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【センセイプレイス創業者より】 YouTubeでは語らない受験のホンネ

今、まさに受験と戦ってる君へ。
そんな子どもを持つ保護者へ。
並びに、受験に関わったことのあるすべての人へ。

なぜ成果が出ない受験生がいるのか?

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4年半で投稿した動画数は1500本超。
まさか自分がYouTuberになるとは…


僕たちセンセイプレイスは大学受験生向けにサービスを提供している。
生徒が求めているのは大学受験の志望校合格という「成果」なので、
僕たちのサービスの価値は生徒が「成果を出すこと」である。

思うに、大学受験界の不思議のひとつは「成果」が問われないことだ。
受験生は「命と取り替えてでも第一志望に受かりたい」と思っている割に
大々的に演出された「成果が出てる感じ」に乗っかってしまいやすく、
「実際どれだけ成果が出るのか」は知らないままサービスを受ける。

莫大な生徒数を元にした合格者数や、厳しい条件を踏まえた合格率は、
一般的な受験生にとってはほとんど意味のない目くらましの数字に過ぎない。
どちらも、受験生の中のごく一部の優秀層の話を切り貼りしたデータだ。
受験に関わる仕事をしている人なら、誰だってわかっている事実である。

大多数の受験生は、もちろん偏差値70超えの超進学校に通っているわけではない。
偏差値50前後から60そこそこの高校に通う大多数の受験生が求めているのは、
目くらましの数字ではなく、かけがえのない自分が成果を出せるかどうかのはずだ。

僕は、受験生の頃から予備校の存在意義が分からなかった。
高校を辞めていたこともあって、特に「授業」の必要性を感じられなかった。
結果的に、自分が半年間の参考書による独学で志望校に合格した経験も重なって、
最短最速で「成果」を出すには授業は必要ないという考えはより強くなった。

質の高い参考書は1冊1000円程度で、Amazonに頼めば翌日には自宅に届く。
講義が受けたければ月2000円くらいで神授業が自分の部屋で見放題である。
参考書も中古ならタダ同然だし、YouTubeには無料の講義動画が溢れている。
学習するための教材がほとんど無料で提供されるようになったこの時代に、
必要なのはコンテンツよりも、コンテンツを活かして成果を出せるようになることだ。

十数年前の学生時代、そんな思いで自分の塾を立ち上げて指導をはじめた。
最初は教え子全員が第一志望に受かると思っていたのだけれど、
そうはならなかった。
全員が100%の成果が出るサービスを作るのは、思っていたより難しかった。

偉そうに語ったけれど、僕も「成果が出ない」という壁に行き当たった。
大半の大手の塾や予備校が成果を適切に公表できずに、
「成果が出てる感じ」だけを大々的に演出せざるをえない原因はここにある。

生徒を厳選して、少数精鋭でやれば、成果は出せる。
でも、大きな塾や予備校になればなるほど、
生徒や保護者の期待値を、実際の成果は超えにくくなる。

でも、僕はそこで諦めたくなかった。
適切なステップを踏めば成果はかならず出る。
成果が出ないのは、何かしらの原因がある。

そういう素朴な考え方を曲げずに、僕は十数年間をこの仕事に費やしてきた。
自分で立ち上げた塾を二十代の終わりに一度は畳んだ後も、
三十歳を超えて、再び現在のセンセイプレイスという教育スタートアップを立ち上げた。

「もう終わった大学受験なんて関わりたくない」と言いながら
お世話になった恩返しのつもりで夜な夜な2chに書き込んだ大学一年生の頃から、
二十年近く経った今に至るまで、ずっと同じテーマを探求し続けてきた。

「なぜ成果を出せる人がいる一方で、成果を出せない人がいるのか?」
「成果が出ない人は、どうすれば成果を出せるようになるのか?」

これから書くのは、その探求のひとつの終着点です。

先に書いておくと、結論はこうだ。

成果が出ない人は、自分の成果が出ない原因をわかっていない。
成果を出せる人は、成果を出すために自分に何が必要かを掴めている。
だから、成果が出ない原因を把握し、解決策を見つけ、やりきれれば、必ず成果は出る。

言われてみれば、当たり前のことだ。
当たり前のことなんだけど、じゃあ日本中の学校や塾や予備校は、
生徒の成果が出ない原因を把握し、解決策を見つけ、やりきらせて、実際に成果を出せているのか?

