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SNSの疲れをいやす方法

ロシアとウクライナの紛争が発生してしまいました。
海外メディアやSNSから生々しい映像がシェアされ流れてきます。激しい戦闘が本当に今起きているのだと実感させられます。

今すぐロシアが手を引いてほしいと思いますが、どうなるか分かりません。

そして、そのような悲惨な戦場の映像を目にしてしまうと、普段見るテレビの映像が、過激にならないようにうまく加工されていることが分かります。

Twitterなどでは、戦争や事件事故などの未加工の映像を心の準備なく見てショックを受けてしまわないよう、多くの人が警告を行っています。
ただ実際に情報が流れてきてしまうと避けるのは難しく、見た後に後悔することが増えてきました。

そこで私は最近、SNSやメディアの情報から距離を置くようにしています。

簡単に言うと利用頻度を減らしたということですが、そのせいか最近、感情のざわつきが収まって平穏な気持ちでいられることが増えています。


最初は平和だったSNS


2004年(平成17年)にサービスが開始されたmixiは招待制のSNSとしておそらく初めて日本で流行したと思います。

私はたまたま早い時期に招待されてアカウントを作りました。

初期の初期は本当に限られた人の間でゆるいやり取りが行われるサービスでしたが、iモードなどの携帯が普及するにつれ、SNSに多くの利用者が流入し非常に盛り上がるようになりました。

私は、mixiからFacebookやTwitterに移行した後も、基本的にはとても平和なSNS生活を続けていましたが、最近明らかに好ましくないノイズが増えていると感じるようになってきました。

おそらく利用者の嗜好をタイムラインやレコメンドに反映させるシステムの精度が低いため、利用者側が意図しない情報が多くなり、それを「ノイズ」と認識しているのだろうと思います。


フィルターバブルの予言


2011年に出版された「閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義」で、すでにこのような問題が予言されていました。

情報がフィルターバブルによって取捨選択され、自分の知見を広げる情報や、自分にとって都合の悪いニュースを知る機会を失ってしまう。


利用者の意向に合わせシステム側でフィルタリングされた情報がインターネットに増え、その情報の壁がまるでバブルのように自分を包み、気づかないうちにその傾向に今度は自分が染まってしまう、という内容です。

ただこの本が出版された当時は、それはネットの狭い世界の話でありリアルな世界にはほぼ影響ありませんでした。

しかしリアルとネットの両方で人間関係が維持される時代になると、そのフィルタが人に与える影響は大きくなります。

コロナ下でリアルの接触が減り、代わりにネットでのコミュニケーションが増えている今、その接点の多くに自分が意図しないフィルタリングされた情報があふれていたとしたら、その偏った情報がリアル世界の判断に影響を与えても何もおかしくありません。


ネットでのデマや誤った認識の広まり


さらにそれらの中には、好ましくないどころか明らかに誤りやデマも含まれています。

そこで私は、その誤りを正すべく確認作業を行ってみましたが、何が正しいか判断するのはとても難しいと感じました。

例えば、災害、病気、戦争、政治などに関する、本当か分からないデマのような情報が流れてきた場合に、裏を取ろうとして自分が調べた検索結果にもフィルタがかかっており、自分がすでに知っている、または知りたいと思っている情報しか出てこない可能性があるのです。

じゃあネットやシステムの利用を止めればよい、またはフィルタリングをすべて回避すればよいとも思いましたが、現実にそれができるのかと言えばかなり難しいです。

よって私は、ネット上のあらゆるものに常に少しだけ疑いを持ち続けるという、面倒な状態となりました。

そして今は、もうあえて鈍感になろう、疎遠になろう、判断を保留しようという態度くらいがちょうど良いと感じています。


意図しない偏った情報を浴び続けていると、耳には聞こえない低周波により身体にダメージを受けるのと同じように、少しずつ判断力を削がれてしまうと感じます。

フィルターバブルを回避しながら、ネット内で上手にコミュニケーションを行う方法はないものでしょうか・・・?


[マガジン] 平成って何だったの? こちらからもぜひお読みください!

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