見出し画像

【笛吹市青楓美術館】ぶどう畑の中の最古の美術館(7) 「青楓作品との対話」を見に行く

はじめに

 ぶどう畑の中にある山梨最古の美術館こと笛吹市青楓せいふう美術館では、展示替が行われ、2023年度後期の展示が行われています。
 2023年度後期は「青楓作品との対話~子どもたちは青楓作品から何を感じたか~」(2023.9.7~2024.3.10)として、津田青楓の主要作品とともに児童の書いた絵画鑑賞文を併せて紹介しています。
 青楓美術館の地元である笛吹市一宮町の小学校では、美術館を訪れて絵画の前で鑑賞文を書くという取り組みを続けてきました。これまでも青楓作品の隣に秀逸な児童の鑑賞文を並べて紹介することがありました。今回は昨年、市内春日居郷土館で行われた「津田青楓-前進の時代-」を見学に訪れた春日居小の児童の鑑賞文も併せて紹介されています。

収穫時期のぶどう畑と(2023年9月)

 過去の展示替えについてはこちらをご覧ください。
 2022年度前期「青楓人物画展」
 2022年度後期「小池唯則と津田青楓」
 2023年度前期「花のあるくらし~津田青楓が描く花の世界」


津田青楓

 津田青楓(1880年~1978年、明治13年~昭和53年)は、画家、書家、歌人です。また二科会を設立した人物の一人です。
 夏目漱石の著作『道草』『明暗』の装幀は青楓の手によるものです。また、漱石の絵の師匠でもあります。
 青楓の活動は4つの時代に分けられます。古い年代順に並べると
 ・図案の時代
 ・洋画の時代
 ・日本画の時代
 ・書の時代
となります。明治から昭和を生きた青楓ですが、時代ごとにまったく異なる分野で作品を残しています。「漱石に愛された画家」「背く画家」など異名も氏の人生を物語っているようです。

津田青楓(96歳)
出典 : 『青楓美術館図録』
津田青楓略年譜 出典 : 青楓美術館配布資料

青楓美術館

 笛吹市一宮町はぶどう畑と桃畑の広がる果樹栽培の地域です。青楓美術館はそんなぶどう畑の中にある小さな美術館です。
 開館は1974年(昭和49年)10月23日です。来年は50周年を迎えます。現存し通年開館している美術館としては山梨県内で最古の美術館です。
 笛吹市一宮町の出身の小池唯則こいけただのり氏(1903年~1982年、明治36年~昭和57年)が郷里に文化をとの思いで私財を投じて美術館を建設しました。

前庭にある小池氏と「ふるさと」の碑

 小池氏は友人の紹介で津田青楓(1880年~1978年、明治13年~昭和53年)と出会い、交流を重ね青楓の作品を集めていきました。美術館の作品は信頼できる方法で収集したいと考えていたからです。美術館を作ることを知った青楓からは、売って建設費用の一部にするようにと40点の作品が寄贈されました。しかし、小池氏は売るなんてもったいない、この作品を展示しようと美術館の名称も「青楓美術館」にする旨を快諾してもらい自身の故郷に青楓の美術館をつくりました。青楓からの寄贈は最終的に70点になったといいます。

吉井忠《老先生の執筆を見守る小池唯則》1972
出典 : 「小池唯則と津田青楓」チラシ

青楓作品との対話~子どもたちは青楓作品から何を感じたか~

 前置きが長くなりましたが、「青楓作品との対話~子どもたちは青楓作品から何を感じたか~」(2023.9.7~2024.3.10)を紹介します。青楓の絵画と児童たち鑑賞文ということで、これまでの展示替えのように全体的に流れる作品テーマや青楓の年代に沿った並びで展示はされておりません。
 青楓作品に慣れ親しんだ方には分かりにくいと感じられます。ただし、《愛子像》《犠牲者》など代表作が一同に見られますので、青楓の前半生の洋画や装幀作品を中心としたダイジェスト展示と考えるのがよいのでしょう。動かせずに常に壁一面に鎮座する《疾風怒涛》はいつ見ても圧巻です。