出せていたら、こんなに勉強嫌いな大学生が世の中に生まれるわけはない。

ちゃんと成果が出れば、勉強が嫌いにはならない。
嫌いにならないだけじゃなくて、楽しんで、没頭できるようになる。
そうやって身につけた力は、自分の可能性を信じる土台となる。

すべては、成果が出るか否かにかかっている。
だから、成果を出すことに徹底的にこだわる。

そんな「成果一直線」のサービスと会社を作ろうとしている僕が、
十数年にわたる探求と無数の失敗を通じて学んだことを書いてみたい。

安西先生が教えてくれたこと

受験生時代に毎日1話ずつ読んでいた

受験生時代、毎日1話だけ読んでいた


僕らの世代のバイブルであるスラムダンクの中で安西先生は言った。

「希望を捨てちゃいかん。あきらめたらそこで試合終了ですよ…?」

まさしく、成果を出すために必要なのは、諦めないことだ。
でも、諦めないためには、実際に成果が出る必要がある。
スラムダンクで言えば、逆転につながるスリーポイントシュートが入る必要がある。

あの大事な場面で、もし外してしたら、そこで気持ちは折れていたかもしれない。
大事な場面で成果が出るか否かは、未来を分ける。

ただ、漫画の中では大事な局面で成果が出て逆転劇がはじまるけれど、
実際の人生では、いつそれが実際に起こるか予測できない。
やっかいなことに、大事そうな場面で成果が出ないことが繰り返される。

そのうち、どこかの時点で勝利への意志が消えてしまう。
どれだけ「頑張れ!」と周りが励ましたところで、もはや本人の心には届かない。

そんな風にして本人が「もう無理だ」と諦めたとき、
横に目をやると成功している誰かの姿が飛び込んでくる。
その成功者と比較して「自分はできない人間なんだ」と思ってしまう。

その考え方を受け入れるのは苦しいことだけれど、
成果が出続けていない現実を前に、
それを受け入れないことの方がもっと苦しい。

だから、人はどこかで現実を受け入れ、諦める。
と同時に、受け入れるための理由を自分の内側にこしらえる。
「自分はできなくても仕方なかったんだ」と自分を納得させるために。

自分の可能性を諦めるとき

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前の会社を畳んだ時に撮った最後の一枚


人生でなにかを諦めることは僕にだってもちろんあった。
学生時代に夢見た物書きになるという目標は学生時代のうちに諦めた。
でも、何かを諦めることで、得られるものがある。
センセイプレイスを起業したのもそのひとつだ。
何かを諦めること自体が悪いわけじゃないと思う。

でも、何かに挑戦しても成果が出なくて諦めた時に、必ず起こる危険な罠がある。
特に「これが人生最後の逆転のチャンス」と思って大学受験に臨む10代の少年少女は、
ほとんどと言っていいほど、この罠にハマって非常に苦しむことになる。
二十代の終わりに自分の会社を畳んだ時、僕もこの罠に足を一歩踏み入れかけた(10分ぐらいだけど)。

それは「自分の可能性を諦める」という罠だ。

頑張ってもうまくいかず、成果が出なかった時、
人は自分の知る限りの世界の中から理由を探そうとする。
でも、成果が出ていない人には、その本当の理由は分からない。

だから、成果が出ない本当の原因を見つけられないまま、
「自分のせい」か「他人のせい」にする。
そして、その対象に対して怒りを覚えるようになるのだ。

どちらも悲しいことではあるけれど、
受験生に特に多いのは「自分」を責めるケースだ。

「自分はできなくても仕方なかったんだ」と思うために、
「どうせ自分なんて」と自分の可能性を見限るのだ。
一度そう思えば、その後はいくらでも
「どうせ自分なんてできない人間だから」という言い訳が成立するようになる。

「どうせ頑張っても無駄だ」
「なぜなら、どうせ自分なんて・・・」
「どうせ・・・」
という連鎖によって、
自分の可能性を信じて挑戦しない言い訳が高く積み上がっていく。

そのせいで行動を起こすことができず、現実に失敗する。
心理学の言葉を借りれば「予言の自己成就」が起きるのだ。

受験の勝負の多くは、試験本番よりもずっと前に決まっている。

諦めきれないものがあるから

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僕が見ていた2000年の井上康生(今年のオリンピック柔道男子監督)


高校を辞めて家にこもり鬱屈としていた頃、
テレビに映るオリンピック中継で
同じ世代の若い連中が活躍してメダルを胸に輝かせている姿を見て、
羨ましいを通り越して憎らしくすら感じていた僕は、
人がどれだけたやすくネガティブな悪循環に入るかをよく知っている。

