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自分を肯定しながら生きるために、私がやったこと。


「そういえば、自分を否定することが少なくなったな、、、」

一人暮らしを始めて10ヶ月。
少し作りすぎた料理をひとり食べながらふと感じたことだった。


*過去に書いた、"私がやったこと"シリーズ 第一弾



私の頭のなかは、こんな"マイナスな自己否定の言葉たち"が行き交って絡まる。

失敗したら評価が下がる。
何か言われるかもしれない、怒られるかもしれない。
お前はダメだ、できない奴だと刻印されるかもしれない。
もう頼りないやつだと思われたらどうしよう。
だめだ、自分なんて、、、。


その言葉たちが私に降り注ぎ、まるで私が「ダメな人間だ」と通告されている気分に苛まれていた。

一人暮らしをしていると、そんな思考に囚われて抜け出せないことが頻繁に起こる。

1人の時間が多いがゆえに、これまでのように自己否定しているとどうやら殻に閉じこもってしまうような感覚だった。


「自己否定、直してみよう。」

そうして時間をかけて、じっくりじっくり改善してみることを決めた。



***



私がしてきた、自己否定をなくすための方法。
それをこれから綴っていこうと思う。

これはあくまでも現時点での私の方法であり、今後も変化していくこと。また貴方は貴方なりのやり方があることを御理解の上、読んで頂きたい。



1.自分の感情をひとつひとつ拾い上げて分析する


これは、ひとつめにして最強で最善な方法だと思っている。

zoomでお話する人達にも必ず伝えてきた。


「自分はどんな場面で、どんな感情になるのだろう」
「なにが好きで、なにが嫌いで、なにをしているときに"夢中"になれるのだろう」

そんな自分自身の心の動きは、自分にしか気づけない。語れない。なのに自分以外のだれが拾って大切に扱ってあげられるのか。

そう必ず伝えている。



これまでの私は、肩書きで自分を紹介する大人たちに「劣等感」を抱いていた。

私はなにもできない。1人前の肩書きも実績もない。この人達になにが語れるのだろう。


なにもできない自分への劣等感、自己否定のことばにあふれていた。
それでも自分の価値を感じていたい意地っ張りでわがままな私の心が、そう叫んでいた。


繰り返して同じ場面に遭遇するなかで、似たような感情に出会っていく。

そのうちに、ある思考が生まれた。

私はこの人たちみたいには語れないけれど、「私自身について」は誰よりも語れるのではないか?
私はどんな人間で、なにが好きでなにを大切にしていて、どんなことをしてきたいのかを発信したらいいじゃない。


そう考えるようになってから、自分自身について探求し語れるようにしようと決めた。


それからは日々自分の思考、感情の移り変わりを観察して拾い上げ、「なぜそう感じたのか?」を分析した。

とにかく感じたことをありのまま書き殴る日々。地道だけれど、気づいてあげられなかった自分の心の声たちと出会えるのは嬉しかった。


少しずつ「自分という人間」の実態が分かり始め、周りへ発信。

それにはかなりの勇気が伴ったけれど。

面白いことに、
発信をしていくうちに私が好きなこと、やりたいこと、心が動く体験を周りのひとたちが運んできてくれることに気づいた。


そうしていくうちに、

「案外私っていう人間も悪くないな」

と楽観的に自分自身を俯瞰できるようになっていった。


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2.何かの"基準"を通して自分をジャッジしていることに気づく


"良い"や"悪い"、"正しい"や"間違い"というジャッジは、「なにを基準にするか」に依存して容易に変わってしまうものだ。

例えば、身近な人が「面白くない」といったコンテンツを「面白いじゃん!!」と感じた私は"間違い"となる。

例えば、世の中で大企業に就職し長く務めることが"良いこと"と考えている人にとって、「フリーランスに転職する」ということは"悪いこと"となる。


じゃあ自分のなかで飛び交っている、
「私はダメな人間なんだ」
「私はどうせなにもできない」のような自己否定の言葉は、
なにを"基準"にして、誰が"ジャッジ"していることなんだろう?

自分が自分の色眼鏡を通して、環境や常識に流され"基準"を作り出し、自分に対しての"ジャッジ"をしているだけなんじゃないか?


そんな疑問に気づいたとき、気持ちがスッと楽になったのを覚えている。

自分自身にジャッジをしない。
実は"良い"や"悪い"、"正しい"や"間違い"というジャッジは、何かの基準にとらわれているだけなのだ、と気づくことがなにより大切だと思っている。



3.自分の存在をありのまま肯定する言葉を、自分自身にかける


2.のジャッジを乗り越えた先に必ずやってほしいことがこれ。



「自分はだめな人間だ」
「失敗したらどうしよう」

自分のなかで飛び交っている言葉たち。

もし、目の前の大切な人が、そんな言葉を放っていたらどんな声かけをするか考えてみてほしい。


「貴方はありのままで十分素敵だよ」
「失敗は次のステージで貴方が輝くための糧になるよ」
「今日も頑張ったね、おつかれさま」

きっと、私は大切な人にはそう言葉をかける。


そのことばを、自分に対してかけてほしい。

まるで大切な家族、友達、恋人に言葉を贈るように、自分に対して贈ってほしいのだ。


私は自分のなかで飛び交っている自分を否定する言葉を、自分に対してかけるのをやめた。正確には、その言葉に気づいて、自分を肯定し存在を認める言葉へと変換した。

それをまた紙に書き出したり、夜寝る前に声に出してみるのだ。できれば、毎晩。


私はそのおかげで自分を労り大切にする習慣がついた。自分として生きるためのエネルギーが湧き、自分の存在を日々感じ肯定することができた。

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中には、「自分をなかなか認められない」と感じる人もいるかもしれない(私もそうだった)。

自分を認めよう、と思うと"結果"や"評価"が気にかかり、ありのままの自分から遠ざかってしまうように思う。


だから、認めよう、とするのではなくて、今の自分の存在を肯定する「今日も頑張ってくれてありがとう」「おつかれさま」という言葉をかけてあげればよいと思うのだ。


シンプルに、自分を労り感謝する。

小さな言葉かけが、きっと"自己否定"から自分を遠ざけてくれるから。



***


一人暮らしを始めて、自分と向き合う時間がより一層増えた。

だからこそ気づけた"自己否定"をし続けた自分。

そんな自分を改善していく3つの方法。

1.自分の感情をひとつひとつ拾い上げて分析し、
2.何かの"基準"を通して自分をジャッジしていることに気づき、
3.自分の存在をありのまま肯定する言葉を、自分自身にかける


このことを丁寧にやってみたことで、自分の存在をちゃんと肯定しながら、労り感謝できるようになった。

それでいて疲れたときは「自分で自分のご機嫌をとる」ことができるようになったように思う。


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だからこれを読んでくれている貴方も。
せっかく素敵でいる貴方を、貴方自身が否定することはとても悲しい。

今いる貴方が、"あなた自身"をちゃんと肯定して貴方らしく生きてほしいと思う。ときには自分をご機嫌にしながら、労ってあげながら、輝いていってほしいと思う。


私も、貴方も、少しずつ。自分の人生を誇れるような私で、貴方で、いられるといいな。


アズ


「温かで穏やかな光を見失わず、貴方が生きていけますように。」 そんな気持ちでnoteを届けています。 気に入ってもらえたら【スキ】【フォロー】 さらに【サポート】で応援して頂けるととっても光栄です。