チラシは代表作と鑑賞文の抜粋

 本展のチラシで気が付いたのですが、クリーム色から水色に変わる背景のグラデーションは前回「花のあるくらし~津田青楓が描く花の世界」チラシとまったく同じでした。流用でしょうか、いや年間通じた統一感を演出とでも考えておきましょう。

1階展示室の作品

 青楓美術館では展示室の撮影は出来ませんので、図録などの画像から可能な限り作品を紹介します。
 児童の鑑賞文は、教室にある机が2つ持ち込まれていてその上に置かれています。青楓の作品ごとにラミネートされた原稿用紙が児童数人分ずつリングで留めてあり、手に取れるようになっています。机1つに青楓の絵画の4作品分ずつ置かれているので8作品分あります。
 1階の展示室には、変わらずこの部屋を支配するかのような300号という大きさと威容もつ《疾風怒涛》があります。

画像
《疾風怒涛》1932
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

  疾風怒涛
 海が岩にぶつかって波が立っている。海がおこつている。波が立って強い感じがする。波が強くて岩がくずれそうだ。波はおそろしく、人をうらんでいるような風にも見える。
 波が岩にぶつかり、ザッパーンと音を立てめようだ。海が茶色くにごつている。岩がいたむほど波が立っていて、水の神様がいるようだ。波はあばれ、鳥もびっくりするようだ。
 青楓さんはこの絵を通して嵐の海はとても強く、おそろしい、神様のようだと伝えている。僕はこんな絵はかけないと思う。青楓さんの絵は本当に目がとび出すほどすごいと思う。僕がこの絵をえらんだ理由は、ずっと前からかざられているから。波の高いところがいいと思う。ぜひ波の絵のこだわりを見てください。

鑑賞文 一宮北小4年W・Y

 4年生にしてお見事な鑑賞文です。まずしっかり絵を観察して気が付いたことを述べています。そのうえで自分の考えを述べて、次に青楓の気持ちを考えています。最後は自分がこの絵を選んだ理由を述べ、見ている人へ勧めています。原稿用紙の使い方、特に句読点を欄外に出す使い方も心得てます。

 《疾風怒涛》に向かって、右側の壁には洋画が2点並びます。《青楓49歳像》と《夏目愛子像》です。

《青楓49歳像》1928年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

  青楓49歳像
 この絵はとても暗くてよく見えなくて、ちかくで見ると色がよくわかった。よくつかっている色が、黒がとても多くつかわれていた。顔かとおもって見るととても不あんそうな顔をしていて、だれかにおわれているではないかと思いました。どうして自分の絵をかいたのかは、だれかにおわれていて、気をまぎらわせるためにかいたのではなかったと思った。どうして部屋があんなに暗いのかは、だれかに終われていいるせいでへやのあかりをつけたら、そのおわれている人たちに見つかってしまうから、あかりをしているのだったかもしれない。どうしてランプみたいなものがあったのかは、すこしのあかりがないと生活ができかったのかもしれない。

鑑賞文 一宮西小年S・S

 全体的に暗い色合いで描かれていところに着目し、その理由を丹念に探っています。プロレタリアに傾倒し始めた時代ということも知ってのことでしょうか。

 続いて《夏目愛子像》ですが、ご存じのように、漱石の四女愛子を描いたもので、漱石との交友の深さが分かる作品です。この絵が描かれたのは昭和8年のため漱石没後15年が経っています。

