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理想、完璧主義

理想が高い私は、すぐに挫折していた。例えば常に成績のことが頭から離れない、点数が80点をきったらどうしよう、そんな高いハードルを設けている状態。いつも緊張状態で、「出来なかったらどうしよう」が脳内を締めている。要するに「出来ない自分は自分ではない」と心のどこかで思っていた。

最近、自分が持つハードルを下げてみた。出来ないのは当たり前、自信がないのは当たり前。それは自己否定しているわけではなくて、「普通」の基準をちょっとだけ下げる、ということで。おかげさまで自分に失望することが随分と減った。ちょっとだけ生きやすくなった。

それは哀しいことですか、寂しいことですか、生きやすい術を身に着けていきたいというのは、傲慢ですか、自分に期待をして理想を掲げることは、かっこいいことだと思っていたけれど、私は私の首を締めるだけだと気づいた。働けなくなったのも、完璧主義で理想主義な自分が自分の首を締めたから。完璧に立ち回ること、完璧に物事をこなすこと、それが正義だと思っていたときは苦しかった。

鬱になって、生き方を改めてみた、理想を手放してみた。理想を掲げることは決して悪いことじゃないと思うけれど、たまには理想を掲げることもあるだろうけれど、過度な期待はしない、過度には信じない、練習をしている。それは哀しいことなのですか。


最近の話。最近は、不安になることが減った。不安と向き合ったら、自分にできることとできないことがハッキリした。できないことは、手放した。全部を自分の手でやらなくてもいいと、完璧主義をすこしずつやめてみた。まあいっか、なんとかなるか、を手に入れた。すこしずつ、楽になっている。

手荷物が増えると、自然と足取りも重たくなる。前に進む活力が減る。だから、手放す必要がある。重たくなりすぎたら、すこしずつでいいから減らして、軽くする。軽くなったら、また進む。重たくなったら、また手放す。その繰り返しがなんとなく身についてきた。

力まなくたって、無理をしなくたって、私は私であって、私は私を生きている、その事実だけで明日もきっと生きられる。理想があってもなくても、それが私のありのままであって、私の存在価値は揺るがない。そんなことを自分に言い聞かせる。

もうクリスマス、すっかり冬、2021年の振り返りをした、それはまたの機会に。最も苦しかった1年、でも最も宝物な1年、生きるということの難しさと尊さを感じた1年、次回綴ります。

では今回はこのへんで。

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