「どうせ自分なんてはじめから能力が足りなかったのだ」
「生まれ育ちを振り返っても、そんな大それたことを望むのが間違っていた」
「そうやって仕方ないと受け入れた分だけ、自分は大人になったのだ」

大学受験という、若者にとっては人生をかけた勝負の途中では、
こうした悪循環はものすごく簡単に始まってしまう。
一度諦めてしまえば、その悪循環から抜け出すことは難しい。
数週で抜け出せたら良いものの、数ヶ月から数年、
時にはそれ以上の期間にわたって悪循環から抜け出せないことだってある。

幸いにも、僕は悪循環の期間はそんなに長く続かなかった。
たくさんの人のおかげで、その後も道を踏み外さずに生きてこれた。
悪循環の原因のひとつは、いま振り返れば受験だった。
でも、それを断ち切ることができたのも、受験を通じてだった。

そんな僕のミッションは、
若者が一世一代の勝負と覚悟して臨む受験において、
自分の可能性を諦めて失敗へと至る悪循環を断ち切るために、
目の前の短期的な成果を出すことだ。

僕がこの仕事を続けている理由

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お世話になった英単語帳(今も仕事で活躍中)


僕が自分の人生では半年しか勉強してない大学受験に、
その数十倍の時間を割いて関わり続けてきた理由のひとつは、
大学受験というシステムが「社会の負」が詰まっている場所であり、
その負の解消のために自分なりにできることがあると感じられるからだ。

たとえば、日本という国は、先進国の中でいちばん労働の生産性が低いらしい。
大人たちの生産性が低い理由は、僕から見れば、
生産性の低い勉強を成果の出ないまま延々とやっていることが原因である。
でも、このことは、ほとんどの人にちゃんと伝わらない。

僕の専門は学習効率を高めること、つまり学習の生産性を上げることなのだが、
YouTubeでこれを語っても伝わらないので、意識的に封印しているくらいだ。

「学習効率」を語る文脈が存在していないので、それを語っても伝わらない。
ただひたすらに頑張る、というブラック企業のような論理が受験界にまかり通っている。
日本の労働生産性を上げたいなら、勉強の生産性を上げることから始めればいいのだ。

そんな想いがあったからこそ、僕は
「人が成果を出すことを通じて、
自分の可能性を信じられるようになるためには、
いったいどうすればいいのか」
という方法を見つけ出し、具体的な形にしようと試みてきた。

結局、大学受験という世界では、僕は十数年間プロとしてやってきた。
これまでに数千人の受験生と対話をして、同じように多くの保護者の方と話してきた。
そこでの生徒が抱えている課題を発見したり解決して、成果を出すのが仕事だから、
どこで生徒が成果を出せなくなるのかはよくわかっている。

学習効率について、具体的に、英語の勉強、特に単語帳の学習で考えてみよう。
たった1冊の単語帳を仕上げる過程でも、つまずくポイントは無数にある。
初見の覚えにくい単語の覚え方が分からくてつまずく人もいれば、
単語帳を一周はできても復習する習慣がなくて忘れてしまう人もいる。

人によってつまずいている理由は違うので、そのポイントを発見して
「こうすればうまくいきそうじゃないか?」ということを発見できれば、
自分の可能性を諦めかけていた受験生が再び目を輝かせ始める。

1年やっても半分も終わっていなかった単語帳が、
わずか1週間も経たないうちに終わりそうな見込みが立ったら、見える世界が変わる。
その1冊を1週間で実際に終えたら、その先には全然違う未来がひらけてくる。

今は単語帳を例に話したけれど、
苦手な科目であったり、
頑張った後の模試や過去問で点数が取れなくて絶望したという経験は、
多かれ少なかれ誰しも持っているのではないだろうか。

たとえ絶望しかけて諦めそうになった時でも、
短期的な「こうすればうまくいきそうじゃないか?」ということと
長期的な「これを続けていけばうまくいきそうじゃないか?」ということが組み合わさり、
実際に「うまくいった」という小さな成功体験を積み重ねることができれば、
ぐっと踏みとどまってファイティングポーズを取れる。

たったひとつの単語帳の勉強法を知るだけで、
人は自分の可能性を諦めずに挑戦し続けられるのだ。
その場に立ち会い続けていることが、僕がこの仕事に誇りを持てている理由である。


応援姿勢で、命がかかっている瞬間に立ち会う

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想いを込めた手作りの公式サイト

大学受験というのは、当たり前だけれど、小さな成果の積み重ねなので、
大きな夢だけ掲げてもうまくいくわけじゃない。
志望校合格を掲げても、合格には1ミリも近づかない。

