見出し画像

京大・緊縛シンポ 主催者からの応答



はじめに

2021年1月に、2020年10月に京都大学で開催された「緊縛ニューウェーブ×アジア人文学」というシンポジウムの問題点を指摘する記事を、noteで6本公開いたしました。

緊縛シンポは、主催者がYoutubeで配信したシンポ動画が、1件の「苦情」に基づき削除された、と広まったことによって、「学問の自由」への侵害、「緊縛は女性蔑視か否か」という論点で「炎上」することとなりました。


私がnote記事で述べたことは、以下のような内容でした。記事内容から転載させていただきます。

①私・河原は、緊縛シンポに「苦情」を送った者の1人である。その内容は「不愉快」や「学問なのか」、「女性蔑視」というものではなく、報告内容の学術的誤り・研究不正(剽窃)、そして主催者側の緊縛当事者に対する加害性=研究倫理上の重大な問題について指摘したもの。この指摘は、主催者である出口康夫氏に直接メールで伝えた。

②緊縛シンポに登壇した研究者は誰も緊縛やSMに関する先行研究を勉強しておらず、素人同然だった。4人の報告者のうち、1人はそもそも緊縛と無関係の報告をした。2人は先行文献から丸パクリした報告をしたが出典を明示しておらず、これは一般的に剽窃と呼ばれる。最後の1人の報告も、報告者のこれまでの哲学研究の主語を緊縛にすげかえただけの内容であり、緊縛研究ではない。学問にみせかけているが、そもそも誤認にもとづいて緊縛を論じているため学術性が極めて乏しい。

③動画公開停止に際して、主催者サイドが公開した謝罪文は、「不愉快」という文言が含まれており、シンポ内の緊縛ショーに関するクレームに対応したものという印象を見た者に抱かせ、結果「炎上」することになった。私がした「学術的批判」に触れ、事実と異なる内容があった、などとして動画公開を停止した、と申し開きする道もあったはずだが、今に至るまで出口氏は一切私の批判に触れていない。そして、私が指摘した剽窃・誤った情報の流布についても、謝罪・訂正などの措置を一切取っていない。

note公開後の動きについて、この度報告をさせていただこうと思い、この記事を書いています。

note記事公開後の動き

結論から言えば、緊縛シンポ主催者はおよそ1年間、私の問いかけに一切反応をせず、謝罪・訂正措置もとってませんでしたが、2021年10月1日に開催された日本倫理学会大会・ワークショップにおいて直接対話がかない、年内のホームページ公開、ホームページ上での謝罪・訂正の約束をしていただくことができました(ホームページの内容は不明です)。

note記事公開後、私がやったことと、主催者からの反応は下記のようなものです。

1.京都大学自体への問い合わせ

2021年1月 緊縛シンポ主催元である、京都大学・人社未来形発信ユニット文学研究科応用哲学・倫理学教育研究センター(CAPE)へメールにて問い合わせを行なう。内容は、出口氏からの対応が現状ないため、主催元として、ユニットで問題点を共有していただき、「不愉快」文言の削除やシンポ内容の謝罪・訂正対応を検討してほしい、というもの。

→人社未来形発信ユニット特定准教授のO氏からメール返信。ユニットとして承った、出口教授から返信するというもの。

→出口氏から対応がないため、貴ユニットに連絡した。ユニットとしての公的対応を検討してほしい。公的に謝罪対応などはできませんか、と返信。

→大西氏から返信なし。


2. 対談

「小特集・京大・緊縛シンポジウムを考える」『フィルカル』6-2号(2021年8月号)にて、私と同じく対面で緊縛シンポに参加していた大阪大学の小西真理子さんと対談。シンポの問題点と今後の対応への要望について話をさせていただく。哲学系、なかでも出口氏の専門とする分析哲学系の市販雑誌であり、かつ、多くの哲学者に広く読まれている雑誌であることから、出口氏の眼にとまることは確実だろうという予測のもと、レスポンスを求める(『フィルカル』発売後、実際に多くの哲学者から反響があり、哲学分野外である田中雅一氏からも対談を講読されたうえでの反応をいただきました)。