《夏目愛子像》1931年
出典 : 『青楓美術館図録』

  「少女(夏目愛子像)」を読む
 こんにちは。笑顔で入ってきたのは一人の女性。インタビューを受けてくれるのだ。今日はめいっぱいのおめかしをして来てくれた。だからこっちにも気合が入る。さあどんなことを話してもらえるだろう。
 高級そうなドレス。深みのある色合いでそれをうくま表現している。同じ赤紫色なのにちょっとずつ色がちがって見える。透明なえり。透明感を出しているのにその下に着ているドレスの赤紫色も表現されていてすばらしい。ドレスもえりも光の反射、しわの様子が本物みたいに描写されている。女性のさわやかな笑顔。やさしい目でこっちを見ている。「少女(夏目愛子像)」を描いたときの様子が分かる。

鑑賞文 一宮北小6年A・K

  すばらしいです。まず、このドレスは一番のおめかしでインタビューに応じてくれるのだと前半として創造したストーリーから始まります。そしてそのドレスは襟が透明なデザインであることや表現に注目しています。愛子の表情などについてもよく説明しています。

 また、《疾風怒涛》の正面の壁には、日本画と洋画が並びます。その下にはガラスケースがあって青楓が手掛けた装幀本が並びます。
 洋画は、《花時京落風景》1927年(昭和2年)、青楓47歳の時の作品で関東大震災で東京を離れ京都に暮らしていました。
 日本画は、花などを扱った作品です。
 《色紙四季(さくら・朝顔・くり・きのこ、水仙)》(制作年不詳)
 《落椿》(制作年不詳)
 《白牡丹》(制作年不詳)
 画風から洋画断筆後や晩年の作品などそれぞれ時期は異なります。《色紙四季》は色紙に1枚ずつ描いた4つ組の作品です。これらの作品に関する画像は用意できませんでした。

《花時京落風景》1927年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 ケース内の装幀作品ですが、注目すべき作品は、津田青楓著「老松町日記」です。
 青い表紙に盾に大きく茶色い文字で「老松町日記」とあります。実は、本の体裁をしていますが、日記帳に自前で表紙をつけた本です。青楓は1911年(明治44年)に小石川の老松町に転居しており、同年漱石と知り合い、木曜会に出入りしています。1913年~1914年(大正2年~3年)の日記のうち漱石に関する部分を1961年頃になって書き写したものとのこと。手作りのため一冊しか存在しない貴重な本です。

『老松町日記』1961年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 青楓の装幀した漱石の作品が並びます。いずれも大正時代の出版です。
『明暗』1917年(大正6年)
『社会と自分』1917年(大正6年)
『行人』1924年(大正13年)
『彼岸過迄 縮小版』1917年(大正6年)

夏目漱石『明暗』岩波書店、1917年
夏目漱石『社会と自分』実業之日本社、1917年(初版は1915年)
夏目漱石『行人』大倉書店、1924年(初版は1916年)
夏目漱石『縮刷 彼岸過迄』春陽堂、1917年(初版も同年)

 また、漱石に関する青楓の著作と装幀本もあります。
 津田青楓著『漱石と十弟子』世界文庫、1949年(昭和24年)
 森田草平著『夏目漱石』1942年(昭和17年)
 森田草平著『続夏目漱石』1943年(昭和18年)

『漱石と十弟子』 出典 : 日本の古本屋

和室の作品

 1階の和室には画材道具など青楓の愛用の品があります。
 また、衝立の作品で《更紗鶴図衝立》1916年頃(大正5年頃)があります。こちらは青楓36歳頃の作品で、長男を亡くしたり、漱石が亡くなったりと悲しいことが続いていた時代の作品です。

《更紗鶴図衝立》1916年頃
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 わたしが、ステキだなと思った津田青楓さんの絵は、「しゃらつるずついたて」です。ステキだなと思ったところは、つるが、黒色と、赤色、きみどりで、書いてあるところがステキだなと思いました。気づいたことは、右は、全体の絵が大きい、左は、全体の絵が小さいことです。わたしは、じゃまかもしれないけど、「しゃらつるずついたて」を家にかざってみたいです。

