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【笛吹市青楓美術館】ぶどう畑の中の最古の美術館(10) 「青楓の四季~春・夏編~」を見に行く

はじめに

 ぶどう畑の中にある山梨最古の美術館こと笛吹市青楓(せいふう)美術館では、展示替が行われ、2024年度前期の展示が行われています。
 2024年度前期は「青楓の四季~春・夏編~」(2024.3.21~7.21)として、津田青楓が描いた作品のうち、春と夏に関する作品を展示しています。

4月には桃の花と

 過去の展示替えについてはこちらをご覧ください。
 2022年度前期「青楓人物画展」
 2022年度後期「小池唯則と津田青楓」
 2023年度前期「花のあるくらし~津田青楓が描く花の世界」
 2023年度後期「青楓作品との対話~子どもたちは青楓作品から何を感じたか~」


青楓美術館

 笛吹市一宮町はぶどう畑と桃畑の広がる果樹栽培の地域です。青楓美術館はそんなぶどう畑の中にある小さな美術館です。

近くには桃畑も

 開館は1974年(昭和49年)10月23日ですので本年50周年を迎えます。現存し通年開館している美術館としては山梨県内で最古の美術館です。
 笛吹市一宮町の出身の小池唯則こいけただのり氏(1903年~1982年、明治36年~昭和57年)が郷里に文化をとの思いで私財を投じて美術館を建設しました。

4月、満開の桃の花

 小池氏は友人の紹介で津田青楓(1880年~1978年、明治13年~昭和53年)と出会い、交流を重ね青楓の作品を集めていきました。美術館の作品は信頼できる方法で収集したいと考えていたからです。美術館を作ることを知った青楓からは、売って建設費用の一部にするようにと40点の作品が寄贈されました。しかし、小池氏は売るなんてもったいない、この作品を展示しようと美術館の名称も「青楓美術館」にする旨を快諾してもらい自身の故郷に青楓の美術館をつくりました。青楓からの寄贈は最終的に70点になったといいます。

吉井忠《老先生の執筆を見守る小池唯則》1972年
出典 : 「小池唯則と津田青楓」チラシ

 しかし、青楓が美術館を訪れたのは開館の一度だけです。青楓はこの時90歳を超えていました。4年後、青楓は天寿を全うしました。
 小池氏も1982年(昭和57年)に亡くなりました。美術館は遺族から一宮町(当時)に寄贈され、町村合併を経て笛吹市青楓美術館として現在に至ります。
 寄贈も多く現在では700点の作品、資料を収蔵しています。この先も収蔵作品が増えていくことが予想されます。

登録博物館・指定施設

 最近著名な博物館施設で見かけるようになった「文化庁の登録博物館制度」の証を発見しました。こちらは「登録博物館」に準じた「指定施設」というものです。例えば釈迦堂遺跡博物館は「登録博物館」になっています。

さりげなく置いてあった「登録施設」の証

 「登録博物館」「指定施設」とは法律上も博物館としての裏付けあるもので文化庁や都道府県がお墨付きを与えているものです。
 「登録博物館」「指定施設」になるのはたいへんであると聞いています。それだけに登録・指定のない「博物館類似施設」が圧倒的に多いのです。むしろこの規模の美術館が古くから「指定施設」になっていたことが意外ですが、小池唯則氏がそういうところもきちんとされていたのでしょう。
 ちなみに統廃合先とされていた春日居郷土館・小川正子記念館は「登録博物館」「指定施設」どちらにもなっていません。

津田青楓

 津田青楓(1880年~1978年、明治13年~昭和53年)は、画家、書家、歌人です。また二科会を設立した人物の一人です。
 夏目漱石の著作『道草』『明暗』の装幀は青楓の手によるものです。また、漱石の絵の師匠でもあります。
 青楓の活動は4つの時代に分けられます。古い年代順に並べると
 ・図案の時代
 ・洋画の時代
 ・日本画の時代
 ・書の時代
となります。明治から昭和を生きた青楓ですが、時代ごとにまったく異なる分野で作品を残しています。「漱石に愛された画家」「背く画家」など異名も氏の人生を物語っているようです。