→反応なし。

3. ワークショップ「<応用>することの倫理――緊縛シンポ、ブルーフィルム、ジェンダー」開催

2021年10月1日、日本倫理学会第72回大会において開催。河原は「緊縛シンポにおける偽史の流布」というタイトルで報告させていただく。参加者92名。WS全体の内容は以下のようなもの。

<応用>することの倫理――緊縛シンポ、ブルーフィルム、ジェンダー

司会:佐藤靜
提題①奥田太郎「哲学分野における〈応用〉的試み初期の倫理問題を再訪する」
提題②河原梓水「緊縛シンポにおける偽史の流布」
提題③小西真理子「研究者による当事者加害の『その後』を考える」
提題④吉川孝「遠く離れて思考することの倫理」


→当日はZoom開催だったが、出口氏に加え、緊縛シンポに登壇された方2名が参加。

→全員からの謝罪と、公式サイトに掲載されたままになっているシンポプレ対談の動画の削除を約束。年内に公開するホームページ上で、きちんとした謝罪・訂正を掲載すると約束。

→10月3日、プレ対談動画が公式サイトから削除される。

本件に関する詳細をすこし。


(1)経緯

9月28日に、出口康夫氏の知人A氏から、ワークショップ実施責任者の一人に、出口氏・Y氏・F氏のワークショップ参加の打診がありました。

参加申し込みの締め切りは1週間以上過ぎていましたが、A氏が大会事務局にに確認したところ、ワークショップ責任者が許可するなら参加申し込みの締め切り後でも参加を認めるという返答を得たので、実施責任者に連絡した、ということでした。

本人ではなく、A氏を介しての連絡、という点がひっかかりましたが、私としては、1年近く訴えと要望を無視されている状況でしたから、ぜひ参加してもらい直接応答をいただきたいものだと考えました。そこでWSメンバーと相談し、参加可能であることをお伝えしてもらいました。

WS当日、確かに出口氏、Y氏、F氏が参加され、討論の時間に、まずはY氏、F氏から丁寧な謝罪コメントをいただきました。本WSは質疑にGoogleフォームを用いていました。そのため両氏のコメントもGoogleフォームに寄せられ、それを司会が代読させていただきました。

私はまず、Y氏・F氏に私や小西さんの述べている問題点が正確に伝わったことに安心しました。彼女たちがどのように考えているのか、全く情報がありませんでしたので、いろいろと不安でした。コメントを拝読した限りでは、おふたりは真剣に私の訴えを検討して下さり、それに誠実に向き合おうとされているように思われました。

おふたりの謝罪コメントののち、しばらくしてから、出口氏からのコメントがGoogleフォームに投稿されました。それは謝罪ではなく、「WS全体にわたるコメント」というもので、WS登壇者を非常に失望させる内容でした。

内容について具体的には触れませんが、

①当事者加害への反省、緊縛やSM愛好者の方々への謝罪がないこと

②真摯に対応するといいつつ、またしても、広まってしまった偽史への対応やHPに掲載され続けているプレ対談動画の削除に関する言及はないこと

③緊縛シンポ当日の田中雅一氏のコメントを曲解し、私やWS登壇者が発表内で指摘した問題点について、既に当日から検討していたしわかっている、といったポーズをとっていること

④ワークショップの私の報告内容を利用する形で、既に自分は多様な当事者の語りに着目してきた、というポーズをとっていること

以上のことに非常に驚き、落胆し、怒りがわきました。

田中氏のコメントの曲解、私の報告内容を利用する形でのポーズについて、わかりにくいので補足させていただきます。簡潔に言えば、問題として後から指摘されたことを、以前からわかっていたと騙る行為です。


