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気分をあげるために必要な要素を細分化してかんがえる。

以前、こちらの記事に私たち夫婦の家探しについて少し書いた。
最近また、住まいに関して、考えが少し変化してきた。

夫は北海道は苫小牧、私は八王子出身で、どちらもそこそこの田舎出身だ。私の実家の裏には森や丘が広がっていて、リビングの出窓からは緑しか見えない。朝は鳥の声で目が覚めるし、夏はセミの声が本当にうるさいぐらいだし、コオロギや鈴虫の声がすずしげに秋のはじまりを知らせてくれる。田舎の家だし、私たち夫婦二人とも兄弟姉妹が多いこともあってそれぞれの実家は一軒家で、わりに広いほうで、庭もある。

夫は大学時代から、私は社会人になってから一人暮らしをはじめ、賃貸を転々としながら基本的にかなり都心のほうに住んでいる。

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一人暮らしのときも、一緒に暮らすようになってからも、私はいつも広い家に住みたい、と思っている。その方がのびのびと暮らせる「気がする」し、精神的に余裕のある「気分になるし」、物持ちの私たちにも安心「な気がする」。
しかし、同じような状況で育ったはずの夫はいつも、必要最低限の広さの家でいい、という(もちろん私も過剰に広い、豪邸に住みたいというわけではないけれど)。
まったく賛成していなかったのだけど、予算やほかの条件との兼ね合いで、そんなに広いとは言えない家に住んでいる。幸い、WICとパントリーがあり、備え付けの収納も多いこと、また地下にトランクルームがあることから、居住スペースは物が少なく過ごせている。

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この間、去年の年末まで住んでいた代々木上原に夫と二人で行く機会があった。代々木上原に住んでいたときは、代々木上原がだいすきだった。なにがすきだったかというと、なんとなく雰囲気がすき、ということだけなのだけど。
その街に住んでいるとき、夫は「この街の何がすきなの?」とよく私に聞いた。夫は私の答えを聞いて、以下の点にまとめてたように記憶している。
・おしゃれな花屋がある
・おしゃれなカフェがある
・良いかんじのビストロなど夕飯を食べるところがある
・近くに大きめの公園がある
・・・こう書くとすごい単純というかバカっぽい・・・。まあ、おしゃれっぽい、今っぽい街に住んでいたかったわけですね。

その日、夫がふと「別に全然この街じゃなくて良いなあ。」と言った。そして、私もそう思った。

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わたしは気分がすごく大事な人間なので、なんとなくこっちがいい、なんとなくこれが楽しい、わくわくする、という方を深く考えずに選びがちだ。一方夫は、その気分に重要な要素はなにかを細分化して考える。
最初は、そんなに簡潔に表せるものじゃないよ!気分だよ!とも思ったものだったが、たしかにその要素さえそろっていれば私は満足するのかもしれない。

帰宅した後、この日感じたことは家の広さについても同じかも、と思った。
家が広いほうが、のびのびと暮らせる「気がする」し、精神的に余裕のある「気分になるし」、物持ちの私たちにも安心「な気がする」
でもそれって全部気分の問題で、その気分になるには必ずしも広い必要があるのだろうか。
具体的には何平米あれば私はのびのびと暮らせるのか?例えば、リビングでお風呂上りにストレッチやヨガをできるスペースがほしい、とか子どもが二人になってもダイニング、リビングそれぞれがゆったり座れるぐらいのスペースがほしい、とか具体的に考えてみればその平米数は出てくるかもしれない。

精神的に余裕があるためには本当に広さが必要なのか。もちろん狭すぎる家に夫と住んでいた時は、夫との物理的距離も近すぎるし笑、物はすぐ散乱するし、で精神的に余裕が少なくなった。でも、今ぐらいの家であれば、夫婦と赤ちゃん一人であれば、別に精神的に余裕はある。

物持ちなら今の家みたいに、収納が多い家や、トランクルームがある家、もしくは近くのトランクルームを借りても良い(もしくは断捨離)。

しかも、広くなればなるほど掃除は大変で、掃除が苦手な私はストレスを感じるだろう。
もちろん、子どもの成長にあわせて必要な家のサイズはあると思うけれど、無暗に広い家に住みたい!と思うのは違うかも、と思った。庭は欲しいけど・・・。

こうやって、感覚的に生きてきた私も夫という人と一緒にいることで、少しずつ、好きなことや気持ちのいいことを細分化して考えられるようになってきたのかもしれない。漠然とした感覚にむかってすすんでいくよりも、細分化した要素を実現していくほうが、確実に、より幸福を感じられる生活につながっていくように思う。

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