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消滅しかかっている?金モール刺繍に出会った



金モール刺繍について


「金モール刺繍」は私が普段制作に使用している刺繍技法「ゴールドワーク」と同じ、真鍮や銅、金メッキなど金属の糸を使った刺繍技法の日本名です。私はイギリスのゴールドワーク刺繍からこの技法を参照しているので、日本でこのヨーロッパの刺繍技法が100年以上存在しているのを全く知りませんでした。
2023年7月に文化ファッションオープンカレッジで行われた1日講座「金モール刺繍」があるということで早速参加してきました。
講師は金・銀モール刺繍 ㈱辻兼商店 刺繍職人の辻 章さん、文化服装学院の久保田桂子先生が金モール刺繍の歴史と技法を紹介していただきました。

実演がとても勉強になりました。

金糸を使った刺繍技術の歴史

9世紀頃すでにアングロサクソンが金糸(金を薄く延ばして巻いた単純もの)を縫い止める簡単な技法が西北ヨーロッパあたりに存在していたそうです(マースアイク刺繍・ベルギー)。また中近東からの刺繍の影響によりイタリアでも12世紀にはよく金糸が使われていたのだそう。なかでもパレルモ・シチリアでは当時刺繍のメッカで、エジプトから職人を雇って刺繍工房があったそうです。(パレルモは次回旅したい候補でしたので俄然旅熱があがりました!)
中世にゴールドワークが繁盛だったのはイギリスでした。イギリスでは宗教的な金糸刺繍が多く作られました。15世紀には宗教改革などがあり豪華な装飾が減りましたが、技術をもったアングロサクソンがヨーロッパへ下り、この刺繍技法(Or Nuéオールニュエ/金糸をコーチングする技法)はさらにヨーロッパ全体に広がりました。
当時は金糸の製造技術が低く複雑な糸が作れませんでしたが、16世紀あたりから金糸をコイル状に丸めたモール状の金属糸が盛んに作られました。この頃から金の質も悪くなりメッキされた糸も増えてきましたが、糸とモール(金属糸)の組み合わせの複雑な刺繍がこの頃(ルネッサンスからロココあたりまで)は多く作られました。
装飾文様も古今東西混ざり合い、勢いある時代ですよね。
18世紀に入りフランス革命後、ゴールドワーク刺繍は軍服に使われるようになりました。
残念なのは金糸は再利用できるため、燃やされ金に戻してしまうことが多く、現存している本物の純金糸の刺繍作品は少ないのだそうです。

日本での普及

日本でも刺繍の技法としてもちろん以前から金糸は使われていましたが、中国大陸から渡った技法にとどまっていました。
このヨーロッパで発展した技法が普及するきっかけは西洋軍服の導入でした。軍服には肩章、襟章など位階をわかりやすくするためのマークが付けられています。そこにはゴールドワーク(金モール刺繍)が施されていました。明治時代(明治12年)日本橋区呉服町で「中野屋」という名で洋織物商を営んでいた中野要蔵という人物がこの技法を取り入れ、金モールの糸を製造しその後はアメリカ海軍からの注文などを受けるまでになったそうです。
(別の戦前中の女性の生活に関する本にもこの金モール刺繍の内職などの記述がありました。どの本か失念。2冊ほどに記述あり。思い出したら追記します)

金モール刺繍の日本らしい技法

糸が日本名だった!

驚いたのはモール糸の種類名が日本名で存在していることでした。

Smooth Purl / つや
艶があるタイプなのでつや。
Rough Purl / けし
マットなタイプの糸なのでつや消しの意味ですね。
Check Purl / いなずま
ギザギザして光る面積が多く一番華やかな糸。ビカビカ~いなずまって名前言い得て妙。
Purl Purl / カタン   
輪郭線などを表現するときに使うやや硬めのコイル状糸。
Plates / 平金     
平たい昆布みたいな糸、コーチングステッチをして留めていきます。
Spangle /ゼニガタ  
おなじみのスパンコールです。確かに銭の形してますよね。

わかりにくくてすんません。こんな感じの糸使ってます。

刺繍台やパディングが紙だった!


