嚙みしめていた。

テレビとはいえ、映画一本観るために二時間近くの時間を「払う」。
これは今の私には、海外旅行に匹敵するほどの贅沢だ。
ふと「たまには映画など観たいな」と思っても、「その時間でどれだけ書ける? どれだけ作業できる?」と即座に思わざるを得ない。
その結果、たまには映画など観たいなとフッと浮かんだ願望は、一秒後には棄却されるのである。

二年前、書く事を再開してすぐに、色々なものを手放した。
それまで「余暇」の中で出来ていたものほとんどすべてを、差し出した。
日常的にやっていたゲームは、ゲーム仲間の友人によると私はもう100日以上ログインしていないようだ。
たまにログインしても、次のログインは数か月後になれば良い方で、ほとんどノータッチになった。
漫画や本も、読む時間がかなり少なくなった。
以前は「暇だから」ダラダラと観ていたYouTubeを、今では食事しながらその合間に視聴する。

やりたい事(もしくやらねばならない事)が出来た・増えたからといって、その分だけ「じゃあ追加ね」と時間が貰えるわけではない。
何かを手放すか、作業効率をアップさせて、相対的に時間を作らねばならない。

他の人が「余暇」として使っている時間、自分がかつては「余暇」としていた時間を、執筆や作業などに充てなければ書けるわけがない。進むわけがない。

お代は、ここに置きますね。
私は自分自身に、お代を払いました。
払った分だけのものが得られるのか、それは当人次第。
けれど少なくとも、自分とリキが生きている間に仕上げたかった本は仕上げた。
しぶき本から始まり計四冊を経て、亡き幸太や花との出会いから別れまでも妥協せずに書けた。
一年と半年、お代を払い続けての成果だから、自分としては払った価値があったと思う。
国立国会図書館への納本が済んだら、風太・花・幸太の霊前にリキ本を飾ってあげなければいけないな、と思う。

忠犬・風太。
名犬・花。
従犬・幸太。

主人思いのあなたたちだから、頑張らなければならない時は夢に出て発破をかけてくれることだろう。
同じく、私が背負いきれないほどの無理をしている時は、「ご主人様、ここらで休憩しましょう」と夢に出てくれるだろう。

今日は仕事は休み。
休みの日も朝からレッドブルを飲んで作業する君たちの主人が、正しい歩幅で歩めるように導いてくれ。
君たちなら、主人より前に出て歩いても、正しいコースを選んで歩くと信頼している。


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