たとえば1時間とか1日とか1週間とか、
そういった小さな努力と成功の積み重ねによって成果は出る。
小さな成功を生徒が実現するためにできることは、限りなくたくさんある。

必要なのは、その小さな成功を阻んでいる原因を発見して、潰すことだ。
それができれば、絶対に、成果が出るようになる。

絶対に、だ。

生徒自身が「なぜ成果が出なかったのか」を具体的に把握して
「こうすればうまくいく」という解決策をリアリティを抱けて
実際にやってみたら「成果が出た」という経験があると、
その分だけ自分を信じられるようになる。

自信というのは、どこからか湧いてくるものではない。
自分の考えたことを元に行動をして成果が出ることで、
「自分を信じられるようになる」ことによって得られるのだ。
つまり、自信というのは、行動によって自らつくる必要がある。

こうした成果の出る行動を積み重ねた分だけ、その人は自信を培っていく。
一方で、自分で考えたことがいくらやってもうまくいかないと、自信を失っていく。

大切なのは、生徒を指導する側が、この点を理解していることだ。
それはすなわち、自分がその人の課題を発見して、解決した分だけ、
相手は成果を出せるようになり、自分を信じられる好循環に入ると信じることだ。

医者が風邪と見分けがつかない危険な病気の兆候に目を光らせるように、
生徒一人ひとりの課題を発見し、解決できるように全力を尽くすこと。

そこには生徒の命がかかっているのだ。
比喩ではなく、実際に、生徒の未来を左右する瞬間に立ち会っているのだ。
その瞬間を託されている責任を感じながら、目の前で成果を出し続ける努力を重ねること。
それができるかできないかが、指導者として問われている力だと思う。

生徒によっては難しい症状で運ばれてくることがある。
勉強の方法や生活習慣に問題があるだけなら病状はひどくはない。
でも、過去の受験の失敗によるトラウマがあったり、
家庭の中に問題が生じていることがうまくいかない原因だったりする。

そういったこともひっくるめて考えなければ、本当の成果は出ない。
そこまで考えて生徒の成果を出すことにこだわり、
生徒が自分の可能性を信じられるように地道な努力を重ねること。

こうした姿勢を僕は「応援姿勢」と呼んでいる。


成果一直線で、この世界をおもしろくする

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卒業式の一コマ(コロナで2年連続できてない)


成果が出ることによって「自分の可能性を信じられるようになる」のか、
成果が出ないことによって「自分の可能性を信じなくなってしまう」のか。

受験というのは、10代において良くも悪くも大きな分岐点のひとつだ。
「大学受験の学歴なんて、この時代に大した意味はないよ」
という考え方は、しごくもっともな意見ではあるのだけれど、
いろいろな事情を抱えて必死で机に向かっている受験生には意味がない。
ここで勝てなければ、後がない。そういう覚悟で勝負しているのだ。

僕にとってもそうだった。
10代で聴き込んだポップソングが死ぬまでテーマソングになるのと同じように、
10代終わりの大勝負は、良くも悪くも人生におけるターニングポイントになる。
ここで自分を信じるに足るだけの成果を出せるか否かは未来を左右する。

だからこそ、生徒が目の前で成果を出せるように、徹底的にこだわる。
この目の前で成果を出すことにこだわる姿勢を僕は「成果一直線」と呼んでいる。

指導者が、「応援姿勢」で、「成果一直線」になることで、
諦めかけていた挑戦者は心に火を灯し、成果を目指して走り始められる。

どうせこの社会に受験という制度が存在してしまうなら、
制度を批判しても生産的ではない。
その制度を活かして、できるなら楽しんで、
生きていけるように行動したほうがいい。

そうした人が増えた分だけ、この世界はおもしろくなっていく。

現実を変える一歩を踏み出せ

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2015年4月3日、センセイプレイスの法人登記(新宿区法務局にて)


受験の指導者であると同時に、僕は経営者としても十数年間やってきた。

大学受験の指導者の腕前は確かなつもりなのだ。
でも、受験という「一人の生徒の問題」と比べて、
経営というのは複雑性が高いために、
さらに難しいというのが正直な感想だ。
経営者として成功してもいない僕が偉そうに語ることはできない。

ただ、僕なりに経営に関する本を読んだり話を聞いたりしていて、
経営と、受験勉強の指導とは、通じていることがたくさんあると思う。

特に、我々のような吹けば飛ぶような小さなスタートアップにおいては、
その会社のミッションの実現に向けて、成果一直線になることが重要だ。
これは、経営者であれ、社員であれ、インターンやアルバイトの大学生であれ、
スタートアップに参画するからには取るべきスタンスであると思う。