津田青楓(96歳)
出典 : 『青楓美術館図録』
津田青楓略年譜 出典 : 青楓美術館配布資料

青楓の四季~春・夏編~

 前置きが長くなりましたが、「青楓の四季~春・夏編~」(2024.3.21~7.21)を紹介します。季節ごとの作品の展示とは、開館50年を迎える節目の展示替えにしては、いささかオーソドックスなテーマであると思います。また、青楓の年代に沿った並びで展示はされておりません。それでも、原点に立ち返り年間を通して季節の作品を見せていく展示と思われます。

「青楓の四季~春・夏編~」

1階展示室の作品

 青楓美術館では展示室の撮影は出来ませんので、図録などの画像から可能な限り作品を紹介します。
 まず1階の展示室入ると目に入るのは、この部屋を支配するかのような300号の大作《疾風怒涛》です。荒々しく波の打ち付ける冬の丹後の海を描いたもので、プロレタリア作品を描いていた時代に、左翼的な思想に対して厳しくなる当局に対して立ち向かう意思を表したかのような作品です。
 この大型作品を動かすとこは不可能ですし、他に置ける場所もありません。展示テーマに関わらず通年ある作品です。

《疾風怒涛》1932年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 《疾風怒涛》に向かって、右側の壁には2点洋画が並びます。また、非常口に近い小さな壁にも1点洋画があります。
 いずれも昭和初期に描かれた40代の時の作品で《花時京洛風景》《春郊》などは関東大震災後京都に移った時代に風景を描いたものです。《静物画(花瓶の花)》も同時期の作品です。

《花時京洛風景》1927年
出典 : 『青楓美術館図録』
《春郊》1929年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』
《静物画(花瓶の花)》1929年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 一方《疾風怒涛》に向かい合った壁には、日本画が3点あります。その下にはガラスケースがあって青楓が手掛けた装幀本が並びます。
 日本画は、晩年の作品《手毬図》と70歳頃の《金地菖蒲花》《伊万里壺》です。

《手毬図》1973年
出典 : 『青楓美術館図録』

 《金地菖蒲花》1950年(昭和25年)は、青楓美術館「花のあるくらし」で展示の時の模様ですが、こちらの菖蒲は金のもみ紙に油彩で描いています。洋画のように見える日本画で、青楓作品ではお馴染みの作品です。
 朝顔が描かれた《伊万里壺》1949年(昭和24年)も同時期の作品で、油彩で描かれていることから一見洋画のように見えます。しかし落款や印があることから日本画だといいます。

《金地菖蒲花》1950年 出典 : NHK 山梨 NEWS WEB
《伊万里壺》1949年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 ガラスケース内には、漱石などの本の装幀作品が展示変え前より継続展示されています。
 青楓は漱石との交流とともに多くの装幀を手掛けました。いずれも大正時代の出版です。
 『明暗』1917年(大正6年)
 『社会と自分』1917年(大正6年)
 『行人』1924年(大正13年)
 『彼岸過迄 縮小版』1917年(大正6年)

夏目漱石『明暗』岩波書店、1917年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』
夏目漱石『社会と自分』実業之日本社、1917年(初版は1915年)
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』
夏目漱石『行人』大倉書店、1924年(初版は1916年)
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』
夏目漱石『縮刷 彼岸過迄』春陽堂、1917年(初版も同年)
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 また、漱石に関する青楓の著作と装幀本もあります。
 津田青楓著『漱石と十弟子』世界文庫、1949年(昭和24年)
 森田草平著『夏目漱石』1942年(昭和17年)
 森田草平著『続夏目漱石』1943年(昭和18年)

『漱石と十弟子』 出典 : 日本の古本屋

 注目すべき作品は、津田青楓著「老松町日記」です。
 青い表紙に盾に大きく茶色い文字で「老松町日記」とあります。実は、本の体裁をしていますが、日記帳に自前で表紙をつけた本です。青楓は1911年(明治44年)に小石川の老松町に転居しており、同年漱石と知り合い、木曜会に出入りしています。1913年~1914年(大正2年~3年)の日記のうち漱石に関する部分を1961年頃になって書き写したものとのこと。手作りのため一冊しか存在しない貴重な本です。

『老松町日記』1961年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

和室の作品

 1階には畳の展示室があります。
 ケースがあって図案集を紹介しています。
 『華紋譜(花の巻)』と『華紋譜(楓の巻)』です。ともに1901年(明治34年)の作品です。2022年に渋谷区立松濤美術館で青楓の図案に焦点をあてた展覧会が好評を博しましたが、そうした青楓の初期図案集が静かに展示してあります。

