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<種まく人>~ミレーとゴッホ 私感

 <種まく人>…といえば、フランソワ・ミレーの代表作だ。

 すぐにでも、この茶色を基調にした画面と、いっぱいに描かれた男性の姿を思い浮かべることができよう。

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フランソワ・ミレー、<種まく人>、1850年、ボストン美術館

 そのミレーをこの上なく敬愛し続けていたのが、ゴッホである。

 彼が画家の道に進むことを決めたのは、1880年、27歳の時だった。

 新たな道に踏み出す際には、できるだけ「自分に近しいもの」、「自分の興味の持てること」をとっかかりとするのが王道だし、ゴッホの場合も、それは同じだった。

 新たな道の入り口に立った彼が手本として思い描いた相手こそ、ミレーだった。

 1880年9月、画家としての道を歩み始めたばかりの頃に書かれた手紙によれば、ミレーの複製画を20枚は持っており、それを真剣に模写していたらしい。

 彼のようになりたい。

 学べること、吸収できることは全て自分の血肉にしたい。

 そう思っていただろう。

 ミレーへの敬意は生涯、彼の中で生き続け、フランスに移ってからも、「ミレーを模した」作品をしばしば描いている。

 その一つがアルル時代に描かれた<種まく人>だ。

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ゴッホ、<種まく人>、1888年、クレラー=ミュラー美術館


 タイトルにもなっている「種まく人(男)」は、ミレーの作品とポーズも服装もよく似ている。

 が、主役はむしろ畑の奥で光り輝く黄色い太陽ではないだろうか。

 いや、むしろ「黄色」が主役、と言ったところか。

 画面の上部5分の1が、太陽とその光に黄色く染め上げられる空で占められている。

 ややトーンの暗い畑を挟んで、青やオレンジの細い筆致を重ねて表現された地面。この存在がなかったら、黄色い太陽も、ここまで強い輝きは放っていないだろう。面積としてはこちらの方が広いのに、たとえて言うなら、宝石を載せる台の上に敷かれたベルベットの布地のようなもの、とでも言ったら良いのだろうか?

 こうして画像を見ているだけでも、目が痛くなってくる。

 ミレーの絵とは、全く印象が違う。

 一方、こちらはアルルを出た後、サン=レミに移った後の作品。

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 ゴッホ、<昼:仕事の間の休息(ミレーを模して)>、1890年、オルセー美術館

 木口木版の原画をもとに、描かれている。

 黄色と青の組み合わせは<種まく人>と同じだが、だいぶこちらは落ち着いている。アルル時代のギラギラした感じがない。

 良い意味でバランスが取れている。こなれた感じ、とでも言おうか。

 ゴッホの特徴の一つである「うねり」が見られるようになったのも、このサン=レミ時代からである。

 自分らしい絵、自分ならではの絵…それにようやく答えを見出せた時期とも言えるだろうか。

 ゴッホの画業は約10年間。

 茶色を基調とした農民画に始まり、パリで印象派や浮世絵を通して明るい色彩や厚塗りを取り入れ、アルルで色彩を爆発させ…。

 昔、MoMATでゴッホ展が開催された時、初期作品を見た時には「え?」とあまりのイメージの違いに驚かされた。が、今思うとオランダ時代からパリ、アルルやサン=レミという流れの底の底の方には、変わらないものも存在しているはずだ。

 その一つが、ミレーへの敬意。

 そして、実物のモデルを前にして描くこと、モチーフと真剣に向き合う姿勢。

 真剣過ぎて、それがあの「ギラギラ」につながっているとも言えようか。

 昔は苦手で、頭痛の原因にもなっていたそれは、今は嫌いではない。

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