瓔珞と半沢直樹と

 今更ながら、半沢直樹シリーズを手に取った。
 もちろん、最初は一作目。
 池井戸さんの本は、『七つの会議』、スポーツ物の『陸王』、そして『不祥事』(花咲舞シリーズ)とぽちぽち読んではいても、半沢シリーズにはなかなか手が出なかった。
 王道ではなく、脇道から入りたがる、歩きたがるのは、ひねくれ者たる私の性とも言おうか。
 だが、「女版半沢直樹」と名高い中国ドラマ『瓔珞』に私は物の見事にはまってしまった。
 後宮物、と言えば、女の戦い。
 真っ直ぐに生きて行こうとしても、否応なしにいに巻き込まれ、傷ついていくのが定番。安らぎを求めても、虚しいだけ。ギスギスした生活の中で貴重な愛情を見つけたとしても、砂のように手からこぼれ落ちる。
 この『瓔珞』の主人公も、本当に好きだった人とは結ばれない。謀略に巻き込まれ(あるいは自分から飛び込み)、傷つき、大切な人も失う。でも、「不屈」!その目から、意思の強さが失せることはない。
 やられたら、同僚だろうが、上司格だろうが、やり返す。そのやり方は容赦ない。でも、あくまでも相手に仕掛けられたからであって、自分から仕掛けることはない。
 その場では、何も言わなくても、それはもっとも効果的、かつ確実に相手をとっちめる機会を待っているだけ。決してあきらめない。目標を達成するためなら、何でも利用する。(その発想力は羨ましい限り)
 でも、容赦なさの奥底には、大切な人への情がある。
 そのギャップが魅力の一つでもある。

 踏まれても、ただ耐える一方でいるしかない、など、誰が決めたのか。
 さて、本家の半沢氏に戻るとしようか。

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