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私の知っているcと私の知らないc

朝5時に目が覚めて特にすることも無く
でももうすぐ活動しないといけないから寝るわけにもいかず、思い立ったらnoteに思いをつぶやきに来たshirokumaです、おはようございます🥱☀

今回は私の知ってるcと私の知らないcというタイトルで私的な感情を呟きたいだけなのですが、お時間が許す限り流し読みでもいいのでよんで欲しいです。

最初に断り書きをすると、この話は暗い話ではありません。誰かを傷つけたいと思って書いた訳ではありません。誤解なきよう、お願い致します。

この記事で伝えたいこと
・大切な人との時間
・友情は永遠では無い

大切な人との時間

最近この夏1番幸せな時間を過ごしました。
学生時代1番色んな時間を共有した親友c(👸)とお泊まりデートです。変な意味では無いです。

今日はお昼にはお別れして、次会えるのは早くても半年以上先。コロナがおさまらなかったら一年以上先。
正直寂しすぎます。家に帰って家族に色んな話もしたいけど体が2つあればいいのにって思うくらい帰りたくない自分がいます。

cもそう思ってくれているのかな。そう思ってくれる程の仲だからこそ泊めてくれて、ずっとこの数日間一緒に過ごしてくれていたんだろうなと思いたい。

私の知っているcはハンサムなルックスで黒髪ストレートミディアムが似合います。それでいて心はこの上ないくらい乙女です。ガーリーとは違います。どちらかと言うと恋する方の乙女です。

c、絶賛恋する乙女です。以前にも何回かお付き合いしている人の話を聞いたことはありました。恋の悩み相談とか、別れ話をどう切り出そうかとか、新しい人と付き合ったよ、とか…。なんでも話してくれます。

離れている私たちの繋がる手段は無論SNSか電話。
寝る前に時々、電話越しに聞くcの声は某配信アプリに大量生産されていそうな(勝手な偏見すみません、軽蔑してるんじゃなくてむしろそういう女の子の声は好きなんです。)人気ライバーのLIVEを独り占めしている気分にさせてくれます。

この数日間はその声を誰よりも近くで聞けて、誰よりも存在を近くに感じられて、学生時代を思い出させてくれて、幸せでした。

何かと忙しかったこの半年間の疲れを癒してくれたc.
もう離れる時が近づいているのが寂しすぎます。

この旅の前々日の朝、私の片耳は聞こえなくなりました。原因は不明ですが、おそらく突発性難聴。

ストレスが原因のひとつですが、忙しさがダメージを与えていたのかなと何となくしか要因を考えられません。他には楽しい日々だけだから、笑

温泉が傷を癒すように
cが私のストレス性(って勝手に名付けた。)難聴を癒してくれます。(正確にはビタミン剤と休養で良くなることも多いのだとか。)

今回の旅はそんなこともあって余計cとの時間が私に与える影響を強く感じました。

友情は不変では無い

親友cには私が知っているだけでもふたつの顔があります。
まず1面目、現実で大学とバイトと一人暮らしを頑張っています。

次に2面目は、ネッ友が多いです。ネッ友に対しては色々な意見があるけれど、cにとってはそこも大切な居場所の1つなんだろうと思うと、私はただただcが安寧に幸せであれば問題ないと思っています。

でも、ネッ友との話やお付き合いをしている話をcがしているのを聞く時間は少し寂しいです。横にいるはずのcは、いつかどこか遠くに行ってしまうような気がしてならない時があります。

基本、来る者拒まず、去るもの追わずなスタンスなのですが、cに関しては手離したくない、という思いがあります。人生で1人でもそういう存在を見つけることが出来て、それこそ幸せですが、時々この存在がいなくなった時を想像して焦燥感に襲われます。



いつかcが働いて、結婚して子育てして、忙しくなったら会える時間は今以上に少ない。若い時ほど行きたい場所も減ってくるかもしれない。神様はcと私が思い出の時間を共有する瞬間をあと何回くれるのだろう、と考えます。ネッ友とはスマホを開けば常に繋がることができるけど私たちが会えるのは年に数回。時間を共有できるのは親友の特権だけれどその時にも私の知らないcはいつも一緒にいる、どちらの面もcだから。

きっとこの友情が崩れることは一生ないのだろう。
いや、崩れるか崩れないかは私次第で、崩してはならないのだろうと思っています。
私の人生の一部ですから。

友情は不変なのか、と問われた時に私はNoと答えます。知らないcは知らないうちに進化していって、それを知った時の私はきっと楽しいだけの感情ではなくて負の感情にも襲われるから。

友情が永遠なのか、と問われた時に自分次第だと私は答えます。どんなcも受け入れて、どんなcとも時間を共有したいと思っていれば友情は永遠です。これからまたcの新しい面を知っていくだろうけれど、それを受け入れられなければ私の中でcは少し小さな存在になるかも知れません。

受け入れられない部分が出てくると冷めてしまいがちな私は、本当の人付き合いが苦手、という欠点があると最近知りました。

過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる

この言葉は中学校の時からのお守りです。

全て自分の向き合い方次第だと最近色んな場面で感じます。良いことも悪いことも向き合って、次にcと会う時も幸せな時間を共有したいです。ここまで色んなことを書いたものの、どんなcもかけがえのない存在なので、笑笑

書いている間に支度をする時間になりましたので今日はこの辺で失礼します。

今日もこの投稿を読んでくださった全ての人にとって素敵な1日になりますように🐻✨

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