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『華紋譜(花の巻)』1901年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』
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『華紋譜(楓の巻)』1901年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 壁面はガラスで覆われ3点の表装した書と日本画作品があります。
 墨で「春」とだけ書いた《春》、日本画《籠中蘭白梅之図》《寝覚の床図》です。
 また、青楓愛用の画材や灰皿などが通年展示されています。また、多くの落款などもあります。

《籠中蘭白梅之図》制作年不詳
出典 : 『青楓美術館図録』

 《寝覚の床図》は本展のメインビジュアルになっているうちの1枚です。木曽川(長野県)の名勝浦島太郎伝説の残る渓谷を描いたもの。

《寝覚の床図》1965年
出典 : 『青楓美術館図録』

2階展示室の作品

 2階へ進みます。階段の壁には「第10回しあわせ絵手紙展」として全国から寄せられた絵手紙で10月に入れ替えたものが公開されています。

 踊り場には天井まで続きそうな額に入れられた長いフランス刺繍が2点あります。青楓がフランス留学時代に製作したものです。
 フランス刺繍と並んで、青楓と最初の妻山脇敏子と3人の子供(長女から三女)たちとの家族写真があります。青楓は5人の子供をもうけましたが2人(長男と三女)は夭折しています。また山脇敏子とは大正13年に離婚しています。

《フランス刺繍(A)(B)》1914年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 さて、階段を上ったところには、青楓と再婚相手の濱子夫人との晩年の写真や、青楓美術館開館の時の写真などがあります。
 画像が用意できませんでしたが、その下にあるケースには青楓の画帳が2点あります。
 『良寛遺跡一』1971年頃(昭和46年頃)
 『良寛遺跡二』1971年頃(昭和46年頃)
 江戸時代後期の僧侶良寛に傾倒し1935年(昭和10年)に『良寛父子伝』の執筆を思い立ち、良寛ゆかりの地や新潟を訪れた時の画帳です。

 こちらも画像が用意できませんでしたが、踊り場から2階へ向かう階段には花を描いた日本画が5点あります。制作年のないキャプションも多いのですが、作品には「老亀」とか「老聾亀」といった揮毫があることからいずれも晩年の作であることが分かります。
 揮毫はいろいろなものがあり、こちらだけでも4種類です。
 《すみれ》1972年(昭和47年)、には「老聾亀」
 《飯桐》制昨年不詳、には「百寿青楓」
 《石楠花》制昨年不詳、にも「百寿青楓」
 《あざみ》制昨年不詳、は「聾亀」
 《紫木蓮》制昨年不詳、は「老聾亀人」
 「亀」は青楓の本名亀次郎にちなむもので、「聾」は年老いて耳が遠くなったことを表しての表現です。

 2階の展示室に入ると左側の壁に洋画が2点並びます。
 この中でも特に大型の作品《夏の日》は青楓家族の海水浴の様子を描いたもので二科展へ50歳を記念して出展したものといいます。

《夏の日》1929年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 もう1点の洋画《金地院蓮》は京都の金地院を描いたもので、《夏の日》の前年の作品になります。

《金地院蓮》1928年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 さらに進むと奥の壁には日本画があり《富岳第三号》とひと回り小さい《笛吹川より見る不二山》が2点並んであります。どちらも同じ構図で富士山とぶどう、そしてぶどう狩りの小屋が描かれています。これは《笛吹川より見る不二山》が《富岳第三号》の習作であるといいます。

《富岳第三号》1975年
出典 : 『青楓美術館図録』

 さらに日本画作品が続きます。《梅花と歌》《かきつばた》《小金井堤所見之図》などです。

《小金井堤所見之図》
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 ガラスケースがあって中には、《天橋間人風景(北征画帖)》と《富士湖水行写生》とあり、どうやらスケッチ帖のようです。

 隣り合った壁には表装された4点の日本画がかかります。
 《薔薇鶏之図》は1917年(大正6年)ですからまだ洋画を描いていた時代の作品です。

《薔薇鶏之図》1917年
出典 : 『青楓美術館図録』

 《老梅孤鶴》1950年(昭和25年)は、見事な白梅に鶴、亀青楓と署名があります。

《老梅孤鶴》1950年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 《山水(桃源郷)》は本展のメインビジュアルになっているうちのもう1枚ま方です。青楓には、こちらと同じ構図で描かれた日本画が複数残っています。