(2)問題として指摘されたことを、以前からわかっていたと騙る

出口氏は、私と小西真理子さんも受けた京都新聞からのインタビュー(「京大で緊縛シンポ、ネット配信後の「謝罪」に議論 問われた学問の在り方とは」2021年1月8日・京都新聞デジタル)において、インタビュアーからの、「Q・ジェンダーや緊縛の性的な側面への視点も欠けていた。」という問いに、下記のように答えています。

  ※会員登録が必要ですが記事は無料で読めます

(出口氏) 「ジェンダーの問題を十分に展開できなかったのは確か。またシンポでは本来『性的な部分をなくせばアートになる』という単純な考え自体を再考することも予定していたが、発表者の都合もあって十分に掘り下げることができなかった」

出口氏は、「シンポでは本来『性的な部分をなくせばアートになる』という単純な考え自体を再考することも予定していた」と返答したそうですが、しかし、シンポ内容およびシンポ当日の彼の発言は、この返答と全く整合しません。

シンポでは、SM的緊縛が、しばしば性的な緊縛として、アートより下位に置かれていました。アートとして例示されたものは、人以外を縛る緊縛であったり、性的な要素が少ないものが選ばれていました。これを受け、当日コメントをされた田中雅一氏は(※1)、緊縛美の「脱性化に抗して」として、エロとしての緊縛美を下位におくような態度への疑義を表明されました。加えて、座談トークにおいて吉岡洋氏から、アートが必ずしも優れているわけではないという趣旨の指摘がありました。これらの指摘を受けて、出口氏は、「緊縛ニューウェーブということで、緊縛が今アート化しているという枠で」考えていたために、「アート化するのがいい、というような前提で動いていたところもある」(動画3:13:38あたり)と反省的に述べたのです。

(※1 シンポ当日の出口氏の説明によれば、田中雅一氏は、登壇いただく予定だったが、「いろいろありまして」、本日出席はされているが、登壇ではなく鼎談の時にコメントを頂く、と言う形にさせていただく、とのことでした。くわえて、田中氏には緊縛のアジアへの広がりについてお話しいただく、との説明がありましたが、田中氏が実際に述べたのは緊縛アートの脱性化への警鐘でした。)

シンポに参加した一聴衆としては、「アートとしての緊縛はすばらしい、だからこそ世界中で受けている」、という出口氏らの認識に、コメントおよび討論で田中・吉岡両氏が異議をさしはさんだ、という構図として受け止めました。このような展開はごく一般的なもので、こうやって研究はブラッシュアップされるということだと思います。

出口氏はこの当日の指摘を受け、それまでの「エロではなくアート」、「アート化するのがいい」という単純な前提を再検討したのでしょう。それ自体は良いことですし、当然のことです。しかし彼は、この「単純な考え自体を再考することも予定していた」として、シンポ当日初めて指摘され問題として共有されたことを、シンポ自体が、最初からそのような論点を認識し、企図に含んでいた、と主張しているわけです。私はこの点に大変驚き、強い違和感を感じました。

このように、出口氏は、他者から問題として指摘されたことを、あたかも当初から自分の考えだったかのように騙ることを、緊縛シンポに関する発言において何度かしています。詳細は述べませんが、日本倫理学会WSにおいても、同様の騙りが見られたということです。

さて、京都新聞デジタル記事中の、「発表者の都合」というのは、おそらく、登壇者の中で唯一アートを専門とされる吉岡洋氏の報告が、当日、「現代アートとしての緊縛」というタイトルから「縄と蛇」という、緊縛と無関係な内容に変更になったことを指していると思われます。

しかしすでに述べたように、吉岡氏は、出口氏の単純なアート観、緊縛観を修正してくれた学問的恩人です。その恩人に、問題の責任を帰すような書き方になっていることにも驚かされました。

