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わたしが刺繍技法に留まる訳

素材との共同制作

私が刺繍にこだわっている理由は2つあります。
1つは技法の不自由さです。布と糸と針で一針一針表現する刺繍は素早く自由に画面へ描くことができません。その不自由さが魅力です。
美大生時代、版画を専攻していたのも同じ理由でした。時間をかけて素材を知り、彼らと仲良くならないと思い描いた表現はできません。失敗も多いです。しかし素材が持つ美しさや優しさに触れる瞬間に出会うと、ワクワクします。素材と一緒に創造する行為は、自力のみならず、別の力が加わり共鳴し更なる喜びを与えてくれます。

手芸という分野


もう1つは手芸からの脱却。「手芸」とは手先の技術のことを意味します。特に衣服や家庭内の実用品を製作する行為の事を指し、刺繍や編み物なども含まれます。
この用語は、明治時代に西洋から女性教育としての心得として入ってきたそうで、当時の女学校では「手芸」という科目で刺繍や編み物などを女性たちが学びました。
古くから西洋において刺繍は位の高い裕福な婦人( 修道女も含む)の大事な嗜みで、道具入れや聖書の一節などを刺したタぺストリーなどの刺繍作業を行なうのが当時のスタイルでした。
その反面、彼女達の美しいドレスを作るための刺繍を施す職人は貧しい女性のお針子達でした。針と糸は貧富の違い関係なく女性と深い関係がありました。これらの歴史を踏まえてアート( 工芸含む)的 観点から手芸を眺めてみると興味深い事がわかります。手芸の技法は芸術的、学術的なカテゴリーに含まれていないのです。
長い歴史の中で親しまれ、技巧も優れ、身近な素材であるにも関わらずアートの領域からほぼ外されています。なぜでしょうか?

私はつくり手側のジェンダーにより評価が左右される事に原因があると思っています。「女性の手仕事」という分野に限定されてしまったことにより、深い技術や創造の歴史、発想を学ぶ機会に恵まれる事がなく、趣味的な位置付けになってしまったのではないでしょうか。
歴史に残ることのない女性たちの技術。アートの歴史や素材のあり方を初めから思考し直すきっかけになりました。
私はアートの世界であえて「刺繍」という手段を使い、限定された古い「手芸」という分野から刺繍を切り離し、価値を昇華させたいと考えています。
そして自身の過去を拾い集めながら、ジェンダーのあり方を模索しています。同様に人種、障害などを抱えたいわゆるマイノリティの人々への理解も深めたいと思っています。

心のいたみを受け止める装置

今回制作した針刺しシリーズは特に思い入れがあります。女性にとって身近な裁縫道具である針刺しの歴史を紐解くと、お気に入りの言葉や色や形で針刺しに装飾を施し愛情と祈りを込めた造形が多く見られます。( もはや針刺しという機能さえなく、呪術的な要素を含んだものもあります。) それは物理的な機能ではなく、「心のいたみ」を受け止めてくれる大事な装置のように私は思えます。繊細な針は、日常の中で起こる様々な心の傷つきや生への恐怖の分身であり、受け留める針刺しは自分自身に見えてくるのです。
いにしえの女性たちも「いたみ」を受け止めるのに針刺しを想像していたに違いありません。だからこそ、いつも共にいる針刺しに祈りを込めて装飾したのではないでしょうか?針の数は心に抱えた「いたみ」の数、生きた年数かもしれません。または悲しみを抱え苦しんでいる人の数なのかもしれません。数々のいたみを伴いながらも、そこから解放されるであろう未来の女性たちへの希望を込めて作りました。

作品制作を通して世界を知ること、そして私の小さな思考を鑑賞者の皆様とシェアし、広げられる喜びはひとしおです。
このような身近な展示の場から小さい気づきを見つけて下されば幸いです。
             

参考文献
「現代手芸考」ものづくりの意味を問い直す      上羽陽子/ 山崎明子編
近代日本の「手芸」とジェンダー           山崎明子 著
女・アート・イデオロギー 
グリゼルダ・ポロッック/ ロジカ・パーカー共著     
V&A ウェブサイト https://www.vam.ac.uk/ 

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