鑑賞文 春日居小3年T・M

 児童はしっかり図案を見ています。また左右の違いにも着目していて、最後は自宅に飾って見たいと締めくくっています。

 和室の壁側ケースの中に書1点《風》(制作年不詳)と日本画《育児鶏》1973(昭和48年)、《黒牡丹と真名鶴図》1919(大正8年)があります。
 《育児鶏》は晩年93歳の作品で《黒牡丹真名鶴》は39歳頃の作品、鳥を主題に描いていますが、描き方が異なり年代の違いがはっきり分かります。緻密な若い時代に対して、晩年は、奔放に描いて書をその上にしたためています。

《黒牡丹と真名鶴図》1919年

  作者の本当の気持ち
 つるがきりの中、竹やぼたんの下で水を飲んでいる。つるの色は、白とはい色。顔は赤と黒だ。つるの後ろにはぼたんが2本ある。ぼたんの色は、赤むらさきだ。ぼたんとぼたんの間には、うめの木がある。ぼたんのとなりに竹が二本。後ろのほうに竹が三本ある。つるの脚は、木のえだように細く、弱っているようだ。
 わたしは、弱っているつるを見て、どうして元気がなさそうなんだと思った。つるはねらわれて大きなぼたんにかくれていたのではないだろうか。つるが水を飲んでいたのは、きず口をぬらそうとしているからだ。
 作者は、生き物を大切にと、伝えたいのではないだろうか。昔は生き物をかるのがふつうだったのだろうが、作者はもうかるのはいやだと思ったのだろう。
 この絵は、つるの毛並みがきれいに書かれています。ぜひじっくり見てください。

鑑賞文 一宮北小4年K・S

 よく観察しています。弱々しく感じた鶴の気持ちと、この絵を描いた作者の気持ちを探求しています。

 《育児鶏》について画像が用意できなかったのですが、それをも凌駕するような鑑賞文がありましたので紹介します。

  育児鶏
 鳥がいる。色は白色。顔は赤い色。手は黒色だ。ひげがはえていてしっぽは葉のようだ。親鳥がりゅうのように動いている。子どもの鳥が木のようなものに乗っている。親鳥が子どもの鳥にえさをあげている。きりがかかっているようだ。親鳥が子供の鳥を守っている。子どもの鳥はえさをほしがっている。子ども鳥は鳴いているようだ。
 僕はこの絵を見て本当は親が二ひきなのに一ぴきしかいないので悲しいと思った。この後もきっと一ぴきで育てるのかなと思った。
 もし僕がこの鳥だったら、もう一ぴきの親鳥をさがして子どもの鳥を守ってえさをあげる。巣を作ってみんなで休んでねるだろう。
 僕はこの絵を見て親鳥が子供の鳥を守っている所がリアルで良いと思った。
 この鳥のもようをよく見てください。

鑑賞文 一宮北小4年K・I

 絵の内容が想像できるほど状況を説明しています。そのうえで親鳥の状況や自分が親鳥の立場になって想像をめぐらしています。さらに最後にこの絵のアピールポイントを付け加えています。

 《風》はまさに堂々と「風」と書かれた晩年の書です。

《風》制作年不詳 出典 : 『青楓美術館図録』

2階展示室の作品

 2階へ進みます。壁には「第10回しあわせ絵手紙展」として全国から寄せられた絵手紙で10月に入れ替えたものが公開されています。この「しあわせ絵手紙展」については機会を見て紹介いたします。
 踊り場に向かうと天井まで続きそうな額に入れられた長いフランス刺繍が2点あります。青楓がフランス留学時代に製作したものです。

《フランス刺繍(A)(B)》1914年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

また、2階展示室の奥に「フランス刺繍花と鳥」1913年(大正2年)があります。白地に赤い鳥や花などが刺繍されたものです。こちらは青楓がデザインし、最初の妻であった山脇敏子が製作したものです。