なお、下記の記事で触れたように、吉岡氏は緊縛に関する知識を全く持っておらず、かなりずさんな形で登壇依頼が行われたことが、吉岡氏のブログから判明しています。

「「性的な部分をなくせばアートになる」という単純な考えを再考する」ことをあらかじめ織り込んで依頼をしていたとは考えにくいです。吉岡氏のシンポでの各々の発言も、そのような事前の議論があったことをにおわせるようなものは皆無でした。


幸か不幸か、緊縛シンポ本編の動画はいまだYoutube上にコピーが公開されており、閲覧することが可能です。実際に出口氏がどのようなことを発言していたのかは確認することができるということを申し添えておきます。

(3) WSで出口氏が述べたこと

 さて、WSでは上記のような騙りが、ほかならぬ私の報告内容を用いる形で行われたため、さすがに冷静ではいられず、なぜ1年間も対応をしていないのか、プレ対談動画を削除しないのはなぜなのか、といった点について問いたださせていただきました。

すると、出口氏は、1年間何もしなかった点については返答をせず、「動画は既に削除している」、「ホームページを準備」、「ホームページには謝罪文も掲載いたします」と口頭で述べました。その後のやりとりで、出口氏が削除したという動画は、Youtubeにアップロードされた緊縛シンポ本編の動画のことを指しており、公式サイトにプレ対談動画が掲載され続けていることについてはその事実すら認識していなかった、ということがわかりました。

これは、私のnote記事や、『フィルカル』6-2号に掲載していただいた対談はもちろん、そして私が彼に最初にお送りしたメールすらも彼はろくに読んでいない、ということを意味します。私はこれらを通じてはっきりと、この公式サイトのプレ対談動画に言及し、その削除を求めているからです。

これではとても「真摯に受け止める」と言われたところで信じることはできないと思いつつも、とにかくプレ対談動画が未だ公開されているという事実をご認識いただいたので、その削除を約束していただきました(10月3日、削除されました)。

緊縛シンポからほぼ1年が経過しているが、ホームページはいつできるのか、と尋ねたところ、「すでに準備はしていて、もう少しコンテンツを組み上げて公開ということになる」「今年中にはもちろんできる」とのご回答がありました。

最終的に、半ば強制的な雰囲気があったなかでのことですが、出口氏は謝罪され、ホームページ上でのきちんとした謝罪・訂正対応を約束されました。

正確には、

「シンポの内容について、改めて報告をして、それからいろいろご指摘ご批判いただいてます問題点にかんする訂正、まああの、謝罪・反省ということもあるかと思います。それから今後の対応についても、ホームページ上で公開するという予定にしております」

とのことです。

私が、「不愉快に思われた方は~」というあの文言を削除した上で、そういった形で(当事者をスケープゴートにした形で)謝罪をしてしまったことに対する謝罪もしていただけるということですかと尋ねたところ、「そういうことです」とはっきり明言されました。

おわりに

「不愉快」文言を含む謝罪文はいまだシンポの公式ホームページに掲載されていますが(こちらも動画といっしょに削除してほしかったですね)、年内にきちんとした謝罪・訂正文を掲載するという出口氏の約束を信じ、今しばらく展開を見守りたいと思います。

加えて、緊縛シンポ登壇者で、ワークショップに参加され謝罪されたY氏とは、メールでやり取りをしており、出口氏とは別になるのか同じになるのかはっきりしませんが、Y氏自身が今後適切な形での訂正対応をされるとのことです。英語での謝罪・訂正の発信もお約束いただいています。

なお、日本倫理学会大会WSの内容は、12月発売予定の『フィルカル』6-3号に、奥田太郎氏、吉川孝氏の報告を活字化したものと、司会の佐藤靜氏の振り返りが掲載され、来年3月刊行予定の『臨床哲学ニューズレター』vol.4に私と小西さんの報告を活字化したものと、WS参加者の皆様から寄せられたご意見・ご感想が掲載される予定です。あわせてご覧いただけますと幸いです。

最後になりましたが、これまで私の記事やtwitterでの発言をお読み下さった方々から、多くのご支援の言葉を賜りました。この場を借りて厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?