いま「会社のミッションの実現にむけて、成果一直線になる」と書いたけれど、
もっと深く掘れば、一人ひとりのメンバーは「会社のため」に働いているのではない。
そういう側面もあるにせよ、会社のミッションに共感し、
それを実現にコミットすることを通じて、
自分の可能性を創造しているというのが本当だろう。

そういう観点で見れば、受験生と同じだ。
未来に向けて、自分の可能性を信じて、成果一直線で、全力を尽くす。
つまり、会社に忠誠を尽くしている以上に、自分に忠誠を尽くしているのだ。

だからこそ、その自分の可能性を、この会社は広げてくれるか否かを、メンバーはいつも敏感に感じている。

そうしたメンバーがいる経営において必要なのは、
一人ひとりのメンバーが成果を出せるように応援姿勢で向き合うことと、
メンバーが自分一人では解決できない課題があれば、全力で原因を探し、解決策を考えて、共に乗り越えること。

二十代で一度は自分の会社を畳んだことのある僕は、
受験指導ほど上手にそれができるわけではないことをよく知っている。
失敗は数え切れないし、気づいてない遠回りはそれ以上に多いだろう。
諦めそうになったことだって、ないとは言わない(まぁ、ほぼないんですが)。

ともあれ、諦めたらそこで試合終了だし、勝てる見込みも常にあったので、
その時々で踏ん張って今に至っている。
完璧な人間には程遠く、成功もはるか遠すぎて目がかすむけれど、
少なくともそこに向けてファイティングポーズは取り続けている。
成果一直線で、応援姿勢で、今日も指導と経営をやっていこうと思っている。

僕は、そうやって諦めずに挑戦し続けることを、
「頑張れ」と言って若い連中に託すのではなく、
歳を重ねた「先に生きている人」が背中を見せることが大事だと思っている。
それが何かを教える教師を超えた、
生き様で持って何かを伝えられる「先生」だと思うから。

いくら議論をしていても現実は変わらない。
現実を変えるための行動という一歩を踏み出した人間だけが、現実を変えていく。
受験生だって、大学生だって、社会人だって、経営者だって、それは同じだと思う。

だから。

成果一直線で、諦めずに挑戦し続けていくこと。
挫けそうになっている人がいたら、成果を出せるように応援姿勢でサポートすること。
それが自然にしあえる世の中をつくり、広げていくことが、教育が変わるということだ。

今日これを書いたのは、
第二創業期とも言うべき我々センセイプレイスの7年目の今、
創業者として大事にしたいと思っていることを、
形にして残しておきたかったからだ。

このダサいエントリーひとつだって、
僕なりに現実に行動を起こして挑戦をしている真っ最中の記録である。

一緒に創業した代表の庄司と最近よく話しているのだけれど、
ようやく7年目にして僕たちは勝負の土俵に立てている気がする。

庄司とは大学一年の時に出会って以来、大学時代も、
前の会社も、今のセンセイプレイスも、ずっと一緒に色々やってきたが、
お互いのキャラクターが違うので、いつもぶつかり続けてきた。
でも、そうした期間を経て、今が一番同じ方向を向いて走っていると思う。
(なんだか長年連れ添った夫婦みたいな話ですが。笑)


実は、本日はセンセイプレイスの記念すべき新サービスの一般公開日。
僕にとっては、逆転の狼煙を上げるスリーポイントシュートを放った日だ。

「絶対に全員が成果を出す」ことを目指して準備してきた新コースは、
すでに入会者が続々と決まっており、幸先のいいスタートを切れている。

吹けば飛ぶようなセンセイプレイスというスタートアップは、
これまでにない局面を迎え、新たな挑戦に向かっている。

まだシュートが決まったわけじゃない。
勝負に勝ったわけでもない。

だから、今の僕がやるべきことは、
生徒の成果を出すために、会社のミッション実現のために、
すべてを成果一直線で考え、応援姿勢で、行動を起こし続けること。

「希望を捨てちゃいかん。あきらめたらそこで試合終了ですよ…?」

安西先生の言葉を噛み締めながら、
今日も僕は勝利を目指して一歩を踏み出す。


ということで、長い文章になりましたが、
今の気持ちをアウトプットできて一安心したので、
今日も机に向かっている生徒たちの勝利と
今もパソコンに向かっている仲間たちとの勝利に向かって、
成果一直線で、再び仕事に取り掛かります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

では、いってきます!


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