《フランス刺繍花と鳥》1913年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 さて、階段を上ったところには、晩年の青楓夫婦の写真や、美術館開館の時に訪れた様子などの写真などがあります。
 その下にあるケースには図案集を紹介しています。
 『華紋譜(花の巻)』1901年(明治34年)と『華紋譜(楓の巻)』1901年(明治34年)です。昨年渋谷の松涛美術館で青楓の図案に焦点をあてた展示がたいへんに好評でした。そうした青楓の初期図案集が静かに展示してあります。

『華紋譜(花の巻)』1901年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』
『華紋譜(楓の巻)』1901年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 展示室の奥のケースには大型本で『装丁図案集』や『うずら衣』1903年(明治36年)があります。

『うずら衣』1903年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 2階の展示室も1階と同じように、机が2つ持ち込まれていて8つの青楓作品について鑑賞文が置いてあります。

 まず洋画が並びます。
《MON BEBE》1909年(明治42年) 長女あやめを描いた作品か(?)
《静物》1929年(昭和4年)
《花鳥図》(制作年不詳)
 年代の分からない作品もありますが、いずれも昭和8年(53歳)の洋画断筆前の作品です。

《MON BEBE》1909年
《静物》1929年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』
《花鳥図》制作年不詳
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

  花鳥図を見て
 この絵を見てください。この絵で何を表現したいのか考えた時に、私には種類の違う二匹の鳥が話をしているように見えました。この絵を見てみなさんはどんな事を考えましたか、もう一度絵をじっくり見た時に思った事は、話をしていないように見えたのです。理由は頭が黒い鳥が白い鳥を見ているだけでだったのかもしれないと思ったからです。色のあざやかな花の中で私は頭の黒い鳥が白い鳥に言いたいことがあったけど言えなかったのかも知れないと想像しました。
 私が感じた事は一度絵を見た時とは違い、じっくり見た時の方が自分の考えが広がり、この絵が何を表現したいのか考える事ができました。この「花鳥図」も同じで、自分自身の見方で、絵の感じかたが違うんだなと感じました。色あざやかな花の中で撮りに引きの勘定を表現するのがとてもすばらしいと思いました。

鑑賞文 一宮西小6年T・M

 あらため絵を見直した時の自身の感じ方の違いに言及しています。すばらしいです。

 さらに洋画の代表作が並びます。
 《変電所の庭》1930年
 《犠牲者(習作)》1933年
 《海浜発沫》1933年
 《怒涛》1932年頃

 《変電所の庭》は、京都にいた時代の景色を描いたものです。

《変電所の庭》1930年
出典 : 『青楓美術館図録』

 《犠牲者》や《海浜発沫》《怒涛》といった昭和初期の作品の時代は青楓はプロレタリア運動に傾倒していたため、メッセージ性の強い作品があるのですが、そうした社会的背景を知ってか知らずか児童の鑑賞文は書けています。

《犠牲者(習作)》1933年
出典 : 『青楓美術館図録』

  犠牲者を見て
 この絵を見てください。血が生々しくて痛みが伝わってきます。その人が大罪を犯したのか無罪なのに誤解が生まれ自白させるためにごうもんしたのか。見る人によって考え方はちがうけれどつらそうに亡くなっているのがわかる。体のあちこちから出ている血もともリアル。体の色は健康的なはだ色でなく灰色になっていることから相当ひどいごうもんを受けていたにちがいない。
 絵のすみに小窓があるのに気が付いた。外はきれいな景色が広がっているが、ごうもんを受けている人はとてみ暗い色で描かれている。差が激しく感じられると思う。
 「私は何もしていない!」と言っているかもしれないし、「やるならさっさと殺してくれ。」と言いながら死んでいったかもしれない。見る人は自由に考えることができる。