木枠に茶紙をはった刺繍枠。
雨の日に貼るとうまくいくのだそう。
水彩紙を貼る時の水張りの要領でやったら問題なくうまくいきました。

イギリスのゴールドワークは刺繍枠にモスリン(薄い綿布)をしっかりと張り、そこにメインの布を重ね縫いつけ刺繍をするのですが、日本のやり方は和紙を木枠に張り、そこへ布を縫いつける方法でした。昔はいらなくなった米袋や和紙などを使っていたそうで紙文化が盛んな日本独自の技法に驚きました。布だとよれたりツレたりしやすいのですが紙だとピンと張ったままなのでとても縫いやすいのです。
用途にあわせてベースを使い分けて作業してみたいと思いました。

茶紙を木枠にヤマト糊で張ってからその上に刺繍を施しますパディングも厚紙で、
たしか墨でトレースをしていたかと思います

それからパディングというフェルトやウールを刺繍を施す前に仕込み、立体感を出す技法にも日本では厚紙を利用していました。
硬くしっかりと正確な形を作ることができます。硬く明解な軍服のデザインならではの扱いだと思いました。
糸はテトロン糸を蝋引き。しかもすごく長めに使い始めるんです。いちいち糸処理がめんどくさくならないようのやり方なのでしょうが、私には長すぎて扱いが難しかったです。あとおなじみの上面右手、下面左手の両手を使って縫いつけていく作業。私は完全左利きなのでこの作業が大変苦手で苦労しましたが、職人の辻さんも元々左利きだそうで「慣れればできるよ」と優しく声をかけていただいて最近はなるべく右手も使うようにしています。
忘れないように他気づいたことを記載しておきます。

  • 金モール刺繍ではカタンはあまり使わない

  • 日本の金モールは柔らかい(ザリ刺繍用の糸と比べてだと思います。私が手に入れているイギリスの糸は同じくらい柔らかいです。)

  • のりとしてヤマト糊を使う(ヤマト糊って日本独自ですよね。木版画にも使用します。イギリスに留学していたとき糊といえば木工用ボンドらしきものしかなくてヤマト糊恋しかったです。)

  • モールを切る鋏は日本の糸切り鋏

廃れていく技術

職人の辻さんにお聞きしたところ、この技術が一番盛況だった時期はもちろん軍服製造に力をいれていた戦前。
インドではザリ刺繍と呼ばれるこの金モール刺繍と同じ技法が安価で生産が可能なため、ザリ刺繍に圧された日本の金モール刺繍は現在ほぼ消滅状態です。金モール刺繍は継承されない、廃れていくだけの技術(職人さんからがそう言う話を聞くのは切ない)なのです。

技術があっても、時代の流れに身を任せているだけでは継承にはなりません。伝統として継続するためには新しい時代においての価値を作る努力をしなければならないのだと思います。この金モール刺繍に限らず、日本中の手工芸について言えることではないでしょうか?
以前、日本刺繍の職人の方とお話しした時にもそれを強く感じました。

辻さんの職人技。崩れやすい金属糸を美しくまとめています。すごい。

以前、アメリカの仕事で自分のデザインをインドで大量生産した経験がありましたが、ザリ刺繍は安価ですから雑な作りで粗悪でした。サンプルにダメ出ししても思った通りにならず、悲しかったのを覚えています。

辻さんが作った金モール刺繍のサンプルは大変丁寧で美しく、この技法がほとんど知られず日本で消えていくのは残念です。

金モール刺繍技法が日本で100年以上存在し、戦争と深い関わりがある歴史に驚きました。豪華な刺繍はいつの時代でも権力側にあり、それに魅了されている自分自身がいることはこれからの私自身の制作の重要なエッセンスになりそうです。


早速、金モール刺繍技法である紙の土台で作ってみました。

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