《山水(桃源郷)》1921年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 そして、制作年は不詳ですが、《金魚図》と続きます。

《金魚図》制作年不詳
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 一方別の壁には花を描いた日本画が4枚で、
 《紫陽花》制作年不詳
 《薔薇》1922年
 《青山白雲(籠中紫陽花)》制作年不詳
 《硝子器椿》制作年不詳
 と続きます。

《薔薇》1922年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 日本画の下のガラスケースの中には絵巻物があります。《蔬果画巻》1974年(昭和49年)は季節の花や果実を絵巻にしたもので94歳を超えての大作です。
 以上、青楓の春夏に関する作品でした。

ぶどう畑のアートギャラリー 「一宮町文化協会 書道部作品展」

 「ぶどう畑のアートギャラリー」は、受付前のエントランススペースをサークルや個人の作品の発表の場として月替わりで提供する小さなギャラリーです。本ギャラリーのみの観覧であれば無料です。(まとめて3回分の作品を紹介します。)
 3月の作品展は「一宮町文化協会 書道部作品展」(2024.3.2~3.31)です。です。こちらは恒例の地元一宮文化協会書道部の作品展です。

「一宮町文化協会 書道部作品展」

 津田青楓も晩年は書の時代でしたので、青楓に通じるものがあります。

今年も力作がそろいました
それぞれ個性があります

 「竜虎相対」、ふと川中島の合戦を想像しました。

「竜虎相対」

 深田久弥の言葉をしたためた作品「百の頂きに百の喜びあり」

深田久弥の言葉(右)


ぶどう畑のアートギャラリー「黒田茂樹の楽書展」

 4月の作品展は「黒田茂樹の楽書らくがき展」(2024.4.3~4.29)です。北杜市を拠点に活動する書家黒田茂樹氏の作品展です。
 書は書でも楽しみが現れる書の展示で、黒田氏は楽書家と自身を呼んでいます。

「黒田茂樹の楽書展」
書が踊っているよう

 作品展のタイトルです。「楽しく書けばそれは楽書き」「見て楽しければそれも楽書き」
 その隣は「石」?「意思」?堅いのはどちらでしょう。

作品展のタイトルと「石」
Tシャツにも楽
こんなところにも「笑」が

「動き出したよ風が 水が 木が 草が」

さぁ あの山を動かそう

 メインビジュアルの作品です。「遊びに行ってもええんやろ」

山のてっぺん

 「横へ横へと歩いても蟹はいつも前向きだ」。

前向きな蟹さんが妙に可笑しい

 「雑な草とは随分な話だが」

雑草の独り言

 「いつか夢は朽ちてゆく」

新たな夢が生まれる

 「君にはちよっと見せられないが」

骨のある男

 過去には「おいで屋ギャラリー」「きららシティショッピングセンター」など、北杜市での展示が多いようです。

過去の展示紹介


ぶどう畑のアートギャラリー「友人による二人展」

 5月の作品展は「友人による二人展」(2024.5.1~5.31)です。市岡佑二氏(絵画)と阿部ちい子氏(写真)による二人展です。

「友人による二人展」
展示の概観
別角度から

 絵画作品は、どうぶつと赤ちゃんの姿がなんともかわいらしいのです。

どうぶつと赤ちゃん
なんだかほのぼのします

 ふと筆者が感じたのは、釈迦堂遺跡の土偶はみな口を開けています。土偶は赤ちゃん顔なのです。こちらのどうぶつも赤ちゃんも口をあけて土偶によく似ているように思えるのです。

優しいイラスト作品です

 こちらは写真作品です。

小正月夕暮れー浅草ー

おわりに

 青楓の春と夏に関する作品の展示でした。苦言を申せば、開館50年なので展示機会のほとんどないような作品を展示するなど、なにがしかの工夫がほしかったです。
 背景に美術館の統合計画があったせいか分かりませんが、その計画も白紙再検討となりました。何より、ぶどう畑と洋館風の建物、勝沼のワイナリーにも近いとか、職員による対面での解説とか、立地やこの規模だからできる強みがあります。そういうところを宣伝して集客効果を上げてほしいのです。

参考文献
図録『青楓美術館図録』青楓美術館、1983
図録『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』芸艸堂、2020

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