鑑賞文 一宮西小6年N・N

 拷問をうけたかのような人物について思いをめぐらせ、さらに画中の小窓と外の景色に注目しています。青楓の伝えたかった部分です。

《海浜飛沫》1933年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 かいひんひまつという作品で一番すごかったところは水しぶきのかきかたです。いろいろなむきに水がとんでいて、色も少しずつうすかったりこかったりして細かくさいげんされていていました。おくがわの水は少しずつ色がこくなっていてまえがわの水はちょっとだけあさくなっているからなのかとうめいに少し近い色でした。ほんのすこし岩に赤味がかかっているようにみえました。はくりょくある絵でした。

鑑賞文春日居小3年I・N

 水しぶきと遠近で色の違いをよく観察しています。岩の赤味に着目はなかなかです。

 こちらの《怒涛》と一階展示室の《疾風怒濤》とは同時期の作品であり、どちらも荒々しい海の様子が描かれています。こちらについては鑑賞文はありませんでした。

《怒涛》1932年頃
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

 日本画の作品もあります。
 《奥入瀬渓谷》(制作年不詳)
 《椿図》1915年(大正4年)
 《歳寒五清図》1968年(昭和43年)
 《吾妻渓谷》1970年(昭和45年)
《椿図》のほかは晩年の作です。画風の違いがここからも見て取れます。

《椿図》1915年
出典 : 『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』

  椿図
 この絵を見て下さい。椿が自然にのびのびと成長している。かげもちゃんと書けている。花の中もしっかりと一本一本かかれている。葉や花の線もしっかりこまかくかかてれいる。全部花がひらいているのではなく花になっていないつぼみなどもしっかりかかれている。花や葉や木をまっすぐかくのではなく本物の木のようにまがっていたりしていてリアルですばらしいと思いました。作者がさんぽをしていてきれいだと思ったので書いたと思う。椿の特ちょうをしっかりととらえていたのですばらしい作品だなと思いました。まんかいなだけでなくつぼみみしっかりかかれていてこまかいところまでかかれすごいと思いました。

鑑賞文 一宮西小学校6年S・H


《歳寒五清図》1968年 出典 : 『青楓美術館図録』
《吾妻渓谷》1970年頃 出典 : 『青楓美術館図録』

 最後に、画像は用意できませんでしたがガラスケースの中に、
 《富士湖水行写生》
 《天橋間人風景(北征画帖)》
 《おいらせ》
などが晩年の日本画で風景を描いた小さいサイズの作品となっています。

鑑賞文の感想

 児童の鑑賞文は、こういうふうに見てるんだ、よく観察しているなと感心します。特に地元の一宮北小学校や西小学校の鑑賞文です。見ているこちらに語り掛けるように書かれており、鑑賞文が作品のガイドになっているのです。もちろん春日居小の児童にも素晴らしいものがありました。
 一方で苦言を申しますと、鑑賞文を書いたことや展示の意図など、主催側の解説文などはなく作文だけが机に置かれている状況では、観覧者にはたいへん伝わりにくいです。さらに言うと、鑑賞文は16作品についてあるのですが、本展で展示していない作品もあり丁寧さがないように思えます。
 鑑賞文の中には原稿用紙の右側に3行から5行程度で多くても原稿用紙の右半分の分量のものが多数です。

 僕が気になったのが犠牲者です。犠牲者でびっくりしたことは、予想で書いたうまく書けていたことです。つぎにきになったのが怒涛です。すごく色使いがよくて綺麗だったので気に入りました。また郷土館に行きたいです。

鑑賞文 春日居小3年S・A

 金地院蓮池は、はながかいてあってかわいいです。はなのながいに、入っているのは、つぼみです。あしのながいいろもちがうしつるのいろもちがう。

鑑賞文 春日居小3年F・R

 それもそのはず、一宮北小、西小の児童は絵について作者(青楓)の気持ちを解釈してようとしているのに対して春日居小の児童は鑑賞文ではなく郷土館へ見学に来た感想文の体裁をしています。書かれた意図と状況が学校毎で違うように思うのです。そのあたりのことも、作文だけが置かれている状況からでは、秀逸な鑑賞文と3行しか書いていない感想文の比較となり児童があまりに気の毒です。
 本展は「こどもたちは青楓作品から何を感じたか」の副題ですが、逆に何を感じてもらいたかったのか、観覧者には何を感じてもらいたいのか、今からでも主催側の解説文が欲しいところです。

過去には一宮北小の児童が模写体験も

ぶどう畑のアートギャラリー「会いましょう~島津久美子版画展~」

 「ぶどう畑のアートギャラリー」は、受付前のエントランススペースをサークルや個人の作品の発表の場として月替わりで提供する小さなギャラリーです。本ギャラリーのみの観覧であれば無料です。

 10月の作品展は「会いましょう~島津久美子版画展~」(2023.10.1~10.31)です。こちらの観覧だけであれば無料です。
 元美術教師だった島津氏のカラフルな木版画の作品です。

「会いましょう~島津久美子版画展~」
ピンクがテーマカラー

 作品は全部で12点です。タイトルの「会いましょう」は氏が旅先などで会ったもう一度会いたい景色などを作品にしたとのこと。

ぱっと明るいエントランス

 縄文土器の深鉢に渦巻き文様はこの辺りの土器の特徴です。

《NOUS VOYONS ICI》

 作品はすべてポップな色合いでまとめられていて、明るい気分になります。

上から《旅立ち》《夏立つ》
上から《救済》《リリー》
《祷》
《此処で咲く》
《UN SOUHAIT TRANQILLE》

 モノクロ作品はぐっと印象が変わります。

《溶ける》
《慰撫》

ぶどう畑のアートギャラリー「星を織る~松下めぐみ手織者タペストリー展~」

 11月の作品展は「星を織る~松下めぐみ手織者タペストリー展~」(2023.11.1~11.30)です。
 松下めぐみ氏はこちらのギャラリーでおなじみのアート松下塾の代表です。松下氏のアート松下塾の過去の展示は、
 「アート松下塾の仲間たち―ひかりアートは山梨のアート発信基地―」(2022.9.1~9.30)
 「2023アート松下宿の仲間たち~アートの力でつながる~」(2023.9.2~9.30)と展示を行っています。
 今回は松下氏自身の作品展です。手染めの毛糸により制作した大型のタペストリーの展示です。手織りということでたいへん手間がかかっているように見受けられます。

「星を織る~松下めぐみ手織者タペストリー展~」
機織り機のカットも

 作品は宇宙をテーマにした織物3点と絵画1点です。

タイトルボード

 とにかく中心に飾られたハートのように見える大型タペストリーが見事です。織る時間もそうとうかかっていそうです。

《ひかり》

 近づいてみるとたいへん毛足が長いです。ジャギー織りだといいます。

作品を至近で

 星のようにも花のようにも見えます

《ひかり》

 やや小型のタペストリー作品と絵画作品

《あい》(タペストリー)

おわりに

 残念ながら青楓美術館は存続問題の渦中にあります。市文化財課の計画では2025年までに美術館の作品を春日居郷土館・小川正子記念館へ移動させ、2026年に美術館の建物は除去するとする公式文書がホームページにて公開されています。
 市の進め方には上意下達の強引さが見受けられます。地元笛吹市一宮町を中心に現地存続を求める会が発足し、署名活動を展開しています。
 朝日新聞山梨版(2023.9.7付)にも現地存続活動の様子が報道されました。
 春日居小学校の児童の「感想文」が多いのは、春日居郷土館への統合計画を背景にした大人側の意図ではないと信じたいです。

朝日新聞山梨版 2023年9月7日付

参考文献
図録『青楓美術館図録』青楓美術館、1983
図録『背く画家 津田青楓とあゆむ明治・大正・昭和』芸艸堂、2020

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?